「教養」「学び直し」と、昨今の「教養ブーム」に押されるように、歴史やアートの本を買ったシマオ。しかし大して読まないまま、積ん読となることも多く……。「教養は身に付けたいけど、この方法でいいのだろうか?」といまいち自信が持てないシマオは、教養人になるために必要なこととは何かを、佐藤優さんに聞いた。
「教養」の前に、「修養」を身に付けることが大事
シマオ:こないだ電車に乗っていたら、吊り広告に「これからのビジネスパーソンには教養が必要だ」って言葉があって、ハッとしたんですよ。僕に教養なんてあるだろうか……って。ビジネス書とかでもリベラルアーツが必要だと書いてありますし。どうしたらいいんでしょう?
佐藤さん:そもそも、「リベラルアーツ」という言葉はどういう意味か知っていますか?
シマオ:何でしょうか……?
佐藤さん:リベラルというのは自由、アーツつまりアートは技芸や技術という意味です。ヨーロッパの大学で「自由七科」と呼ばれていた、文法や修辞法、それに算術や幾何学、天文学などを指します。奴隷ではなく自由人として生きていくために必要な実践知識のことで、それが教養と呼ばれるようになりました。
シマオ:なるほど。数学……文系の僕には厳しいからやっぱり教養がないってことですよね……。教養を身に付けるにはどうしたらいいんでしょうか?
佐藤さん:そもそも、教養と言うのは身に付けようと思って身に付けるものではなくて、結果として身に付いているものなんです。そして、教養が身につくためには、前段階として修養が必要だというのが私の考えです。
シマオ:修養?
佐藤さん:戦前の教育においては、教養と修養を分けて考えていました。大学や専門学校・高等学校以上の人たちに必要とされたのが教養です。尋常小学校や高等小学校では、教養ではなく修養が必要とされました。
シマオ:修養っていうのは、つまり道徳ってことですかね? 「修身」って言葉は聞いたことがあります。軍国主義の考えを教え込まれるイメージですが。
佐藤さん:修身には軍国主義の要素がありましたから、戦後廃止されて「道徳」となりました。それによって修養の部分も失われてしまったと感じます。「修養」には勉強だけではなく、人格を高める努力をするというニュアンスがあります。「教養」はそれに、高度な知識が加わるといったイメージでしょうか。
シマオ:なるほど。ちなみに修養の中身って、どんなことですか?
佐藤さん:「人の話は最後まで聞きましょう」「乱暴な言葉遣いはやめましょう」「嘘をつかないようにしましょう」「挨拶をしましょう」……。
シマオ:当たり前なことばかりですね。
佐藤さん:そう、当たり前なんです。でも、その当たり前なことができていないと教養は身に付かない。最近の「教養ブーム」では、教養を単なる知識として、マニュアルのように身に付けようとしているところに間違いがあるんです。
シマオ:つまり、修養の上に教養を積み重ねるものだということですね。
本当の教養は、道具としての知識とは違う
佐藤さん:シマオ君が見た「教養がないと危ない」という宣伝文句は、単なる「脅迫としての教養」で、問題の立て方や構えがそもそも違うんです。それと本当の教養はかけ離れたものだということは認識しておいたほうがよいでしょう。
シマオ:そうか……。つい、「教養が必要だ」と言われると、歴史とか政治とか、それっぽい本を買って、結局読まない……って感じになっちゃって。
佐藤さん:ですから、いわゆる教養本の中には、とても著者に教養があると思えない単なるマニュアル本があるので注意してください。「身に付けなければ」という義務で学ぶ知識は文化住宅の「文化」に近いものにすぎません。
シマオ:文化って、カルチャーという意味ですか?
佐藤さん:いえ。そう言えば、シマオ君みたいな若い人は文化住宅を知らないですね。
シマオ:初めて聞きました。
佐藤さん:文化住宅というのは、1960年前後の高度成長期に主に関西で建てられた集合住宅です。激増する住宅需要に応えるために、それまでの長屋とは異なり、各部屋にトイレや風呂がついていました。現在残っている古いアパートを想像するよいでしょう。
シマオ:最低限の文化的な生活……ですかね。
佐藤さん:そうです。単に道具や設備としての知識をつけるだけでは、真の意味での教養とは言えないいびつなものになってしまうでしょう。
シマオ:分かりました。とはいえ、僕もできれば教養がある人間になりたいなあ……。どうしたら佐藤さんみたいに教養が身に付くんでしょうか。
佐藤さん:私の場合は「教養」ではなく「狂暴」ですから。
シマオ:そんなことありませんよ(笑)。
佐藤さん:実際、我々作家はどちらかと言えば偏った人間が多いんです。教養のある人はバランスの取れた人……例えば池上彰さんような方でしょうね。
シマオ:池上さんですね。確かにいろいろな面に精通してますものね。他に教養がある人って、どこを見れば分かりますか?
