佐藤優が悩めるミレニアル世代のシマオに「はたらく哲学」を教えてくれるこの連載。今回は番外編として、安倍政権の考察、新政権の予測を佐藤さんに聞いてみた。
安倍政権の実態は「首相機関説」で説明できる
シマオ:安倍晋三前首相の突然の辞任、そして菅義偉首相誕生と、今月は国内政治に注目が集まりましたね。
佐藤さん:安倍さんの持病の悪化の報道があってからも続投すると見られていましたから、驚きをもって受け止められました。
シマオ:でも安倍政権ってかなり長く続いていましたよね? 僕、社会人になってからは安倍さんしか知らないから、他の政権になるって新鮮です。
佐藤さん:第二次安倍政権発足以降の首相在任期間は、7年9カ月。これは佐藤栄作氏を抜いて歴代最長です。
シマオ:でも、モリカケ問題とか桜を見る会とか、決して安倍さんの評判が良かったとは思えないんですが。なぜ、長期政権になったんでしょうか?
佐藤さん:先の安倍政権は、一言でいえば“システム”を作り上げたからです。特に後半の3年くらいはその傾向が顕著で、私はこれを「首相機関」と呼んでいます。
シマオ:シュショウキカン…? どういうことでしょうか。
佐藤さん:安倍政権下での政策を思い出してみましょう。例えば、北方領土問題では安倍さんは積極的に返還に向けた交渉に取り組んでいた一方で、沖縄の辺野古基地移設問題では基本的にアメリカの言いなりで、沖縄県民に対して厳しいものでした。
シマオ:以前も、沖縄に対する「差別」的扱いだとおっしゃっていましたね。
佐藤さん:直近の新型コロナウイルスへの対応についても、布マスクを配布して大きな反発を招いた一方で、当初は否定的だった10万円の一律給付を実行して一定の支持を集めています。これらを見て分かることは何でしょうか?
シマオ:何か場当たり的というか、一貫していませんね。
佐藤さん:そうです。とても同一人物による政策とは思えない。どうしてこんなに方針の異なる政策が出てくると思いますか?
シマオ:安倍さんが気まぐれだから……?
佐藤さん:いえ。安倍さん個人の気まぐれではなく、それぞれの施策は異なる側近グループがアドバイスしたものだからです。安倍さんには、いくつかの側近グループがありました。それぞれの側近グループが挙げてきた提案に対して裁可するという立場で政策を実行してきました。自分が認めない提案にはプイと横を向いてしまう。これと同じことをしていた人物が歴史上にいます。
シマオ:誰だろう……?
佐藤さん:それが昭和天皇です。戦前から終戦直後まで活躍した憲法学者である美濃部達吉は、そうした天皇のあり方を国家の一機関ととらえて「天皇機関説」を唱えました。私はそれにならって、安倍さんの首相としてのあり方を「首相機関」と呼んでいるんです。
シマオ:つまり、安倍さんは自分のやりたいことに固執せず、側近たちの案からいいと思うものを実行した。だからこそ、政権が長続きしたということなんですね。
佐藤さん:そうです。小泉純一郎氏はそのカリスマで長期政権を維持しました。安倍さんはそれとは違って、システムを作ることで政権を維持したんですよ。
菅さんは首相としてふさわしいのか
シマオ:なるほど。それで新首相に菅さんが決まりましたが、これも僕はちょっと不思議に思っていて……。
佐藤さん:なぜですか?
シマオ:菅さんって、官房長官時代にもあまり首相になる意欲を見せていませんでしたし、その点、岸田さんはずっと安倍さんの下で辛抱強く待っていたような気がしますが……。何か安倍さんが辞任してから突然、菅さんが本命視されたような気がするんです。
佐藤さん:そうですね。ただ、それもシステムの視点から説明がつきます。菅さんが首相になったのは、首相機関というシステムが「主体」だからです。
シマオ:システムが主語というのは、つまり、システムにとって菅さんが都合が良かったということですか?
