ややうつむき加減でインタビューに応じる遠野さん。
撮影:今村拓馬
2020年8月に発表された第163回芥川賞を受賞した遠野遥さん(29)。芥川賞受賞作家としては、初めての平成生まれが誕生した。
遠野さんは慶應義塾大学の4年生だった頃から小説を書き始め、2019年に『改良』で第53回文藝賞を受賞し小説家デビュー。2作目にして『破局』で芥川賞に輝いた。
「同年代など若い世代に向けて小説を書いている」と話す遠野さん。芥川賞受賞後の変化から、好きなマンガまで、今最も注目される新人作家に聞いた。
「同世代が考えていることは分からない」
「芥川賞の受賞後も大きな変化はない」と淡々と話す。
撮影:今村拓馬
「『平成生まれ初の芥川賞』は宣伝文句として、目立っていいなと思っています。最年少の受賞記録は、今後も塗り替えられてしまいますが、平成生まれ初はずっと変わらない。『令和生まれ初』も、なかなか先になりますし。
でも、『平成をしょって立つ』という気持ちは全然ない。ただ平成に生まれただけです。同世代の人が何を考えているかも分からないし。ただ、『同世代なら私の小説をおもしろがってくれる人もいるかな』とも思っています」
2020年9月中旬。取材場所となった東京・新宿の紀伊國屋書店にマスク姿で現れた遠野さんは、ややうつむき加減で静かに話す姿が印象的だった。質問に対しては、少し間を置き考えてから答え、時おり人懐っこい笑みを浮かべた。
常に他人ごとのような視点
デビュー作『改良』で文藝賞、2作目『破局』で芥川賞を受賞した。
撮影:今村拓馬
芥川賞受賞作『破局』は、公務員を目指す大学4年生の「私」が主人公。ラグビーで鍛えた強靭な肉体を持つ「私」は、公務員試験の対策の傍ら、母校の高校でラグビー指導をしたり、性欲におぼれる年下の彼女と一日中セックスしたりする。
しかし、「私」が前の彼女と浮気したことをきっかけに、小説は一気に破局に向かっていく。
この小説の面白さの一つが、「私」の視点がどこか奇妙なところだ。例えば、『破局』にはこんな部分がある。
「日吉に住んでいた頃、気になってはいたものの、結局一度も行かなかったパスタ屋だった。しかし、二年も住んでいて行かなかったのだから、気になってなどいなかったのかもしれない」(『破局』)
たとえ自分の感情であってもそれを疑い、なぜそう考えるのかを説明する。
「その上、私は自分が稼いだわけでない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ」(『破局』)
常に他人ごとのようで、虚しさをはらんだ空気が、『破局』には漂っている。
「おそろしいほどに普遍的な小説」
撮影:今村拓馬
今回の芥川賞の受賞については、どう感じたのか?
「同世代から10代くらいを意識して書いているので、上の世代が多い選考委員から評価されるとは思っておらず驚きました。私はおもしろいと思って書いていますが、理解してもらえるとは思わなかったので」
今回の芥川賞は、一線で活躍する作家8人が討議で決定。今回は5つの候補作の中から、高山羽根子さんの『首里の馬』と、遠野さんの『破局』の2作品が選ばれた。
「文藝春秋」(令和2年9月号)に掲載された「芥川賞選評」で、選考委員を務めた作家の小川洋子さんは、『破局』についてこう述べている。
「(主人公の)彼は嫌味な男だ。にもかかわらず、見捨てることができない。社会に対して彼が味わっている違和感に、いつの間にか共感している。もしかしたら、恐ろしいほどに普遍的な小説かもしれない」
また作家の山田詠美さんも、「私にとって一番面白かったのが、これ。(中略)この作者は、きっと、手練れに見えない手練れになる」(文藝春秋、令和2年9月号)と絶賛した。
「山田詠美さんの選評はユーモアがあって面白いんですが、けっこう辛辣(しんらつ)だなと思うこともあります。『山田さんは私の小説を好きじゃないかな』と勝手に思っていました」
一番の変化は「フォロワー」
取材場所となったのは紀伊國屋新宿本店。「今年初めて来ました。こんなにたくさん人が来ていて驚いた」と話す。
撮影:今村拓馬
芥川賞受賞後の変化を聞くと、「生活は別に変わりません。生活が変わるほどのお金が入るわけでもないので」と淡々と言う。
一番変わったと思ったのは、Twitterのフォロワーだという。
「普段自分が聞いていたアーティストやテレビで見ていた人がTwitterでフォローしてくれた。中にはダイレクトメール等で感想をくれる人もいて、うれしいです」
とは言え、Twitterにのめりこむこともない。
「毎日Twitterは見ていますが、30分くらいでしょうか。感想のチェックと掲載情報等のお知らせ、あとは単純に息抜きとして使っています」
2019年9月に開設したアカウントの現在のフォロワーは約6300人(2020年9月15日現在)。受賞後に5000人増えたという。
「1日1ツイートを目安にしています。多すぎても薄まっちゃうし、Twitterばかりやっていると思われるのも、作家として得策ではありません。
SNSを使えば無料で広告が出せるので、やっておいて損はないと思っています。炎上リスクもあるけど、無難なことをつぶやいていれば、リスクも抑えられる」
芥川受賞後の変化を楽しみながらも、冷静に周囲の反応を見ている。遠野さんの言葉からは、小説『破局』に通じるような、どこまでも客観的な温度感がある。
『進撃の巨人』が小説の参考になる
「読みやすさにこだわっている」という遠野さん。作品はさらさらと読めるが、独特の空気感がある。
撮影:今村拓馬
目指している作家像はどんなものなのだろうか?
