撮影:今村拓馬、Illustration: mikroman6/Getty Images
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理する。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか?
参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
今週はノーベル賞受賞者の発表が相次ぐ、いわゆる「ノーベルウィーク」まっただなか。誰のどんな研究に注目が集まるのか、我が国の受賞者は出るのか……と世界中がソワソワする季節です。入山先生にこの話題を振ったところ、歴代の日本人ノーベル賞受賞者の分布は「あること」ときれいに相関するのだと教えてくれました。それは何だと思いますか?
世界で活躍する日本人が、サッカー選手に多い理由とは
こんにちは、入山章栄です。
10月になり、この連載の担当者である常盤亜由子さんは、ある賞の行方が気になっているようで……。
正直なところ僕は物理や化学の専門ではなく、ノーベル賞に経済学賞はあっても(僕の専門である)経営学の賞はないので、それほど強く注目している訳ではありません。
とはいえ、ソーシャルネットワーク研究で有名なスタンフォード大学のマーク・グラノヴェッター教授の研究などは、われわれ経営学者にも大きな影響を及ぼしており、そして彼は経済学賞の候補に挙がっていると以前から言われています。
グラノヴェッターは実は社会学者なので、もし彼が受賞したら史上初の「ノーベル経済学賞を獲った社会学者」の誕生ということになる。そうなったら面白いですよね。
ところでノーベル経済学賞は、まだ日本人の受賞者が1人もいない唯一のノーベル賞です。でも近い将来には、日本人のノーベル経済学賞受賞者が出てくるかもしれません。なぜなら最近、日本の経済学の国際競争力は目覚ましく上がっているからです。日本の社会科学の中では、経済学の国際競争力は突出していると言っていいでしょう。
これは以前ある人に言われて「なるほど」と思ったことなのですが、いまの日本で「人材のグローバル化」に最も成功しているのは、実は経済学者とサッカー選手だというのです。
サッカーは久保建英選手(ビジャレアル)や南野拓実選手(リバプール)、酒井宏樹選手(マルセイユ)など、超一流の舞台でプレーできる人が増えましたよね。
2020年7月、イングランド・プレミアリーグで所属するリバプールが優勝しトロフィーを手にする南野拓実選手。Jリーグ発足以前からのサッカーファンである入山先生にとってはまさに「隔世の感」の出来事だ。
Laurence Griffiths/Getty Images
これは、僕のように昔からサッカーを見るのが好きだったファンにとっては、隔世の感があります。1993年にJリーグができるまで、日本のサッカーは本当に弱かった。韓国にほとんど勝てずボロ負けしていたし、ワールドカップなんて夢のまた夢だった。
ところが川渕三郎さんが陣頭指揮をとって、国際標準のルールにのっとったJリーグというプロリーグが発足します。世界の一流選手を連れてきて、世界で勝負するための土台を用意した。すると日本人選手たちは世界のトップリーグでのプレーを夢見るようになり、同じ基準のプレーを目指しだします。
それから四半世紀が経ち、今では南野拓実選手のように、世界ナンバーワンのチームに所属する選手すら生まれつつあります。これは、「国際標準のプロトコル」で勝負すると、時間はかかるけれど、日本からも世界に通用する人材が輩出される顕著な例だと思います。
僕は「日本人が特別優れている」と言うつもりはないのですが、やはり真面目な国民性ですから、同じ土俵で分厚い人数がしつこく努力すれば、世界的に成功する人がやがて出てくる訳です。
世界で活躍する学者が多い分野の法則
では次に、学問の分野はどうでしょうか。これについては、以下の図をご覧ください。この図は少し前に日本経営学会という学会で「『世界標準の経営理論』と日本の経営学の発展可能性」というテーマで僕が講演した時に作ったものです。
筆者作成、学問分野内の人数はノーベル賞受賞者。
ちなみに物理学、化学、生理学・医学の下に書かれている人数は、これまでの日本人ノーベル賞受賞者の数です。この図は僕の印象論でもあるので、十分に客観的な指標とは言えません。ただ、それなりに現実を表しているとは思っています。
この図にあるように、学問の「数学を使う度合い」と、日本人のノーベル賞の授賞者数あるいはその学問の国際化度はかなり比例している、と僕は理解しています。
