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「科学的」と言われると、敷居の高さを感じてしまう。それでも、できればもう少しだけ、科学のことを理解したい。科学技術が社会と強く結びついている今、そう感じている人も多いのではないでしょうか。
新連載「サイエンス思考」では、科学を理解するために必要な階段を1段ずつナビゲート。サイエンスの奥深さ、面白さ、そして何より現代科学の礎を築いてきた科学者たちの奮闘を、一緒に体感しましょう。
第1シリーズは全3回にわたり、「感染症」をテーマに取り上げます。
新型コロナウイルスが世界的に拡大して以来、連日のようにニュースではコロナの話題ばかりが取り上げられています。
特定の都道府県の感染者の人数や、重症者数の推移、そして死亡者……そういったミクロなニュースも大切ですが、ときには一歩引いて、もっと鳥瞰的にこの事象を捉えてみると、コロナがまたちょっと違った見え方をするかもしれません。
そこで今回は、人類が感染症とどう向き合ってきたのか、感染症疫学や国際保健に詳しい長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授に、その進歩の歴史を聞きました。
感染症は「特別な病気」なのか?
2014年に西アフリカで大規模な流行を起こし、その致死率の高さから日本でも大きな話題となった「エボラ出血熱」。
2016年、ブラジル五輪を機に世界へと拡散し、胎児の小頭症(頭が極端に小さくなってしまう病気)を増加させる可能性が危惧された「ジカ熱」。
ここ10年の間だけでも、今世界中で猛威を奮っている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)以外に、世界的に大きな影響を与えた感染症はたびたび報告されてきました。
どれも日本で大きな流行に発展しなかったことは、不幸中の幸いだったといえるでしょう。
こう聞くと「感染症」がどれも極めて特殊な病気であるかのように感じられてしまうかもしれません。
しかし、2009年に「新型インフルエンザ」が世界的に大流行した際には、日本にも例外なく入り込みました。2013年には、ワクチンを未接種の成人男性を中心に「風疹」が流行。2014年には、熱帯の地域で見られる感染症である「デング熱」が、代々木公園近辺の蚊を媒介に広がり、注目されました。
冬になると流行するいわゆる「季節性インフルエンザ」や、ノロウイルスを原因として発生することの多い「急性胃腸炎」、さらに言うと、ごく一般的な「風邪」も感染症の一種です。
少なくとも「感染症」は、思った以上に日々の生活の中にありふれたものだといえるでしょう。
「細菌」と「ウイルス」
ウイルス、細菌、寄生虫を原因とする感染症の例をいくつか示しました。インフルエンザや風疹、はしかなどはもちろん、手足口病や百日咳など、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
資料をもとに編集部が作成。
新型コロナウイルスをはじめ、日本や世界でここ最近話題になっている感染症は「ウイルス」を由来とするものが多いです。
一方、感染症の中には、ウイルスだけではなく微生物の一種である「細菌」や、「寄生虫」を原因とするものも存在します。
たとえば、江戸時代を舞台としたドラマでよく「死の病」とされる「結核」は、「結核菌」という細菌が原因です。
そのほかにも「破傷風」や「ペスト」「コレラ」なども細菌を原因とする感染症の一種で、どれもこれまで多くの人の命を奪ってきました。
細菌による感染症でも、ウイルスによる感染症でも、発熱などの似た症状が出ることはあります。しかし本来、原因が違えば、治療法も異なるはずです。
現代の感染症対策の基本は、この「原因」をはっきりとさせて、それを取り除く方法を探ることがスタートになります。その基礎ができたのは、実は19世紀末、今からたった150年ほど前のことでした。
現代感染症学の境目となった19世紀
ドイツの微生物学者ロベルト・コッホの発見によって、近代の微生物学は夜明けを迎えたといえます。ドイツには、コッホが健在だったころに設立された、公衆衛生に関する研究所「ロベルト・コッホ研究所」(写真左)があり、現在も新型コロナウイルスへの対応を行っています。
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人から人へうつる病の存在は、古くから認知されていました。
その原因が細菌やウイルスにあると判明する以前は、「神の怒り」や「悪魔の力」、「罪への罰」、あるいは「悪い空気」などと、多くの人がその原因をある種、迷信めいたものに求めていました。
日本における仏像の建立や、ヨーロッパにおける魔女狩りも、そういった「何かよく分からない悪さをするもの」に対する不安を解消する役割を担っていたのだと思われます。
この流れを大きく変え、感染症の原因を「病原体」というミクロな微生物によるものだとしたのが、ドイツの医師兼、細菌学者のロベルト・コッホ(Robert Koch)でした。
電子顕微鏡で撮影された炭疽菌の画像。コッホはこの細菌を独立培養することに成功。さらに、炭疽菌を動物に感染させることで炭疽病を発症することを確かめました。
