出典:キッズライン公式HPより
キッズラインが今年になって2人の逮捕者を出したわいせつ事件について社内調査の報告書を出し、SNS発信などを再開させている。 キッズラインは、Business Insider Japanでの一連の報道で指摘した問題点について、今回の報告書でおおむね回答をしている。
筆者とBusiness Insider Japanによる経沢香保子社長へのインタビューでも、指摘したことに対しては一つひとつ対応策を打とうとしている姿勢は伝わってきた。しかし根本的な問題は、「こういう問題がある」ということを外部から指摘されるまで気付かないことではないか。
今回筆者がジャーナリストとしてこの問題に取り組んだのは、たまたまキッズラインが問題を起こしてそれに飛びついたというわけではない。約5年越しの違和感と記者としての後悔があったからだ。
なぜキッズライン問題を取材したのか
CtoC分野における福祉領域の事業は難しいと考えられていた。
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2014年春。私は新聞記者として、働き方改革、女性活躍、保育の質などの取材をしていた。当時クラウドソーシングが働き方を多様化させる可能性を感じつつも、いかにそこで信用を確保できるかについて、専門家や経営者と議論していた。
個人間取引であるCtoC分野は、利用者の評価の蓄積が質を担保する1つの手段になる。しかし、サービスの直接の受け手が子どもや要介護者など自分で声を上げられない領域にはそぐわないとの見方は根強く、当時ベビーシッターによる男児殺害事件(2014年3月に埼玉県富士見市で、インターネット掲示板を介して預かった2歳男児をシッターの男が殺害した)が起こったことは当然その議論に拍車をかけた。
あるCtoCプラットフォーム経営者に「ベビーシッターのようなサービスもいずれプラットフォームでやれるようになるか」と聞いたときのこと。その社長のそれまでのポジティブな態度が急変し、真剣な表情になったのを今でも鮮明に覚えている。
「いや……できたらいいとは思いますが、そもそも対面で提供するサービスには慎重です。子どもの命を預かる領域はよほどの覚悟がないとできないですね」と彼は答えた。
その「よほどの覚悟がないとできない」領域に、2014年7月、名乗りを上げ、株式会社カラーズ(後にキッズラインに社名変更)を立ち上げたのが経沢社長だった。経沢社長はインタビューでも答えている通り、自身がベビーシッター殺害事件が起こった掲示板の利用者だったという。
経沢社長が立ち上げたサービスはその匿名掲示板とは異なり、本人確認や審査をすることで同様の事故が起こらないように対策をしていると説明。そして自身の長女が生まれつき病気を持ち、4歳で亡くなったという経緯に、この人ならやってくれると感じた人も多かったのではないか。
CtoC育児や家事は画期的ではあった
マッチングサービスによる育児・家事の分野での個人間取引(CtoC)は画期的だった(写真はイメージです)。
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家事や育児の分野で、いわゆるシェアリングエコノミーとしてのマッチング型ビジネスが出てきたのも2014年頃だった。
それまでの派遣型の家事代行やシッターは、働き手が家事代行会社やシッター会社に直接雇用されて、ユーザーの元に派遣されるスタイルが中心だった。私自身、取材をかねて自腹で複数社を利用したことがある。
派遣型では、申し込むと、まず社員がヒアリング等のために同伴し、働き手はその社員の指示に従って作業をするという形式が中心だ。安心感が醸成される一方で、一度説明をしたり子どもが慣れたりした後は、同じ人に頼みたいのに指名できるとは限らないという点などが、不便だった。
在宅中にシッターをお願いした3時間のうち、2時間以上子どもがぐっすり寝ているので、洗濯物を畳むなどの家事をお願いできるかと聞くと、「オプション価格がかかるので、本社を通してください」ということもよくあった。
こうした融通の利かなさなどでシッターや家事代行がいまいち浸透しない中で登場したのが、マッチング型だ。こちらは働き手とマッチングプラットフォームの運営会社に、雇用関係はない。ユーザーと働き手はプラットフォーム上でマッチングされるだけで、あくまで個人間の取引になる。
家事であれば、整理整頓のプロやレストランの元シェフが料理の作り置きをしてくれる、シッターであればバイリンガルシッターに英語も教えてもらうなど、働き手の個性を見て依頼する相手を選ぶことができるのは画期的だった。
定期依頼がしやすい家事代行に比べ、シッターは急に必要になることも多い。2015年にサービス開始をしたキッズラインは、女性活躍の呼び声と共働き家庭が増えていくうねりのなかで、需要を順調に取り込んでいった。
信頼できるサービスか
出典:キッズライン プレスリリースより
2015年、キッズラインがサービスを開始。この頃、私は新聞社を退職していたが、フリーランスの記者としてCtoCでの家事代行サービスが出てきたことを記事にしている。その後、私はキッズラインも利用したことがある。しかし、キッズラインについて記事を書こうとは思えなかった。理由は、企業の姿勢に小さな引っ掛かりを覚えていたからだ。