佐藤さん:はい。安倍さんが長期にわたって作り上げてきたシステムを維持することが、今の自民党にとっては一番の目標です。とすると、逆算的にシステムが維持されるためには誰が首相になるべきかという思考が働きますよね。
シマオ:なぜ、岸田さんや石破さんではダメなんでしょうか?
佐藤さん:石破さんは分かりやすくて、国会議員や地方議員、そして何よりも経団連に基盤がありません。
シマオ:経団連?
佐藤さん:すなわち財界ということです。日本は資本主義国ですから資本家や大企業の支持なくして権力を握ることは難しいでしょう。石破さんが頼るとすれば、それはポピュリズムで、その手法は安倍政権の汚職や腐敗を検察庁とタッグで追及することになる。それはこれまで作り上げてきたシステムを崩すということです。
シマオ:腐敗が追求されるのは良いことだと思うけど……。
佐藤さん:もちろんそれは良いことです。ただ、それは混乱を伴います。国民はそうした混乱を受け入れてでも、綺麗な政治を望んでいるかということになると思います。
シマオ:まあ、特に企業は混乱を嫌がりそうですね……。岸田さんはなぜ本命から外れてしまったんでしょうか?
佐藤さん:これは端的に人気でしょうね。岸田さんはずっと安倍さんの後継者候補に挙がっていたのに、人気がなかなか上がらなかった。ずっと出ていて人気が出ないと、国民の間には「飽き」がきてしまう。それはシステムの維持にとって得策じゃないわけです。
シマオ:新鮮味がなくなりますからね。
佐藤さん:ただ、これは岸田さんのせいばかりではなく、安倍政権がシステムに頼っていたために、後継者作りをする必要がなかったというのも一つの理由だと思います。
シマオ:佐藤さんは、菅さんが首相にふさわしいと思いますか?
佐藤さん:個人の資質というよりは、目下のシステム維持のために最適な人選であるということはできると思います。
新政権の行く先を予測する
シマオ:安倍さんは病気を理由にして辞めたと言っているけど、実はコロナやオリンピック、もろもろの問題から逃げるためとだ、なんていう意見もありますけど……。
佐藤さん:それは憶測にすぎないでしょう。前回、安倍さんは持病をおしてギリギリまで引っ張り、組閣したばかりの最悪のタイミングで辞めて、大きな批判を受けました。その経験があるから、今回はいい引き際を見極めたのだと思います。
シマオ:えっ……あれがいいタイミングだったということですか?
佐藤さん:私はそう見ています。安倍さんは首相は辞任したけど、国会議員は続けるとしています。しかも、人気が低迷して辞任に追い込まれたのではなく、自ら辞したことで、一定の影響力を残すことができる。長期的な視点でベストなタイミングだと判断したわけで、世論調査を見る限り、今のところその判断は正しかったと言えるでしょう。
シマオ:安倍さんって、割としたたかなリアリストなんですね……。でも、安倍政権の成果ってなんかあるんでしょうか。アベノミクスでたしかに株価は上がったけれど、個人はそんなに恩恵を受けたとも思えないし……。
佐藤さん:それは確かにそうですね。アベノミクスの本質は円安誘導だったわけで、GDPをドル建てベースで見た場合にはほぼ横ばいなんです。ただ、株価が上がって一部の富裕層や高齢者は恩恵を受けたし、少なくともコロナ以前の大卒者の就職は「氷河期」と言われた時期に比べて格段に良くなった。そういう意味では、利益を受けた人もいるわけです。
シマオ:確かに、僕よりも一回り上の世代は就職が大変だったと聞きます。でも、高齢者と若者以外には、しわ寄せもありますよね。格差も広がったと言われていますし。
佐藤さん:それについても、実際に格差の広がりはあるものの、どう評価するかは判断が分かれます。というのも、小泉純一郎政権や、もっと言えば民主党政権のほうがより新自由主義的な政策をとっていました。
シマオ:そうなんですか?
