明治から続く老舗ハンコ店「福島印房」。店先には「ペイペイ使えます」の文字が。
撮影:西山里緒
「ハンコ、すぐになくしたい」
河野太郎行革担当大臣の発言が注目を集めるなか、「ハンコの日」でもある10月1日、改正・電子帳簿保存法が施行された。
電子帳簿保存法とは、納税者の負担を軽減するために、帳簿書類の電子データなどによる保存を認めるもの。今回の改正で電子データ保存要件を緩和し、経理業務のペーパーレス化を促進する。
デジタルトランスフォーメーション(DX)やテレワーク推進に向け、官民両方から「ハンコ廃止」の流れが強まるなか、全国のハンコ販売店は、時代の流れとともに消滅するしかないのだろうか?
全日本印章業協会(全印協)の副会長であり、自らも明治時代から続く老舗ハンコ店を経営する福島恵一さん(47)に、今の率直な想いを聞いた。
「祖父がかっこよかった」明治から続く家業を24歳で承継
Zoomで取材に応じてくれた福島さん。「消費者に親しみを感じてもらうため」47歳の福島さんが 取材対応を担っているという。背景で踊っているのは、全印協公式キャラクター「印太郎」くん。
筆者撮影
福島さんは、1892(明治25)年創業のハンコ店・福島印房の4代目。東京の下町・上野でハンコを彫る祖父の背中を見て育ってきた。
「もう、祖父がかっこよかったんです。彫っている姿はもちろん、地方から出てきた弟子に教えているのも見ていて。国から『現代の名工』にも選ばれていましたし、憧れがありましたね」
家業を継ぐように言われたことは、一度もない。しかし中学校に上がる頃には、ハンコを彫れるようになっていたという。
「書道の作品に押す落款印を作りたかったんです。『おじいちゃん、教えてよ』と祖父に頼んで字を入れてもらい、それを彫刻刀で掘ったのが始まりです。学校では版画を作る授業があったんですが、あんなの余裕でしたね(笑)」
大学生になった福島さんは、バブル期で繁盛していた家業を手伝うようになった。卒業後は製薬会社に就職するが、父の病気をきっかけに家業を継ぐ決意をする。24歳のときだ。「祖先が築いてきた印鑑文化を守りたかった」と、当時を振り返る。
福島印房では、「ハンコの供養」も無料で提供している。
撮影:西山里緒
ところがハンコの売り上げは、バブル期をピークにすでに減少傾向へと向かっていた。福島さんはその背景を次のように語った。
「人口減少に加えて、一人が持つハンコの本数が減ったことも要因だと思います。今は実印と銀行印と認印、多くてもこの3本ですよね。でも昔は、一人5〜10本のハンコを持っている人もいた。複数の団体で理事をしていて、団体ごとに議事録に押すハンコを変えている人がけっこういたんです」
福島さんは法人向けの印刷の仕事を拡大し、ハンコの売り上げ減少分を補いつつ、老舗の看板を守ってきた。売り上げの減少ペースが常に緩やかだったのは、長い間ハンコが生活必需品だったからだ。
全印協の想い「切り捨てないで」
河野太郎行政改革相は9月23日のデジタル改革関係閣僚会議で「ハンコをすぐになくしたい」と発言した。
Reuters/KIM KYUNG HOON
「ハンコ業界は、行政とともに歩んできた」 —— 。福島さんには、そんな自負がある。
そもそも今のハンコ産業は、明治時代に政府がさまざまな書類に捺印を求めるようになったことから自然発生的に生まれた業態だ。
だからこそ、河野行革担当相の「ハンコ、すぐになくしたい」発言には衝撃を受けた。
「そうした歴史的背景を踏まえずに、いきなりバサッと切られてしまうと、おいおいと。全国に10万人近くいる僕らの仲間のためにも、ご発言に関しては考えてほしいと、河野大臣に要望しました」
そんな福島さんの想いをよそに、社会の「脱・ハンコ」の動きは加速している。
「改正・電子帳簿保存法」施行前日の9月30日には、株式会社ROBOT PAYMENT社が主導する「日本の経理をもっと自由に」プロジェクトチームが嘆願書を経産省に提出。IT導入補助金の拡充と経理部門へのIT導入促進を訴えた。
背景には、緊急事態宣言中も「紙の請求書業務」などを理由に、約7割が在宅勤務できなかったことがある。
「日本の経理をもっと自由に」プロジェクトチームによる、経済産業省に提出した嘆願書を掲載した朝日新聞の広告。賛同企業数はワークスアプリケーションズ、GMOあおぞらネット銀行など100社。
提供:ROBOT PAYMENT
こうした動きに、福島さんは一定の理解を示す。
「確かに、今までいらないものにもハンコを押していた感はありますよね。最近荷物の『置き配』が広がっているのは、今まで押していた受け取り印がいらなかったからじゃないですか。
今回の見直しで行政が『この場合はハンコが必要で、この場合は不要』とはっきり言ってくれたら、ハンコが本来持つ『本人の意思表明』などの意味合いが強まり、より本来の使い方をされるようになるのかなと」
実は…ハンコ店の副業でスポーツインストラクターも
新型コロナウイルスの影響もあり、ハンコ店の路面店の売り上げは激減。需要はオンラインに流れたという(写真はイメージです)。
shutterstock/Ned Snowman
ハンコ販売の路面店は4月以降、売り上げが激減。「オンラインのハンコ屋に完全に流れた」(福島さん)。外国人観光客が多い地域では、外国人を対象とした企画を展開していたハンコ店もあったが、当面はインバウンドの売り上げは見込めない。
ハンコ店は今後、どのような生存戦略を取るべきなのだろうか。そう問うと、福島さんの回答は意外にも前向きだった。
「多角的にチャレンジしていかないといけない。従来は印刷業もするハンコ屋が多かったわけですが、全く新しいことをやるのもあり。もともとハンコ屋さんは、不動産業など別の仕事をしている人が多いんです。自分はスポーツインストラクターの仕事もしているので、その会社を立ち上げようかなと考えています」
さらに、新規参入の少ない業界ならではの強みも教えてくれた。
「ハンコ屋の特性として、その地域にずっといる人が多いんですよ。地域に根ざしていて、人とのつながりがすごく深い。町内会長とかをやっている人も多いです。お互いに困ったことがあれば支え合える。つながりが密な分、ハンコ屋はけっこうしぶといと思いますよ」