デザイナーの高田賢三さんが死去。81歳だった。
Francois Durand/Getty Images For Jean-Paul Gaultier
世界的なファッションブランド「KENZO」の創業者でデザイナーの高田賢三さんが10月4日、新型コロナウイルス感染によりフランス・パリ近郊の病院で死去した。81歳だった。AFPなどが伝えた。
高田さんは9月中旬から新型コロナウイルスへのコロナ感染で入院。10月に入って容態が悪化したという。
ファッション界に新風、世界の「KENZO」へ。
高田賢三さん(中央、2012年撮影)
Pascal Le Segretain/Getty Images for The Dorchester Collection Fashion Prize
高田さんは1939年、兵庫県生まれ。文化服装学院ではコシノジュンコ氏らと同期で、「花の9期生」の一人として学ぶ。若干20歳で新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞しデザイナーとしてデビュー。三愛への就職を経て、1965年に渡仏。1970年にパリで「ジャングル・ジャップ」をオープンした。
高田さんのデザインは華やかな色彩や花柄、日本の歌舞伎や世界の民族衣装にヒントを得た多彩なものだった。ゆったりとしたシルエットもファッション界に新風を巻き起こし、「KENZO」の名は世界に轟いた。
1993年には自ら立ち上げたブランド「KENZO」をLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループにに売却し話題に。1999年には経営方針をめぐりLVMH上層部と対立。「KENZO」のデザイナーを退いた。
「ファッションは、すべての人のもの」
海外メディアも高田さんの死を伝えた。
Levent Kulu/Getty Images for IMG
高田さんの訃報はフランス紙「ル・モンド」やイタリア紙「レプブリカ」、英BBCなど海外メディアでも広く伝えられた。
この中でもニューヨーク・タイムズは高田さんが残した言葉とともに、高田さんのファッション哲学とその人柄を偲んだ。
「眩しい笑顔といたずら好きで知られる高田さんは、“ファッションは食事のようなもので、同じメニューに固執するべきではない”という有名な言葉を残した」
「“ファッションは少数の人のためのものではなく、すべての人々のためのものです”と1972年、ニューヨーク・タイムズに語った」
パリ市のイダルゴ市長「パリは今日、私たちの息子の死を悼む」
パリ市のアンヌ・イダルゴ市長もTwitterで追悼文を発表。
「賢三の訃報に接し、悲しみは計り知れない。なんと才能あるクリエイターだったことか! 彼はファッションにおいて色と光に居場所を与えた。パリの街は今日、私たちの息子の死を悼んでいる。彼の家族や親しい人々、そして彼を愛したすべての人たちに思いを寄せている」とつづった。
CNNは10月2日、フランスの保健相のコメントを紹介しつつ、パリでの新型コロナウイルスの感染状況が悪化していると報道。今週にも再びロックダウン措置がとられる可能性があると伝えた。
(文・吉川慧)