新型コロナウイルスに感染したトランプ大統領の無事回復を祈るニューヨーク市民たち。金融市場に不安材料が募る。
REUTERS/Andrew Kelly
2020年も早いもので残すところあと3カ月になった。
ここに来て金融市場には、新型コロナウイルスの感染拡大状況やアメリカ大統領選挙の行方、それに伴う米中対立の展開、さらにはそのすべてに想定外の影響をおよぼしかねないトランプ大統領のコロナ感染など、不安材料が散在している。
いずれもとり上げる価値のある材料ではあるが、実際のところ、目先の金融市場にとって何より切実なのは「いつになったら追加経済対策の着地点が見えるのか」という問題だ。
【図表1】に示されるように、コロナショックによって企業収益はリーマンショック(以上)の壊滅的なダメージを負っているが、主要株価指数はそれにつれて下落するどころか、騰勢を強めている。企業収益と株価指数の格差は、かつて経験がないほど大きい。
【図表1】アメリカの企業収益と株価の推移。
出典:Macrobond資料より筆者作成
リーマンショック直後になりふり構わない政策措置が打たれたときですら、企業収益と株価の動きは相応に連動していた。
現在見られる企業収益と株価の乖離(かいり)は、リーマンショックよりもドットコム(IT)バブルの崩壊前夜から直後の2000年前後に近い。しかしその当時も、企業収益の減少とともに株価が下落し、両者ともマイナスに向かうという意味で連動していた。
今回のように「企業収益は大幅に悪化しているのに、株価は急騰」という構図は過去に例がない。
こうした現状は金融市場が未曽有の財政出動に期待した結果であることは明らかだ。冒頭に列記したようにさまざまな材料はあるが、追加経済対策の着地点がいつ見えるのかが、当面の金融市場の命運を握っていることは間違いない。
株高に伴うアメリカ経済の好循環イメージ
以前の寄稿(8月27日付)でも言及したが、これまでは、仮に本源的価値を超えた株高(端的にはバブル)であっても、アメリカの実体経済にとって何かしら意味を持ってくることが多かった。
アメリカ経済が不況から立ち上がって好循環に入るパターンとしては、まず裁量的なマクロ経済政策の拡張(財政出動と金融緩和)で株価が押し上げられ、それ自体が資産効果を通じて個人消費を押し上げ、実体経済の浮揚に寄与するという流れがあった。
実体経済が浮揚すれば企業収益も改善するので、財政出動と金融緩和によって人為的に引き起こされた株高も、結局は追認されることになる。
また、アメリカの個人消費が好調になれば、各国の対米輸出の増加が促され、世界経済全体が恩恵を受けられることになる。それもまた、株高を正当化する材料になる【図表2】。
【図表2】アメリカおよび世界経済の好循環イメージ。
出典:筆者作成
こうした流れは「家計金融資産の3割以上が株式」というアメリカ経済だからこそ起きうるもので、ユーロ圏や日本では株高にそこまでの景気浮揚効果は期待できない【図表3】。
【図表3】日米欧、家計部門の金融資産構成(2020年3月末時点)。
出典:日銀/FRB/ECB資料より筆者作成
「恒常所得」に期待できない現状
しかし、今回の株高がアメリカの家計部門の消費行動を押し上げるのかどうかは不透明だ。
いまのところ、株高を煽ってもこれまでのように消費者心理が顕著に改善する兆しは見られていない【図表4】。足もとの状況からして、家計部門の消費や投資がいますぐ本格的に回復してくる可能性は高くない。理論的に考えれば当然のことだ。
【図表4】アメリカにおける株価と消費者信頼感の乖離。
出典:Macrobond資料から筆者作成
家計部門による消費水準の決定については、ノーベル賞を受けたアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンの「恒常所得仮説」が想定されることが多い。
恒常所得仮説とは、消費者が支出の水準を決定する際、安定継続的に稼げると予見される「恒常的な」所得に依存して意思決定するという理論だ。
恒常所得は、過去の所得の平均などをもとに計算できる。それに対して、振れ幅を伴う所得は変動所得と呼ばれ、恒常所得仮説では支出水準がこれに依存することはないと想定する。例えば、ギャンブルに勝って一時的に所得が膨らんだからといって、すぐに消費を増やしたりはしない(現実にはそういうタイプの消費者も存在するだろうが)。
株高に伴う含み益は、厳密に言えば変動所得とは異なる。とはいえ、安定しない・予見できない所得という意味では同じで、恒常所得のように消費水準を押し上げる理由にはならない。
やはり、個人消費のドライバーとなるのは、良好な雇用・賃金環境を背景とする恒常所得の安定のほかにない。そうなると、3月以降いまだに1000万人以上が職を失っている状態にあるアメリカの現状を考えれば、消費者心理や消費支出の完全復活を見込むのは難しい。
だからこそ、「政策で株高を煽れば、後から実体経済が追認してくれる」というこれまでのアメリカの成功体験は、当面期待できないと考えたほうがいい。
それでも、新型コロナウイルスの終息にメドがつき、労働市場が真っ当な回復軌道に乗るまで(=恒常所得の上昇が期待されるまで)、不自然に高い株価は必要悪として政策的に演出されることだろう。不健全な政策だという批判はあろうが、他に手がないのも事実だ。
企業収益も個人消費も改善が期待できない現状での株高は、まさに「砂上の楼閣」と言える。市場が狼狽して追加経済対策の着地を催促し始める前に、アメリカ議会が合意に至ることを祈りたい。
(文・唐鎌大輔)
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。