例えば利用価格の分かりにくさ。「1時間1000円〜」と宣伝しながら実際には手数料や交通費、オプション費用などがかかる。宣伝と実態に微妙なズレを覚え、この企業が対外的に発信している内容を信じていいのかどうか、不安を覚えた。キッズラインが投票をもとにシッターを人気ランキング化する(2015年末)、シッターで「年収1000万円も目指せる」(2017年夏)などのキャンペーンを打ち、メディアに積極的に発信し始めると、その違和感は次第に大きくなっていく。
子どもを預かる領域で個々の相性が重要であるにもかかわらず、人気投票や年収稼ぎの競争を煽っているように見える——。実はこの頃に1番最初の告発とも言える企業体質への疑問の声を伝えてくれた人物がいた。
しかし、明らかな違法行為というわけではなく、取り立てて書くほどではない、と私は見過ごしてきた。
2019~20年に内閣府や東京都の補助金事業の対象になったときも、宣伝方法に不適切な点があっても、ネット上や他の書き手の記事で指摘を受け謝罪・修正していたので、改めて記事で取り上げることもしなかった。
今回わいせつ事件が起こった時に、取材をし始めた背景には、当時の自分の違和感や告発してくれた人の懸念を何らかの形で表に出すことができなかった後悔があった。
少なくとも利用者に警鐘を鳴らしていたら、今回の事件を防ぐことができていたかもしれないと思うと、被害者の子どもたちとご家族に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
今回また見過ごしたら、一体いつ会社は気付けるのか。誰も取り上げなかったら、同じことが繰り返されるのではないか。
私は以前キッズラインへの懸念を示していた人物にも再び連絡を取り、遠隔で取材をし始めた。その後、取材を始めた時は想像もしなかった数の、そして想定以上の内容の告発が、私のもとに舞い込むことになる。
社外取締役は「上場おじさん」
「キッズラインの安心安全対策10箇条」の一部。
出典:キッズライン公式HPより
今回のキッズラインの登録シッターによる性犯罪事件について、私はこうした経緯から一貫して「運悪く小児性愛者が紛れ込んだ」問題ではなく、「安心安全」「クオリティ審査しています」と言った内容を含むキッズライン社の発信、そしてそれを担保するための仕組み、そして企業体質が信頼できるものなのか?という視点で見てきた。
社長が取材に応じ、報告書が出て、一区切りついた印象はあるが、報告書についても「第三者調査を求めてきたのに残念」と語るなど、被害者家族だけでなく、納得していない関係者は多い。
そしてやはり気になるのは、これまでずっと私や告発をしてきた人たちが覚えた違和感を、社内で指摘する人はいなかったのかということだ。指摘できる社風になかったのか、指摘しても聞く耳を持たなかったのか。それはこれから変わるのか。これは、社長個人の問題ではなく、会社のガバナンスの問題であると私は思う。
経沢社長以外のキッズライン役員の存在感は薄い。離れていく役員・社員も多く、経沢社長は孤独だったかもしれない。しかし、創業者で設立に対する思いがある人物なのであればなおさら、実務面で支えるブレーンや、時に質のことを気にかけブレーキをかける人物が組織には必須である。
9月になり社外取締役の2人がFacebookに事件後初めてキッズラインについての投稿をしている。しかし、彼らはキッズライン側が自社の宣伝記事で「上場おじさん」と呼ぶ株主であり、保育の質や安全に対する視点を持ち合わせているようには見えない。
経沢社長や多くの社員が女性であることで、子どもを持つ親側の視点は十分確保されていると思ったのかもしれない。しかし、女性比率が高ければいい、ワーキングマザーが入ってさえすればいいというわけではなく、多様な視点が入り、ガバナンスが効くことこそが重要である。
社会に必要とされるサービスとは
働く女性には仕事と育児の両立という負担が求められることが多い。
Getty Images/ kohei_hara
このような事件があってもなお、キッズラインを使わざるを得ない人はいる。それは社会に十分な保育の受け皿がないことによる国全体の問題ではある。しかし、そのように社会に必要とされるサービスだからこそ、心から、経営の基盤を整えてほしいと思う。
7月中旬、大手福利厚生のベネフィット・ワンは、キッズラインが提示している安全対策に対し追加の安全対策を依頼し、それを満たすことが確認できるまで、新規利用者へのキッズラインの紹介を停止している。東京都の補助事業も現在は新規利用を停止中だが、東京都も内閣府の補助金も対象事業としての認定は取り消しになっていない。行政も含めたステークホルダーが、抜本的な改善を求める必要もあるのではないか。
今回、声を上げた被害者家族、利用者、そして私を含む報道関係者はほとんどはワーキングマザーだ。誰も、育児を外部化する火を消してしまいたいわけではない。経沢社長を引きずり下ろしたいわけでもない。でも、基盤を整えるためには、より基盤の整った会社に売却すること、経営陣を刷新することなども含めて、検討をしてほしい。
利用者側も、「安心安全」という言葉やキラキラした発信に惑わされてはいけないこと、また国や自治体の補助金があるからといってお墨付きがあるというわけでではないという悲しい現実を痛感した。行政も受け皿の数だけを拡大させるのではなく、保育の質と子どもの安全を守る枠組みへの責任を果たしてほしい。私は私で、ジャーナリストとしてできることを引き続きしていきたい。
(文・中野円佳)