GAテクノロジーズのCEO、樋口龍(37)の最終学歴は高卒だ。20代半ばまで「高卒が一番偉い」と疑わなかった。彼の世界では高卒からプロに進む人材こそがエリートだった。
樋口は小学1年生で野球とサッカーを始め、中学進学時にJリーグFC東京のクラブチームに入った。小6のときにJリーグが発足し、三浦知良などスター選手が生まれた。当時は海外で活躍する日本人選手はいなかったが、「世界的なサッカー選手になる」との目標は早い時点で固まっていた。
強豪・帝京高校に進学し、2年生でベンチ入り。3年生で関東選抜に選ばれた。
「365日のうち363日練習していた。全てを犠牲にしてサッカーに人生を賭けていた」
プロ以外の選択肢はなかったが、高卒時点でプロ契約を勝ち取れなかった。樋口は迷うことなく、Jリーグのジェフユナイテッド市原と育成契約を結んだ。
「大学に入ったら4年間プロになれない。そもそも当時は、大学からプロになる選手がほとんどいなかった」
ちなみに樋口の7つ下の弟、大(現・GAテクノロジーズ取締役)もサッカーに没頭し、中高生のときに日本代表にも選ばれた。兄同様にプロを目指した彼は高卒時点でプロからオファーがなかったため、青山学院大学に進学した。その頃には大卒でプロを目指す道が開けていたからだ。
樋口が選んだ育成選手契約は、プロの練習に参加できるが、給料は出ない。樋口は居酒屋や宅急便配達などのアルバイトをしながら、サッカー選手の夢を目指した。
サッカーエリートとしてプロを目指していた樋口。24歳で諦めるまでは「世界的な選手になる」が目標だった。
提供:GAテクノロジーズ
絶望を希望に変換した本との出合い
だが、樋口は同級生が大学を卒業する年になってもプロになれなかった。高校のサッカー部のチームメイトが日本代表として活躍しているのに、自分は居酒屋でアルバイト生活。劣等感にさいなまれたが、サッカーをやめたら自分の人生を全否定したも同じで、現実を直視できなかった。
夢を諦めさせてくれたのは、練習中のけがだった。
「ありがたいことに、2カ月練習ができなくなり、やっと自分を見つめることができた。けがが治って仮に25歳でJリーガーになれたとしても、世界的な選手になるには遅すぎる」
ただ、「ありがたいこと」と思えるようになったのは、後々になってからだ。けがをしたときは実家にこもり1週間泣き続けた。18年間一つの夢を追ってプライベートも犠牲にしてきた。親は5時起きで弁当を作ってくれ、弟も兄の背中を追ってサッカーをしていた。
両親はこれまでやってきたことを生かせる、体力や根性が必要な職業に就くことを勧めた。樋口自身、通学の電車で見かけるサラリーマンの疲れた姿を見て、「あんな生活は絶対に無理」と思っていた。
仕事を探さなければと焦ったが、「人生が終わった」との挫折感は大きかった。その絶望を「1回目の人生が終わった」という区切りに変えてくれたのは、1冊の本だった。
「サッカー漬けで勉強は全然やらなかったが、親に『本だけは読みなさい』と言われていた。本は面白くて、小学生の頃は東野圭吾の小説、大きくなると自己啓発書やビジネス本を通勤中に読んでいた」
職探しのヒントを得るため、書店で買った中にあった1冊が『志高く 孫正義正伝』だった。
樋口をビジネスの世界へ向かわせたのは、孫正義の評伝だった。
Koki Nagahama / Getty Images
「ビジネスで世界を目指す、そしてテクノロジーで世界を変えるという、孫さんの考え方がすっと入ってきた」
サッカーではなく、ビジネスで世界を目指す道があると分かると、樋口を覆っていた霧が一瞬にして晴れ、次を考えられるようになった。
「2回目の人生は絶対に成功する」
そう決意した樋口は、白い紙に「プロのサッカー選手になれなかった理由」を書き始めた。
「高卒は就活で不利」24歳で初めて認識
「監督に怒られるとふてくされる」「試合中にボールを取られるとふてくされる」「先輩にアドバイスを求めない」「シュートを撃つべきときに撃たなかった」
50項目ほど書き出して気づいたのは、「自分がプロになれなかったのは、技術ではなく思考の問題だった」ということだ。
「反省」を知らず、「PDCAを回す」ことを知らず、「監督にアドバイスを求める」ことを思いつかなかった。
「野球の大谷翔平、イチロー、サッカーの本田圭佑……。彼らが世界で活躍するプロになれたのは、自分が24歳で気付いたことを、小学生のときから気付いていたから。監督に怒られてふてくされたとき、『期待されているから頑張ろう』と考えることができていれば、僕はプロの選手になれていた」
37歳の樋口は、当時をこう振り返る。
「当時は全力でやっているつもりだったが、振り返ってみれば、『絶対プロになるぞ』という気持ちが20歳を過ぎたころからふわっとしだしていた。ここまでやってきたから、それ以外の道を考えたくないから、つまり『やめられない』という理由でやっていた気がする。現実を見るのが怖くて、見ないようにしていたのかもしれない」
1冊の本によって見つけた「ビジネスで世界に出る」という目標。そのためにはまず実力をつけないといけない。
「実力がつく仕事」を調べまくって、外資銀行、コンサルなどに履歴書を送った。
「そこで初めて、高卒が不利だと分かったんですよ」
樋口は、大卒でないと面接にすら進めない企業や職種があることを初めて知った。高卒で正社員を募集している企業は、飲食、アパレル、不動産、建設業界が多かった。樋口が不動産を選んだのは、「単価が高いから一番面白くて難しそう。実力がつく」と考えたからだ。
仕組化できる役員と基礎叩きこむ上司
社員約200人の中堅ディベロッパーに就職した樋口はそれから5年、「日本で3本の指に入るくらい働いた」と自負する。そして「理想の上司」に会った。
「分からないことは人に聞こうという思考に変わったから、上司の言葉がすっと響いたのかもしれない」
「理想の上司」と仰ぐその企業の役員は、自身が入社したときに「一番厳しい組織に入れてくれ」と希望を出したと話していた。樋口は「結果を出してないのに、そんなこと言っていいんだ」と目からうろこが落ち、その企業で一番厳しく、配属された部下が5人連続で1〜2カ月経たずに辞めたと噂されていたマネジャーに電話し、「自分を採ってほしい」と頼んだ。
マネジャーは実際、「今では許されないくらい厳しい上司だった」。樋口も歩いているだけで怒られ、コピー機にもダッシュで向かった。朝7時に出勤し、どこに行くにも走り、退社は深夜2時過ぎ。樋口が耐えられたのは、早く仕事を覚えたい、成長したい、世界に行きたいという熱意があったことと、そのマネジャーが厳しいだけではなく、自身も成果を出し、手とり足取り仕事を教えてくれたからだという。
「時間管理や顧客対応も本当に細かく、ギブスをはめるように仕事の型をしみ込まされた」
一方、樋口が尊敬する役員は不動産営業にありがちな「気合いと根性」を良しとせず、営業に必要な「顧客の現状把握」や「商品企画」を言語化し、誰でも実行できる仕組みを作っていた。
「言語化、仕組化できる役員と、きっちり教え込むマネジャー。この2人がいなかったら、今の自分はない」
そう振り返る樋口は、入社7カ月で100人超の組織でトップセールスになった。
(敬称略、明日に続く)
(文・浦上早苗、写真・竹井俊晴、デザイン・星野美緒)
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。