撮影:今村拓馬、イラスト:Singleline/Shutterstock
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理する。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか?
参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
前回に引き続き、「ギグワーク」という新たな働き方について考えていきます。スキマ時間を使って自由に働けるメリットがある半面、ギグワークだけで生活を成り立たせるのはリスクが高い。こうした問題に直面するたび、日本には「NX」が必要だと入山先生は言います。さて、NXとはいったい……? 先生の話は予想外の方向にまで飛躍します。
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マックの前でウーバーイーツが待機している理由
こんにちは、入山章栄です。
前回はBusiness Insider Japan編集部の横山耕太郎さんから、Uber Eatsの配達員に代表されるような「ギグワーク」という働き方をどう思うか、というお題をいただきました。
僕が前回お話ししたのは、次のようなことでした。
お小遣いとか副収入を得るのが目的でギグワークをしているうちは、それが自己実現になる可能性もあって比較的うまく回る。けれど、ギグワークだけで生活を成り立たせようとするまでやると、それはリスクが高すぎる。
人間はリスクを怖がる生き物なので、不安定より安定を求める傾向がある。実は経済学・経営学の視点では、企業とはそのような従業員の直面しかねない不確実性(大幅な市場の変化による給料の大幅な下振れなど)を従業員を正規雇用化することで減じる、つまり「従業員が直面しかねないリスクを引き受ける役割」があるのだ——という話でした。
しかし今は企業が正規雇用を減らしている時代です。そこでは、手っ取り早く収入を得るにはギグワークしかないという現実もあるはずです。そうなると、ギグワーカーはリスクの高い働き方と知りながら、それを続けるしかないということになります。
横山さんはギグワーカーをあっせんする会社や、その会社を通じて働く人たちに取材をしたそうですが、そのあたりの実情はどうだったのでしょうか。
まるで終電から降りた乗客を駅前で待つタクシーの車列のような状態ですね。
横山さんによれば、今回のコロナ禍で、飲食や宿泊業の仕事を失った人たちの相当数がギグワークに流れたそうです。
ということはギグワークが雇用の受け皿になっている面もある一方で、ギグワーカーたちはさらに不安定な、リスクの高い働き方に移行してしまったともいえる。やはり政府や企業による、病気やケガで働けなくなったときの保障は不可欠でしょうね。
ギグワーク問題にもある「経路依存性」
とはいえ、このような過去にない働き方に対しては、保障の制度設計がなかなか難しい。「どこからどこまでを仕事とみなすか」「固定給がある人の副業はサポートしなくていいのか」「複数の会社から仕事を請け負っている人のサポートはどの会社が負担するのか」など、線引きに迷ってしまいそうです。
Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは、社会の制度変更が急務なのに、それができない理由として、以前私が解説した「経路依存性」を挙げています。
常盤さんがおっしゃったことはすごく重要で、まさに経路依存性について、僕も最近さらに考えるようになっています。
「経路依存性」をおさらいしてみましょう。企業・社会というのはさまざまな要素が複雑にからみ合ってできています。うまく噛み合っているから、スムーズに機能する訳ですね。
ただ、逆に言えば、その中のどこか1つだけを「時代に合わない」などの理由で変えようとしても、他が噛み合っているのでなかなか変わらない、あるいは変えようとすると不都合が起きてしまう。これが「経路依存性」と言われるものです。だから、何か1つ変えようと思ったら、そこだけではなく、全体を変える必要があるのです。
僕は経営学者なので、これまでは「企業というのはいろいろなものが組み合わさっていて、経路依存性があるからなかなか変化できない」というふうに、「企業」という単位で経路依存性を話すことが多かったのです。
しかし、実はこれはギグワークに関しても言える話です。なぜなら、これは日本という社会全体が経路依存性に陥っているから、ギグワーカーに課題が生じる、と捉えられるからです。
日本はこれまで長らく、正規雇用労働者と終身雇用制度を前提としてきました。一律の社会保障や組合といった制度で、ある意味、会社が社員の人生を保障していた。われわれの社会システム全体が、今までは正規雇用や終身雇用の前提でがっちり噛み合って動いていた訳です。
そこへギグワークのように新しい仕組みが突如として現れると、それをサポートするまったく新しい仕組みが必要になります。それは例えば新しい社会保障かもしれないし、ギグワーカーの権利を保障する組合かもしれない。
「正規雇用・終身雇用」が当たり前だった時代は終わったが、経路依存性に阻まれて制度は旧態依然としたままだ(写真はイメージです)。
