不動産ディベロッパーに就職して7カ月でトップセールスになった樋口龍(37)は、それから約半年後にマネジャーに昇格した。世界的なビジネスパーソンになり、テクノロジーでイノベーションを起こす夢を描いていたが、エンジニアのバッググラウンドがない自分は、セールスで一番になり、マネジャーで一番になり、とステップを上がっていく方法しか思いつかなかった。
その企業では全力で約5年働いた。2012年のフェイスブックの上場で、初心をふと思い出した。
フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ。自分と年齢が変わらない彼の成功が初心に戻ることを思い出させてくれたという。
Carlos Jasso / REUTERS
「自分と年齢が変わらないマーク・ザッカーバーグが、テクノロジーを使って新しいサービスを生み出し、世界を変えた。まずは力をつけるために修行しようと就職したが、働いているうちに『テクノロジー』の部分を忘れていた。フェイスブック上場のニュースを見て、世界とテクノロジーという2つの初志がよみがえった」
今いる会社は世界を目指していないし、テクノロジーとも遠い。だったら自分で会社を創ろう。樋口は2013年、退職して起業に踏み切った。
就職1年目の弟を説得して創業メンバーに
創業から間もないころ、創業メンバーの3人でサンフランシスコに不動産ビジネスの視察に行った。左から樋口、清水雅史、弟の大。
提供:GAテクノロジーズ
当時、フィンテック(金融)、HRテック(人事)、エデュテック(教育)といったクロステック企業が誕生し始めた頃だった。不動産に強みを持つ樋口は、新会社で「不動産テック」を手掛けることを決めた。社名「GA technologies」のGはgenuine(本物)、Aはambition(野心)を意味している。
とはいえ、樋口にあったのは「高くて薄いビジョン」のみ。具体的な戦略や事業アイデアだけでなく、人脈も学歴もない樋口が創業メンバーに誘いこんだのは、同業他社の古くからの友人である清水雅史(現・専務執行役員)と、弟の大(現・取締役)だった。
清水が仕事にストイックで、常に結果を出すトップセールスマンであることは以前から知っていた。飲みに行って一緒にやろうと数回かけて説得した。
弟は当時、大学を卒業して大手ディベロッパーに就職したばかりだった。両親には「弟を巻き込まないで」と言われた。だが、樋口にとっては「選択肢が清水と弟しかなかった」。
兄弟の力関係で、弟の住んでいるマンションを解約させ、自分の部屋に居候させ、3カ月間毎日頼み込んだ。不満のない職場環境と兄の熱意の間で悩み続けていた弟も、最終的には折れた。
「選択肢が清水と弟しかないといっても、2人とも得難い人材だった。弟は僕とキャラクターが違い、人を引き付ける魅力がある。何としても来てほしかった」
3度の失敗で気付いた「テクノロジーは課題解決のため」
「不動産×IT」で始めた事業は3度失敗した。
Trevor Williams / Getty Images
トップセールスマン2人と不動産業界の経験が浅い大。「不動産×IT」の枠だけは決まっていたが、新規事業は連続で3回失敗した。
2013年、民泊のエアビーアンドビー(Aibnb)が海外で流行り始めていたのを見て、ホームステイのマッチングサイトを立ち上げた。その次はオフィスの保証金を削減するビジネス、そして投資用マンションの比較サイト。全部うまくいかなかった。
2015年まで新規事業を立て続けに失敗し、樋口たちは会社員時代に身に着けていた不動産売買の仲介で、運転資金をどうにか稼いでいた。
「なぜ新規事業がうまく行かないのか」。その理由を教えてくれたのは、シリコンバレーの起業家養成スクール「Yコンビネータ」の創業者ポール・グレアム(Paul Graham)のインタビュー記事だった。
グレアムは「新規事業はプロダクトアウトではなく、マーケットイン。課題に対してテクノロジーを使うのが鍵」と説いていた。
「課題に対してテクノロジーを使う、という一文を読んで、7年やっていた業務の課題を洗い出したら、そこで初めて自分の業界が課題だらけだと気付いた」
スーツを私服に。脱皮するための試行錯誤
樋口が考える不動産業界の大きな課題は、透明性のなさと効率の低さだ。顧客の求める情報が迅速十分に得られず、企業側、セールス側と情報の非対称性が生じている。
けれど、不動産は何度も購入する訳ではないので、顧客は購入時に感じた不満を徐々に忘れてしまう。だから企業側も変わらない。
情報の非対称性を解消し、顧客の利便性を上げるためにたどり着いたのは、「ITを導入し、最初の相談からアフターサービスまでワンストップで効率的に完結するプラットフォーム」だった。
だが、樋口はITは門外漢だった。
「ITエンジニアもアプリ、サーバーサイト、ウェブとスキルが細分化されているのに、僕はそのことも知らず、エンジニアは全部できると思っていた。ウェブエンジニアにアプリ開発を頼んで、できないと『何でできないんだ』という状態だった」
エンジニアと話していても、同じ日本語なのに言語が通じない。でも、テクノロジー企業になることは諦められない。不動産企業から不動産テック企業に生まれ変わるために、「やれることは全部やった」。
まず自分がプログラミング教室に3カ月通い、HTMLやJAVAなど基本を覚えた。IT企業グリーの初期メンバーを顧問に迎え、「IT企業の風土」を取り入れていった。その過程で、自らも不動産営業の基本スタイルだったスーツをやめ、カジュアルな私服で出勤するようになった。
そうして1人、人材紹介会社経由で優秀なエンジニアが採用できた。
「こっちはまだ、ビジネスモデルの戦略も実態もない状態だったけど、自分たちが目指すものを『面白そう』と感じて、ジョインしてくれた」
そのエンジニアが起点となり、リファラル採用で徐々にエンジニアが増えていき、開発チームのひな形ができた。
「2015年から2016年ごろは社員が50〜60人で、構成はセールス8割、バックオフィス2割だった。2018年にセールス8割、エンジニア1割、バックオフィス1割になり、今はエンジニアが3割に増えた」
セールスに強い不動産スタートアップが「解決すべき課題」と方法を見定め、その実行に必要なエンジニアを採用し、チームができた。そこから事業は成長軌道に乗り、創業から5年の2018年、GAテクノロジーズはマザーズに上場し、その年の売上高は200億円を超えた。
(敬称略、明日に続く)
(文・浦上早苗、写真・竹井俊晴)
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。