米中対立が深刻化する中、菅新政権は中国とどういう距離感で対峙するのか。
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菅義偉新首相は9月20日のトランプ米大統領に続き、25日には習近平・中国国家主席と電話会談し、外交も本格的にスタートさせた。
菅氏は「日中関係の安定は2国間だけでなく、地域、国際社会のために極めて大事」と訴え、習氏も「日本との関係を引き続き発展させていきたい」と応じ、関係改善の流れを継続することで合意した。
中国メディアによると、習氏は会談で「3つの注文」を出し、米中対立激化の中でバランス外交をとる日本に、「振り子」を中国側に向かせるよう求めたい思惑をのぞかせた。
国賓訪問については言及せず
約30分に及んだ日中電話会談は、日本側の申し入れで実現した。中国側の反応のタイミングは、中国にしては驚くほど早かった。
在京の中国外交筋によると、習氏の国賓訪日がこの3月に延期された後、中国側は首脳の電話会談を日本側に求めたが、安倍政権は首を縦に振らなかったという。反応の早さの裏にはそんな事情もあった。
会談では、懸案の習氏国賓訪問については、菅首相は「やり取りはなかった」と記者団に説明した。延期決定後、双方間で日程を詰める作業に入っていなかったからだ。
中国側も、自民党内で国賓訪問に反対する声が根強く、日本の反中世論の高まりも知っており訪問実現を焦ってはいない。菅首相が使った「首脳間を含むハイレベルの緊密な連携」という表現から、「国賓訪問を含む首脳往来の約束は消えていない」と、中国側が受けとめる余地を残したとみることは可能だ。
伝えた「東シナ海情勢」への懸念
2020年1月から8月、中国公船の尖閣諸島周辺への航行は、同期比で過去最多となっている(写真は2015年12月のもの)。
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では会談で、双方が一致したテーマは何か。日本の外務省の発表などによると、
- コロナ対策の連携
- ビジネス関係者の早期往来再開に向けた協議継続
- 北朝鮮による拉致問題への対応で連携
の3点。「東京五輪の開催支持」の習氏発言も、日本側には異論ないだろう。
とはいえ、「初顔合わせ」は合意だけでは済まない。相手側が嫌がる注文や主張も必ず出る。
日本政府筋によると、菅首相は尖閣諸島という名称はあげずに、「東シナ海情勢について懸念を表明」したという。自民党内には香港問題や尖閣諸島周辺での中国公船の活動への政府対応が生ぬるいとの批判が根強く、これに応えた発言である。「アリバイ作り」の意味もある。
第1の注文は台湾
アメリカの閣僚が6年ぶりに台湾を訪問するなど、米台の接近に中国は神経を尖らせる。
REUTERS/Ann Wang
では習氏側は、どんな注文をつけたのか。日本のメディア報道には、それに触れた内容は見当たらない。
注文の第1点は台湾問題である。
中国首脳の発言内容は、共同声明や記者発表がない場合、会談後に配信される国営新華社通信の報道が「唯一の文書」。新華社電によれば、習氏は「中国は日本の新政府とともに、中日間の4つの政治文書の各原則と精神に従い、歴史など重大で敏感な問題を適切に処理(したい)」と述べた。
「歴史など重大で敏感な問題」には当然、台湾問題が入る。トランプ政権が台湾カードを次々に切って台湾海峡情勢が緊張している今、菅新政権が「中国の内政問題」の台湾問題に干渉しないよう中国側としてはクギを指した形だ。
菅首相が安倍前首相の実弟で「親台湾派」の岸信夫氏を防衛相に起用したことに、中国は神経をとがらせており、台湾問題は日中関係でも依然としてトゲになりかねない課題だ。
中国側が菅氏に抱く安心感
中国は菅氏の対中政策に「安心感」を抱いているはずだ。
第1に、菅政権は最重要課題として、「新型コロナウイルスの感染防止と経済再生の両立」をあげた。経済再生では大きな役割を果たすインバウンド(訪日外国人客)政策で、菅氏は増加の旗振り役を担い、対中経済関係を重視してきた。