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しかしこれをギグワークに関してだけ進めようとすると、経路依存性に阻まれて社会全体として対応することができません。結果、イギリスなどで起きているように、ギグワークに生活を依存してしまっている方々が非常に苦しい立場に立たされてしまうということが、日本でも起き得る訳です。
だから、「これまで正規雇用労働者を前提としていたものにギグワーカーも混ぜる」というだけでは意味がなくて、社会保障などを含めギグワーカーをサポートする社会全体の変更が必要だということになります。ただ、それが難しい訳ですね。これが経路依存性の課題です。
日本は長らく「何のために」を教えてこなかった
加えて言えば僕は、ギグワーカーに関しては社会保障などの問題すら超えた、さらに大きい視野の、「国家レベル」での発想の転換が重要ではないかと思っています。例えば「教育」はその最たるものでしょう。なぜか。
前回も述べたように、僕はギグワークの一番重要なポイントは、「お金を稼ぐため」というより「自己実現」のために有用な手段、ということにあると思います。
これからの時代は不確実性が高く、正解がない時代。こういう環境では、ギグワークに象徴されるように雇用もますます流動化していきますから、見方によっては「自分のやりたいことができる時代」とも言えます。
ただこれは裏を返せば、「自分のやりたいことは何か」をそもそも明確にする時代とも言えます。人は自分がやりたいことをやらないと持続しないからです。
昔のように、ひとたび会社に正社員として入ったらそこに居続けて、上から降ってきた仕事をこなすだけという時代ではもうありません。だからこそ自己実現が重要になるのです。
前回お話しした「ココナラ」のように、ギグワークや副業を通して自分のやりたいことをやると、「自分は自己実現ができている」「人の役に立っている」などの自己効力感が生まれます。これが、ギグワークや副業が持つ重要な意味のひとつだと僕は考えます。
だとすると、「そもそも自分がやりたいことって何だっけ」ということを考える必要が出てくる訳ですが、日本の教育は長い間そういうことを考えさせてきませんでした。
それを端的に表しているのが「将来の夢」。みなさんも小学生の頃までは「将来の夢」を作文で書かされた経験があるでしょう。けれど中学校ではどうだったでしょうか。高校では?
中学に入ると途端に「将来の夢」を聞かれなくなるのはなぜなのだろう(写真はイメージです)。
milatas/Shutterstock
小学校ではさんざん将来の夢を聞かれたのに、中学や高校へ行った途端、「自分の夢を語るなんて青臭いことをしているくらいなら、偏差値が1つでも高い高校や大学を目指しなさい」と言われ、ひたすら「正解」を求める勉強をさせられる。これが日本の教育の現実です。
もちろん、勉強自体が悪いと言っている訳ではありません。しかし一方で、僕は今の日本の中等教育には危惧を覚えます。これからは自己実現が必要な時代だというのに、「そもそもあなたは何をしたいのか」「将来どんなふうに社会で自分を表現したいのか」ということを問わない教育になっているからです。
もっと多様な人に会い、多様な経験をして「そもそも自分は何をしたいんだっけ」ということを考えさせることが、実はものすごく重要なのではないでしょうか。
今の日本に必要な「NX」
そう考えると、僕はこれから教師の役割も大きく変わってくるはずです。単純に正解を教えるよりも、「あなたは将来どういうことをやっていきたい?」「何をすれば幸せ?」と、生徒に自分のやりたいことを気づかせ、自己実現を促す必要があるからです。
つまり、コーチングです。僕はこれからの教師というのは、コーチでありファシリテーターになるべきだと思っています。
正解がない時代に、生徒一人ひとりに自分がやりたいこと、実現したい自己とは何かと考えさせる。そういう時代になった時、本当の意味で「ギグワーク」という働き方がハマってくるのではないでしょうか。
撮影:今村拓馬
僕がリスペクトしている経営共創基盤の冨山和彦さんは、DX(デジタル・トランスフォーメーション)ならぬ「CX(コーポレート・トランスフォーメーション)」とおっしゃっています。それにあやかって僕が最近言っているのはNX、つまり「ナショナル・トランスフォーメーション」です。
僕がここで言いたいNXというのは、国レベルの広範な意味でのトランスフォーメーションです。その中には、社会保障のトランスフォーメーションにとどまらず、一人ひとりに実現したい自己を問うような教育のトランスフォーメーションや、もしかしたら親のあり方とか社会的な風土とか、そういった広範にわたる変革も含まれます。
今回のテーマである「ギグワーク」をきっかけに見えてきたのは、経路依存性に阻まれてトランスフォームしきれずにいる日本の社会システム全体には思い切った変化が必要だということです。それは教育にまで及びます。
「日本は変わらなきゃいけない」という議論は今に始まったものではありませんが、特にこれからの時代はその重要性がさらに増してくるでしょう。
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撮影:今村拓馬
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。