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コッホは、1876年、「炭疽菌」の培養に成功。これが「炭疽病」の原因であることを突き止め、感染症の原因を特定する原則として現代でも用いられている「コッホの原則」を提唱しました。
【コッホの原則】
- 特定病気の患者の病巣から特定の微生物が見出されること
- その微生物を分離できること
- 分離した微生物を動物に感染させ、同じ病気が発症すること
- その動物の病巣部から、同じ微生物が分離されること
細菌の存在は、1600年代に(光学)顕微鏡の発明とともに知られていました。
また、感染症にかかった際に特定の微生物が発見されるということも、コッホの実験以前から知られていることではありました。しかし、当時の技術では、特定の微生物だけを分離することができず、細菌が感染症の原因になっているかどうかは判然としていませんでした。
コッホは、細菌を分離・独立培養する技術を確立し、間違いなくその微生物が病気の原因となっていることを証明してみせたのです。
こうして、長らく謎に包まれていた感染症の原因が、神の怒りでも、淀んだ空気でも、魔術でもなく、ミクロな微生物・細菌にあるということが分かりました。
人類が初めて、感染症の正体に気づいた瞬間です。
山本教授は、
「そこから行われたことは簡単です。あらゆる病気について、その原因となる微生物が探索されました。そして、その微生物を除去するための試みが広がっていきました。これは、現代の感染症への取り組みと変わりません」
と、現在の感染症対策の源流がここで生まれたと話します。
そして発見された「ウイルス」
タバコモザイク病に感染した植物の様子。この病気の原因である「タバコモザイクウイルス」が、世界で初めて電子顕微鏡で撮影されたウイルスでした。
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細菌が感染症を引き起こすということが分かると、原因が分からなかったさまざまな病気に対して、コッホの原則に従って病原体が調べられていきました。
しかしその中で、ある不思議な現象が確認されます。
コッホの原則では、感染症の原因を明らかにするために、細菌を目で見て確認する必要がありました。細菌の大きさはおおむね数マイクロメート(1マイクロメートルは1000分の1ミリメートル)程度。このサイズであれば、光学顕微鏡で観察することができます。
しかし、感染症を調べていく中で、光学顕微鏡を使っても正体がつかめない病気があったのです。
濾過して分離することができないものの、感染性があり、さらに生物の中で増殖する性質を持つ何かが確実に存在する。
こうして確実視された病原体の存在は、オランダ人の微生物学者マルティヌス・ベイエリンク(Martinus Beijerinck)によって「伝染性の生きた液体」と名付けられ、後に「ウイルス」と呼ばれるようになりました。これが、1898年のことでした。
「あくまでもこういった発見は、一連の近代細菌学の延長にあるものでした。それが目に見えるようになって、(今の)ウイルスだと分かるようになったのは、もう少し後、1930年代になります」(山本教授)
ウイルスの姿を初めて捉えたのは、1939年。
電子顕微鏡の発明によって、それまで見えなかった粒子状の物質が存在することが確認されたのです。こうして、感染性を持つ液体であると考えられていたウイルスは、タンパク質の殻を持つ粒子としてその存在が知られるようになりました。
非生物な存在としてのウイルス
国立感染症研究所で撮影された、新型コロナウイルスの電子顕微鏡画像。かつてはこの姿を捉えることができませんでした。
出典:国立感染症研究所
ウイルスは、タンパク質の殻で覆われた内部に、DNAなど(RNAを含む「遺伝物質」とよばれる分子)を持っているだけの非常に単純な「構造物」です。
「DNAを持つ」と言われると、ウイルスも生物の一種だと思う人がいるかもしれませんが、ウイルスは細胞を持たず、単独で増殖することもできません。ウイルスが増殖するには、細胞に侵入(感染)し、その細胞の持つ仕組みを利用しなければなりません。
これが、同じ病原体でも、ウイルスと、自らの力で増殖できる生物である細菌との大きな違いだといえるでしょう。
ウイルスの本体がタンパク質の殻の中に閉じ込められたDNAなどの遺伝物質であるということが明らかになったのは1950年代。アメリカの分子生物学者であるジェームズ・ワトソン(James Watson)らが、二重らせん構造を持つ分子「DNA」が生物の遺伝情報を担う存在であることを確かめたのも、ちょうどこの頃です。
こうして1950年代を境に、分子生物学的な側面から生命科学の進化のスピードが加速しました。
新型コロナウイルスの検査に使われているPCR法や、ゲノム編集といった昨今話題の技術の基礎も、細菌について分子生物学的な側面から研究を行う中で確立されてきたものです。
またこの間、病原体が体内に侵入することで生じる免疫の働きについても、さまざまな理解が進んでいきました。
ただし、研究が細分化されていく中でも、「病原体を見つけて、それをやっつける方法を探す」という基本方針は変わりませんでした。
しかし、山本教授によると、今、感染症の研究はドラマティックに変わり始めているといいます。
それは……(つづく)
※この続きは、9月24日に更新予定です。
(文・三ツ村崇志、連載ロゴデザイン・星野美緒)