佐藤さん:例えばですが、腕も良くて思いやりのある名医を想像すると分かりやすいかもしれませんね。医者というのは当たり前ですが、医学部入試や国家試験に合格するだけの知識を持っています。でも、頭がいいだけで冷たい医者に診てもらいたいですか?
シマオ:やっぱり、患者の気持ちに親身になってくれる人がいいですよね。
佐藤さん:そうですね。だから単なる頭の良い人というだけじゃなく、患者に寄り添う修養的な側面を兼ね備えた人が、本当に教養ある名医と呼ばれるわけです。 亡くなった日野原重明先生は、非常に教養ある方で、それは彼がよど号事件で人質になったときの手記を読むと、人間に対する非常に鋭い観察眼を持っていたことが分かります。
シマオ:確かにそうですね。ただ、何だか日本の政治家や企業人のトップって、あまり教養があるように思えないんですよね……。
佐藤さん:そう見えても、ある一定レベル以上の政治家は教養人であることが多いように思います。特に政治家の場合は、教養を隠す知恵を身に付けているんですよ。
シマオ:どうしてですか?
佐藤さん:教養をひけらかすと、大衆の人気を得ることができないからです。もっとも、最近は隠しているのではなく、本当にない人もいるようですが。
社会人が大学院で学び直す前に考えるべきこと
シマオ:今は、社会人で「学び直し」をする人が増えていますよね。僕の先輩にも、働きながら大学院に通い始めた人がいます。
佐藤さん:いわゆるリカレント教育がブームですね。
シマオ:やっぱり、これも教養をつけたいという人が増えているからでしょうか?
佐藤さん:そうですね。気持ちは分かりますが、ここでもやはり「何を学ぶか」ということに注意しないといけません。往々にして、学ぶことそのものが目的化してしまっていることがあります。
シマオ:どういうことでしょう?
佐藤さん:例えば、会社では思うような仕事を与えられなくて、いわゆる窓際扱いされている。それなりの大学を出て、有名企業に入っているから、不満はあるけど会社は辞められない。そんな人が大学院に入り直して、興味のあった宗教学を学ぶ。それで、大学院を終えたら、その人は会社で活躍できると思いますか?
シマオ:あんまり、仕事と関係ないですよね……。
佐藤さん:そうです。ではMBA(経営大学院)ならいいかと言えば、そんな単純でもありません。机上で学んだからといて、仕事に活かすことは実は難しいからです。簿記や宅建など仕事に直結する勉強をしたほうがマシで、それならば専門学校でいいわけです。
シマオ:でも、大学院を卒業すれば、それなりに転職市場とかでも役に立つんじゃないでしょうか。
佐藤さん:大学院というのは、もはや肩書きにはなりません。今はどの大学院入試も学部入試よりやさしくなっているからです。一昔前は「学歴ロンダリング」などと言われましたが、それは不可能なんです。企業の人もそれを分かって見ています。
シマオ:大学院を出ているかどうかではなく、何を学んだかが重要ということですね。
佐藤さん:仮にシマオ君が特に目的もなく大学院で学び直しをしようと言ったら、私はお金も時間もムダだからよしたほうがいいとアドバイスするでしょうね。
シマオ:では、今の僕にできることって何でしょう?
佐藤さん:5年、10年の長いスパンで自分のなりたい姿を考えてみてください。そこから逆算して、自分に必要だと思われることを中心に勉強するようにしたほうがいいでしょう。
シマオ:分かりました。そのうえで、できれば具体的な学び方も教えてほしいのですが……。
佐藤さん:では、次は学び方の話をしていきましょう。
※本連載の第34回は、10月7日(水)を予定しています。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・松田祐子)