撮影:今村拓馬、イラスト:Singleline/Shutterstock
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理する。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか?
参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、は気軽に読めるようになっています。
今回のテーマは「ギグワーク」。新たな働き方として日本でもギグワーカーが増えていますが、彼らを守る法の整備が追いついていないという問題も。入山先生はこの問題をどう見ているのでしょうか。
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ギグワーカーは使い捨てにされる労働者?
こんにちは、入山章栄です。
今回はBusiness Insider Japan編集部の横山耕太郎さんのこんな質問について考えてみたいと思います。
ギグワークというのは欧米諸国ではすでにかなり普及していますが、これが今、日本にもだんだん浸透してきています。労働者にとってはスキマ時間を使って自由に働けるという利点もあるけれど、企業がより立場的に有利になるところもあり、労働力の搾取につながる可能性があるのではないかとも言われている。
アメリカのカリフォルニア州では彼らの権利を守るための法律もできつつありますが、日本ではまだそこまで至っていないようです。
「内発的動機」を得られる
このギグワークというものを経営理論的に考えてみると、いろいろな切り口があると思います。例えばギグワークをやることで、意外と自己実現になるというパターンもあるかもしれない。
「ココナラ」というインターネットサービスをご存知でしょうか。いわゆるスキルシェアリングで、サービス開始当初のシステムは、1回500円で自分が持っているスキルを他人に売るというものでした(今は500円以外のさまざまな価格設定があるようです)。
横山さんならビジネスインサイダーの編集部にいるくらいですから、文章を書くスキルは高いはずです。だとしたら、ココナラを通じて、つながった人のプロフィール紹介文を500円で書いてあげる、などのスキルを売ることができるかもしれません。これも一種のギグワークと呼べるかもしれない。
実は「ココナラ」創業社長の南章行君は、僕の大学のゼミの後輩という間柄です。だからよく知っているのですが、彼によればこのサービスは、仕事をしたくてもなかなかできなくて、社会とのつながりを求めている人、例えば一部の専業主婦の方などにとって自己実現の大きな手段にもなっているのだそうです。
もともと絵を描くのが得意だとか、文章を書くのが得意というように、人間、誰しもそれなりに得意なことやスキルがあるものです。そういうスキルが人の役に立ち、「ありがとう」と言ってもらえる。仮に対価が500円だとしても、それより誰かに必要とされることが嬉しい。
このように労働を提供する側が得られるお金以外の喜びを、経営学では「内発的動機」(intrinsic motivation)と言いますが、それが多分「ココナラ」の大きな牽引力になっているのです。
ところが自分の時間や重要性の中に占めるギグワークの比率が大きくなっていけばいくほど、そういうピュアな喜びよりも、「生活のために働く」要素が増えてくる。
生活の糧が他にあってそれほど生活には困っていないというなら、「ココナラ」のようなサービスで「500円でもいいから社会とつながっていたい」と思えるかもしれない。しかし、だんだんギグワークの比率が高くなってくると、自己実現や内発的動機の要素は逆に下がっていって、生活の糧になっていく。「社会とつながりたい」という純粋な喜びではなくなってくるわけです。
人間はリスクが嫌い
そこで出てくるもう一つの重要な考え方が「リスク」です。人間というのは基本的にリスクをとても嫌う生き物です。これを「リスク回避性」と言います。
例えば僕は社会人大学院の経済学の授業で、こういうことをやります。
「ジャンケンをしましょう」と言って、学生とジャンケンをする。ジャンケンに勝つか負けるかの確率は、基本的に50%ずつですね。
ここで、「じゃあ100円賭けようよ」と言う。これには「いいよ」と答える人がほとんどです。たった100円だし、勝つ確率は五分五分ですから。50%の確率で100円を失うかもしれないけど、同じ確率で100円が200円になるかもしれない。だから別にやってもいいと思う。
ところが賭け金を1万円に上げるとどうなるでしょう。ほとんどの人が断ってきます。
金額が変わっただけで勝敗の確率は変わっていないのに、「50%の確率で1万円が2万円に増えるかもしれないけど、50%の確率で1万円が0円になるかもしれない」となると、途端に怖くなってくる。
このように人間は、不確実性が高くて「より多く得る確率もあるけれど、失う確率も同じくらいある」という時は、リスクを回避する行動に出るのです。
「ココナラ」に登録するリスクは、せいぜい「登録したのにオファーが全然来ない」というくらいだし、500円なら手に入らなくても痛みは少なくて済みます。
けれど、それに生活がかかっているとなると話は別です。家のローンもあるし、光熱費も食費も子どもの学費も……という状況では、収入が不安定なのはリスクが大きい。それよりも毎月安定して確実に入るお金、つまり固定給が必要になってくるわけです。
従業員のリスクを吸収するのが会社の役割
撮影:今村拓馬
実は経済学あるいは経営学的に考えると、企業には「従業員のリスクを吸収する」という役割があるのです。多くの会社にある、従業員の固定給がまさに典型です。
仮に、会社員の給料が100%歩合給だったらどうなるでしょうか。
例えばすごく優秀な営業担当者がいて、「俺はこんなにたくさん売っているのに、給料は他の同期と同じなんてアンフェアだ」と、会社に掛け合って100%能力給にしてもらったとする。
するとどうなるか。この営業担当者の給料がどんどん上がるかというと、実際にはそうとは限りません。なぜなら物事には常に不確実性があるからです。「自分がいかに優秀な営業マンでも、どうしても売れない」という状況は起こりえます。
例えば、そもそも扱う商品に魅力がなければ、いくら営業力があっても売れないでしょう。天候などの環境も影響するかもしれません。いくらクーラーを売るのが得意な営業員でも、冷夏だったら売れません。
すると極端に言えば、クーラーの営業担当者が完全に歩合給だったら、能力とは関係なく、冷夏には所得がゼロになってしまうかもしれないのです(もちろん逆に猛暑なら、所得は大幅に増えるわけですが)。
人間にはこうしたリスクを回避しようという特性があります。だから固定給を欲しがるのです。
もちろん会社にも不確実性があって、現に今もコロナ禍でいろいろな会社が業績を下げているけれど、従業員にはそれなりに固定給が払われている。このように、経営学(あるいは経済学)からは、「会社とは従業員のリスクを吸収してくれている存在」とも捉えられるのです。
ギグワークを本業にするのはリスクが高すぎる
以上の点から考えると、ギグワークがうまく回る大きな条件は、働いている方にとってそれが本当に収入を得る手段の「一部」である時だけ、と言えるのではないでしょうか。例えば、その方には他にちゃんと本業があってそこで固定給をもらいながら、ギグワークはあくまで副業としてしている時などです。
「お客さんと直につながるのが楽しい」とか、「自己実現も兼ねている」という状態であれば、ギグワークはこれからの時代にすごく適した選択肢のひとつと言えます。
しかし完全にギグワークだけで生活していくのは、リスクが高い。複数の種類の異なるギグワークを組み合わせているならまだしも、「Uber Eatsの配達しかやっていません」となるとかなりのリスクでしょう。
現実問題として、手っ取り早く働こうと思ったらギグワークをするのが一番いい、という状況もある。ではどうすればいいのか。これについてはまた次回、お話ししたいと思います。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。