出典:WHO
世界で大流行を続けている新型コロナウイルス。
なぜ、このウイルスはこれほど広範囲に広がってしまったのでしょうか。そして私たちはこれから先、世界を大混乱に陥れてしまう新型コロナウイルスのような感染症の脅威に、何度晒されなければならないのでしょうか。
大流行する感染症とはどういったものなのか、長崎大学の山本太郎教授に聞きました。
パンデミックの方程式。流行を決める2つの要素とは?
新型コロナウイルス感染症の1日あたりの感染者と死者数。世界では連日、20万人〜30万人の新規感染者が確認され、5000人程度が死亡している。
出典:WHO
「ペスト、コレラ、結核、はしか、HIV、インフルエンザ、マラリア……」
どれもこれまでに世界的に広く流行し、多くの人の命を奪っていった感染症です。
世界を混乱の渦に陥れている「新型コロナウイルス」は、10月1日の段階で、世界での感染者が3350万人、死亡者は100万人を超えています。その数はいまだ増え続けており、収束の目処は立っていません。
世界で数千万人が死亡したとも言われているペストやスペイン風邪(インフルエンザ)と比べると、その被害はまだ小さいといえるかもしれません。しかし、これほど医療が発達した現代においてなお、これだけの被害を与え、社会を大混乱に陥れた新型コロナウイルスもまた、間違いなく人類史に刻まれる感染症といえるでしょう。
1918年、スペイン風邪が流行した当時のようす。カンザス州の米陸軍の兵士の間では、感染者は回復するまで隔離されていた。
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このような世界的に大流行する感染症は、過去にもたびたび発生してきました。
山本教授は、どんな感染症も次の2つの要因が重なった時に、流行するといいます。
一つは、その感染症の原因となる病原体が、人の生活圏に入ってきやすくなること。
そしてもう一つは、感染が広がる要因が増えること、つまり、人と人の交流の増加です。
かつては「パンデミック」は起きにくかった?
たとえ感染症にかかっている人がいても、関わり合いがなければ感染は広がりません。昔は集団同士での交流が少なかったため、集団をまたぐような感染の広がりは起きにくかったと考えられます。
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「感染症の病原体は、人と人の『インタラクション』によって広がっていきます。人づてに広がっていく感染症の特性は、感染症の付属的な性質と言ったほうがいいのかもしれません」(山本教授)
例えば、人がまだ狩猟・採集を中心とする生活を送っていたとされる1万年以上前。
感染症の原因である細菌やウイルスなどの病原体は、その時点ですでに地上に存在していました。
ただし、
「かつて人類が狩猟生活を送っていた頃は、感染症の数はそれほど多くはなかったのではないかと思います。感染症が増えてきたのは、ある程度人口が増えて、農耕が行われるようになってきたタイミングではないでしょうか」
と、山本教授は語ります。
当時の細菌やウイルスが、今よりも感染しにくい性質だったという訳ではありません。
狩猟・採集中心の生活を送っていた頃は、人々は非常に小さな集団で暮らしていました。また、そういった小さな集団同士の交流も限られていたと考えられます。
山本教授は、
「潜伏期間や感染を広げる期間が短いインフルエンザなどの感染症は、一つの集団の中で広がることはあっても、集団から集団へ広がることは稀だったはずです。一方で、結核やハンセン病などの病気は(潜伏期間が数年単位と長いため)広がることもあったかもしれません」
と話します。
現代で問題となるような「パンデミック」は、非常に起きにくかったのではないでしょうか。
感染症を身近にした2つの変化
現代では、渡り鳥から家畜化された鶏に感染した鳥インフルエンザウイルスが、さらに人に感染する事例が懸念されています。通常、異種の動物間では感染症はうつりにくいものですが、ウイルスが変異することで感染性を持つことがあります。動物に接触する機会が増えるほど、そのリスクは高まります。
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一方、約1万年前、人類が農耕を始めると、状況が大きく変わりはじめます。
人類は農耕の開始とともに、「定住」を始めました。またこの頃、同時に野生動物の家畜化も進んだと言われています。
野生動物の家畜化によって、人類は動物を介してウイルスや細菌、寄生虫と接する機会が増加しました。また、定住が始まったことで、下水処理などの衛生環境が悪化し、感染症が広がっていったと考えられます。
このように、農耕が始まり、社会システム・生活スタイルが変わったことで、感染症の原因が人の生活圏に大きく近づき、さらに感染が広がりやすい土壌が整っていったのです。
加えて、人口が増えて集団の規模が大きくなると、さらに集団内で感染が広がりやすくなり、また、近くにあるほかの集団との交流が増加することで、感染症の分布も広がっていったといえます。
感染症の拡大は「グローバリゼーション」の必然なのか?