「一部の文学ファンしか読まない作品は、あまり目指すところではないと思っています。『普段はそんなに小説を読まないけど、遠野さんなら読むよ』と言う人がいてくれるといい」
そのためにも、書くときに「読みやすさにはかなりこだわっている」という。
「そんなに難しい言葉を使わないこと。一文が長くならないようにもしています」
小説を書く上で、マンガも参考になるという。
文芸誌『すばる』で、読んだ本を紹介する連載がスタート。遠野さんが初回で挙げた作品の一つが、人気マンガ『進撃の巨人』だった。
「『進撃の巨人』は面白いです。すごいシリアスで残酷な世界なのに、変なタイミングでボケ、ユーモアが入ってくる。どこまで意識的にやっているのか気になります」
「村上春樹は目指さない」
遠野さんは「マンガやお笑いのコントも小説の参考になる」と言う(写真はイメージです)。
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冒頭のつかみの面白さも、遠野さんが大事にしていることの一つだ。
「『進撃の巨人』は人間と巨人との戦闘シーンが肝なのですが、マンガの始まりからいきなり戦っています」
『破局』の冒頭もこんな場面から始まっている。
「目と目が合って、彼が恐怖を感じているのが分かった。私がこの位置までカバーに来るとは思わなかっただろう。筋肉の付き方は悪くない。背も私よりもいくらか高い。どうしてもっと自信を持って戦わないのか。私に勝ちたいと思わないのか。憤りを覚え、確実に潰すと決めた」(『破局』)
「人間と人間がぶつかり合う、ある意味刺激的なシーンだから、冒頭に持ってきています。大学の日常のシーンから始めると、もったりしてしまうので」
冒頭が面白い作品のオススメを聞いてみた。
「村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』は、つかみがすごく面白いなと思いました。突然変な電話がかかってくるんです。
面白くなるまでに時間がかかる小説もあるじゃないですか? 最後まで読めば面白いけど、最初もったりしているなと。『ねじまき鳥』はつかまれるまでがすごく早かった」
それでは、村上春樹のような作家を目指しているのか?
「目指す作家はいません。誰かを目指すと、独自性がなくなっちゃうので」
「うまくいかなくてもPDCAを回すだけ」
「パソコンに向かって小説を書くこと」が一番大事という話す遠野さん。小説家としての覚悟を感じた。
撮影:今村拓馬
1作目で文藝賞、2作目で芥川賞を受賞。3作目への期待は高まるが、気負いはない。
「うまくいくと思いますが、万が一3作目があまりうまくいかなかったとしても、きちんと評価を行ってPDCAサイクルを回していけばいいだけのこと。
小説はいつも午後6時から午後9時に書くことが多いですが、書けない日は、それでいいかなと思っています。(書く枚数は)全然決めていないし、決めたところで書ける気がしません」
淡々とインタビューに応じる遠野さんだったが、一方で小説に向かう姿勢には、きっぱりとした“覚悟”を感じさせる。
「一番大事なのは、一人でパソコンに向かって小説を書くこと。他のことをやっている暇があったら、パソコンに向かった方がいいと思っています」
文藝春秋に掲載されたインタビューでは、「同年代の人たちが飲みに行ったり、友達としゃべっている時間を、小説を書く時間に充てています。友達はいてもいいし、いなくてもいいですよね」と答えている。
「昔から一人でいるのが好きでした。友だちといると楽しいこともありますが、そうでないこともある。
意識して人に会う必要はないと思っています。普通に生活していればある程度、人とも会いますし、映画を見るとか音楽を聴くとか、ニュースに触れるとか、刺激はいくらでもあります。今はまったくネタには困っていません。ネタに困った時は人に会うことも選択肢の一つになると思います」
(文・横山耕太郎)