第2に、菅内閣の「生みの親」の二階俊博幹事長は自民党内では「親中派」の最右翼で、中国との関係改善を進める菅内閣の後押しをするだろう。
総裁選挙中に菅氏が、石破茂元幹事長が唱える「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」の集団安全保障の枠組みについて、「どうしても反中包囲網にならざるを得ない」というコメントを出したのも、中国側に「安心感」を与えているはずだ。
第2はサプライチェーン維持
トランプ政権が強硬に押し進める中国製品・サービスの排除。大統領選を前に対中政策はますます先鋭化している。
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先の新華社電は、日本側が一切発表していない「習発言」と「菅発言」の内容を明かしている。まず習発言の内容。
- (中国は)多国間主義を積極的に提唱、実践し、国連を核心とする国際秩序と国際体系を断固守る
- 日中双方が安定的かつ円滑なサプライチェーンと公平、オープンな貿易・投資環境をともに守り、協力の質とレベルを高めることを希望。
1は「アメリカ第一」のトランプ政権批判。そして2はトランプ政権が進める米中経済「デカップリング」(切り離し)の中で、「股裂き」に苦しむ日本に対し、中国中心のサプライチェーン維持を求める内容である。
生産拠点の移転で日米にくさび
日本政府は4月の新型コロナ緊急経済対策で、中国から生産拠点を国内へ移転するため、総額2435億円を2020年度第1次補正予算に盛り込んだ。5月には国の安全保障に関わる産業への外国投資家による直接投資の監視を強化する改正外為法を成立させた。いずれもアメリカの要求に応える政策だった。
しかし、中国から生産拠点を分散・移転させる企業は、日米ともに10〜20%程度にとどまる。生産落ち込みに伴う収益減少で、移転させる体力はない。さらに、
- 中国の産業基盤の広さとノウハウの蓄積
- 中国という巨大市場の大きさ
などが移転を躊躇させる。コストパフォーマンスから、日米間にくさびを打つ意味もある。
第3はRCEPの年内調印
新華社電はさらに、日本側の発表にはない「菅発言」として
- 日本は中国と意思疎通を緊密にし、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の年内調印を確実にする
- 日中韓自由貿易協定交渉を加速
を主張した、と伝えている。
いずれも安倍政権時代からの主張であり、菅氏が発言したとしても不思議はない。
だが、この部分を中国側があえて「菅発言」として取り上げたところに、中国が菅政権に期待している方向が見える。11月の米大統領選の行く末をにらみながら、アジア太平洋地域の経済外交を、ドラスティックに展開しようとする中国の意欲がちらつく。
特に重要なのはRCEPの早期締結である。トランプ政権はRCEPに全く関心を示さず、中国と国境紛争を抱えるインドも離脱の意思を表明した。調印にこぎつければ、RCEPは中国主導の地域最大の経済連携協定になり、「一帯一路」にも弾みがつく。
一方、安倍前政権が積極的だったのは、トランプ政権が離脱後、日本主導で締結にこぎつけた環太平洋経済連携協定(TPP11)。米民主党のバイデン候補が新大統領に当選すれば、復帰する可能性があり、日米主導の経済連携枠組みになる。TPP11には台湾も参加希望を表明しており、中国も関心を払わざるを得ない。
電話会談を受け、両国は王毅外相の10月訪日の調整に入った。王氏は茂木外相らとの会談で、「3つの注文」を具体的に伝えるだろう。
中国は、安保は日米同盟を基軸にし、日中関係から経済的利益を得るという菅氏の「米中バランス外交」に異存はない。しかし、「バランス外交」はそう簡単ではない。常に「股裂き」の恐れもある。
菅政権がRCEPとTPP11のどちらを優先するかは、「米中バランス外交」の振り子が、米中のどちら側に向くかの「リトマス試験紙」にもなる。
(文・岡田充)
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。