1899年の南ロンドン鉄道の駅のようす。産業革命と共に、鉄道網などが広がりをみせました。これによって世界の距離は大きく近づき、感染症も広がりやすくなったことが想像されます。
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農耕の始まりや野生動物の家畜化によって感染症が広がりやすくなったとはいえ、それでもまだ、現代のように世界的な規模に広がるとは考えにくいでしょう。
各地域の生態系の中で家畜化できる動物のレパートリーには限りがあることからも、地域ごとに流行する感染症の種類には、違いがみられたはずです。
実際、15世紀以降に訪れた大航海時代において、新大陸(アメリカ大陸)にヨーロッパの人々が上陸した際には、当時ヨーロッパで流行していた天然痘がアメリカ大陸の原住民の間で流行し、大きな被害を出したといいます。
これは、当時アメリカ大陸で天然痘が流行しておらず、原住民に免疫がなかったことが大きな要因だと考えられます。
アステカ文明が天然痘の被害にあったことを示す絵。ヨーロッパから感染症が持ち込まれたことで、人口が大幅に減少したとされています。
パブリックドメイン
このように感染症は、交易や戦争によって人の移動が活発になることでさらにその勢力を広げていったと考えられます。
かつては、ユーラシア大陸の東西を結ぶシルクロードを介して、感染症の広がりがみられた可能性も指摘されています。中東、メソポタミア地方は、シルクロードを介した交流の中継地点としての機能を持っていました。
「こういった地域では、中国側から来た感染症やユーラシア大陸側から来た感染症などが入り混じりながら、感染症のレパートリーが増えていったのではないかと考えられます」(山本教授)
1918年にスペイン風邪が世界的に流行した背景としても、鉄道や航路といった交通網の発展が要因の一つとして考えられます。
感染症の広がりは、交通網の発展による「グローバリゼーション」の結果として、必ず起きてしまうものだともいえるでしょう。
新型コロナウイルスの世界的な流行は、まさにその極致です。
新型コロナは「巧妙なウイルス」なのか?
地域別の感染者数の推移。アメリカ大陸やアジアでの感染が止まらない。
出典:WHO
よく「新型コロナウイルスは、非常に巧妙なウイルスだ」という指摘がなされることがありますが、山本教授は「これは論点が逆です」と話します。
流行する感染症とは、あくまでも私たちの生活に入り込んだ段階で、たまたま社会環境と相まって拡散しやすい性質を持っていただけに過ぎません。
新型コロナウイルスの電子顕微鏡画像。
出典:国立感染症研究所
これは、新型コロナウイルスについても同様です。
「ウイルスが巧妙であるから、パンデミックが起こるのではなく、無数に存在する感染症の中で、その時代の社会構造の弱みに最もつけ込むような性質を持った感染症がおのずと流行します。どの時代においてもパンデミックを起こすウイルスというのは巧妙なんです」(山本教授)
では、これから先、同様のパンデミックはどれだけ起こりうるのでしょうか。
「あくまでも、確率論の問題ですが、少なくとも100年に1回くらいはパンデミックになるウイルスは発生するといえるかもしれません。歴史上、とんでもない感染症というのは何度も起こっていますから」(山本教授)
100年前と比べてはるかに感染症が広がりやすい土壌を持つ現代では、そのスパンはさらに短くなるかもしれません。
未知の感染症に対する「完璧な備え」はできない
新型コロナウイルスの感染の広がりを制御するために、ITを駆使する取り組みは世界的に多い。ただし、どこまで政府による管理・強制を許容するのか、議論が深まらない中で安易に導入されている例も目立つ。
撮影:三ツ村崇志
新型コロナウイルスの流行は、現代の感染症対策に様々な課題を投げかけました。
一方で、山本教授は
「新型コロナウイルスがあぶり出した課題を改善しようとする試みは必要ですが、それだけを考えて新しい社会システムを作ったとしても、いずれその隙間を縫うような感染症が現れ、ふたたび大きな流行が起きてしまうでしょう」
とも語ります。
残念ながら、ある程度社会機能を維持しながら、あらゆる感染症に対して完璧な備えをすることは、かなり難しいでしょう。
ではもし今後、新型コロナウイルスよりもさらに感染が広がりやすく、封じ込めも難しい、それでいて致死率が非常に高い感染症が現れてしまった場合、私たちはどう対抗すればよいのでしょうか。
新型コロナウイルスが人類に与えた課題とは?
2013年。中国で、鳥インフルエンザH7N9が人に感染する事例が確認された。致死率が非常に高いことから、世界中がこのインフルエンザの流行を懸念している。
Lintao Zhang/Getty Images
山本教授は、新たな感染症への対策を考える難しさを次のように語ります。
「日本では残念ながら、100万人、200万人が亡くなるようなことを想定した議論をする土壌はできていないのではないでしょうか。
医療体制を補強するなど、色々やれることはありますが、そのためにどこまで経済的な負担を強いるのかということも考えなければなりません。『何百万人も亡くなる可能性のある感染症にどう備えるか?』というような問いに対する回答は、本来、さまざまな角度から行われなければならないはずですから」
流行の第一波の最中、専門家会議の西浦博教授が、「何も対策をしないと42万人が死亡する可能性がある」というショッキングなモデルを公表した際に起きた社会の拒否反応は、まさにこの議論の難しさを物語っているといえるでしょう。
グローバリゼーションの時計の針は、もう簡単には元に戻すことができないところまで進んでいます。
そして私たち人類は、もはやパンデミックの脅威に晒されながら生きていくほかありません。
感染症とどう折り合いをつけて、社会生活を営んでいくのか。それを考えることが、21世紀に生きる人類に課せられた、使命の一つなのでしょう。
私たちは、新型コロナウイルスの流行によって、やっとそのスタートラインに立っていることを理解し始めたところなのかもしれません。
(文・三ツ村崇志、連載ロゴデザイン・星野美緒)