佐藤さん:安倍政権は例えば幼児教育無償化などの施策をとりましたし、財政出動や金融緩和に積極的で、格差は全体として広がってはいるものの、それによってこの程度の格差で抑えていると見ることもできるわけです。
シマオ:そうだとすると、自民党に対する野党の立ち位置はどうなるんでしょうか?
佐藤さん:(旧)立憲民主党と国民民主党が再び合流したわけですが、厳しい船出ですね。私の考えでは共産党と協力をするという方針は、政権奪取を考える上では致命的です。
シマオ:なぜでしょうか?
佐藤さん:先ほども言ったように、資本主義国家である日本において「資本家」である財界や大企業の労働組合を敵に回すことはあってはなりません。共産党というのは、今でこそそんな雰囲気はありませんが、結党以来の方針として「暴力による革命」の可能性を排除していないと、少なくとも国(公安調査庁と警察庁)は考えています。
シマオ:暴力革命……。今時、そんなことあるでしょうか?
佐藤さん:もちろん現時点での可能性は低いでしょうが、公安調査庁の見解では「革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする『いわゆる敵の出方論』を採用」しているとされているんですよ。
シマオ:一政党がそんな……ちょっと怖いんですけど。しかし立憲民主党はなぜ共産党と組むのでしょうか?
佐藤さん:それは簡単で、選挙の際の組織票が欲しいからです。共産党なら1~2万の党員組織票があると言われます。これは自民党が公明党と組む理由も一緒で、公明党の支持母体である創価学会の組織票は3~4万と言われています。
シマオ:政治家にとって選挙に勝つことは最重要課題ですもんね……。
佐藤さん:とはいえ、やはり立憲民主党にとっては望ましいとは言えないと私は考えます。
シマオ:なるほど……。ということは、自民党政権はしばらく安泰ということでしょうか?
佐藤さん:いえ、必ずしも安泰とは言えません。安倍さんが作り上げたシステムですから、安倍さんがいなくなればそれが維持されるかどうかは未知数です。そして、菅政権にとって最も怖いのはスキャンダルでしょう。
シマオ:安倍さんの残した腐敗が表面化する?
佐藤さん:それだけでなく、未来のスキャンダルです。それへの対応によって菅さんが「嘘つき」だというイメージを持たれたら、一気に政権崩壊の可能性もあります。そういう意味では、菅政権の「クライシス・マネジメント」の力量が問われます。
「菅首相にスキャンダルを出さない手腕があるか。それで新政権の未来が決まる」と佐藤さん。
シマオ:菅さんの任期は当面残りの1年程度ですけど、その後はどうなると予想しますか?
佐藤さん:一つの可能性は、任期満了の前に解散総選挙に打って出ること。それで自民党が勝てば、正真正銘の菅政権が誕生しますから。ただし組閣から判断すると、来年度予算を成立させることに全力投球することを、菅さんは考えているのだと思います。それでも一部に10月25日に総選挙か行われるのではないか、という観測があります。
シマオ:なぜですか?
佐藤さん:大安だからですよ。
シマオ:大安って、結婚式とかの?
佐藤さん:政治の世界は暦(こよみ)を重視します。自民党が首班指名の臨時国会を開いたのが9月16日、これも大安です。そのあおりで立憲民主党は結党大会を15日にしましたが、これは仏滅。もちろんメディアに取り上げられるためにという理由は分かりますが、政治的感覚が鈍いと言わざるを得ない。
シマオ:今どき暦なんて気にしているんですね。
佐藤さん:ゲン担ぎなんてと思うかもしれませんが、政治の世界、そして現実は水物です。目に見えない要素を大切にするのも、現実を動かす政治の知恵かもしれません。単純に自民党政権が安泰とは言えませんが、そうした観点からも野党が自民党に勝つためには厳しい道のりが待っていると思います。
※本連載の第34回は、9月30日(水)を予定しています。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)