まず、物理学というのは極めて数学的な要素の強い学問です。そしてこの連載第20回で述べたように、数学は「世界で最も普及している共通プロトコル」なので、数学という世界共通言語を使って努力すれば、日本人は世界のトップを獲ることもできる。だから日本人初のノーベル賞受賞者は物理学の湯川秀樹さんであり、次が朝永振一郎さんなのではないでしょうか。
このように国際的に見て日本が強い学問は、数学がベースにあったのです。数学は世界共通のプロトコルなので、それを使いこなせばグローバルな競争環境で戦えるからです。
先ほど、日本の社会科学の中では経済学が一番国際化が進んでおり、ノーベル賞受賞者も出てくるかも、と言いましたよね。その経済学の基礎理論も、ほぼ数学です。東大の故・宇沢弘文教授などノーベル経済学賞の候補と言われてきた先生方も、そもそも数学出身だったりするくらいです。
経済学では東大の渡部安虎さん、山口慎太郎さん、大阪大学の安田洋祐さんのように、今は日本の大学でも海外の一流学術誌に業績を上げられる若手が多くいます。
実は今はアメリカの名門校のイエール大学やスタンフォード大学でも、日本人の若手経済学者が准教授などのポジションをとり出しています。すごいですよね。「自然言語も若干使うけれど、かなり数学的な要素が強い」経済学では、日本人が世界的に勝てるようになってきているのです。
そんな経済学と比べると、僕のいる経営学は、国際化・国際競争力という意味ではまだまだの段階にあると言わざるを得ません。そしてその理由は、多くの日本の経営学者は国際的なプロトコルで戦えていないから。言い方を変えれば「日本の経営学は、英語でも数学でもなく、日本語のみで議論する学問」だからだと理解しています。
撮影:今村拓馬
僕は経済学と経営学の両方を学んだのでよく分かるのですが、経営学は自然言語の要素が強く、数学の素養が必要な部分は限られてきます。もちろん最近の経営学、中でも海外で主流になっている経営学は統計解析を多用するので、その理解のためにある程度の数学の知識が必要です。
でも一般に日本の経営学ではそこまで統計分析を使わないし、何より理論表記は自然言語を使います。海外の学会にいると世界共通の自然言語である英語を使うので国際的に議論ができるのですが、日本の研究者の中には、日本で日本語だけを使ってしまう方も多く、したがって共通のプロトコルを持ちえず、他国の研究者とも交流が弱くなり、あまり国際的な業績が出せなくなるのです。
僕は、日本の経営学を批判している訳ではありません。学問の性質として「世界共通のプロトコル」に乗りにくいために、なかなか国際的な業績が出しにくい特徴がある、ということです。
日本の社会科学が「ガラパゴス化」しないために
そしてそう考えると、この傾向がより顕著なのは、さらに数学を使わず、日本語に頼りきりの傾向がある、他の社会科学系の学問ではないでしょうか。
例えば政治学は数学の要素がより弱い分野です(実際には数理的な手法を使う政治学者もいますが、日本では少数派のはずです)。さらに社会学も、その傾向が強い印象です。日本国内では、(日本語を使っているので)話題になったりメディアで取り上げられたりしますが、国際的なトップクラスの業績がある社会学者はシカゴ大学の山口一男教授、一橋大学の小野浩教授などを除けば、かなり少ないのではないでしょうか。
このように、学問は数学を使わないほど、言葉は悪いですが「ガラパゴス化」する傾向があり、結果として国際的な業績が弱くなる傾向にある、と私は理解しています。
実はこの話を、ある著名コンサルタントの方にお話ししたことがあります。
「日本では数学度が低ければ低いほど、その学問はガラパゴス化すると思うのです」と僕が言うと、その方はこうおっしゃいました。
「ああ、入山さん、分かった。だから僕は今、法学部に課題感を感じているんだ。日本でも改革すべきは法学部ではないかと思っているんだよ」
なるほど、法律学はそのほとんどが自然言語で守られていますので、かなりグローバル化から離れた学問と言えるのかもしれませんね。もちろん、良い悪いということではないのですが。
このように、サッカーでも学問でも、国際的に競争力を持つには、世界共通のプロトコルに乗ることが不可欠であり、その上で国際的な土俵で競争することが重要なのだと思います。だとすれば、学問やビジネスの上では、やはり英語は絶対に欠かせない。
いま台湾は英語を完全義務教育化して、全国民を英語ペラペラにしようとしているけれど、国際競争力の観点で見ればあれは正しい施策と言えるのでしょう。日本も見習うところは多いはずです。
日本では、小学校での英語の義務教育化はしたものの、単に義務化するだけでは、結局しゃべれるようにはなりません。重要なのは文法ではなく、「多少ヘタクソでも、いかに英語を駆使して相手とコミュニケーションをとるか」ですから。
僕は立場上、世界中の若者を見ていますが、東南アジアのトップ層の若者などに比べると、日本人の若者の力が相対的に落ちているように見えてなりません。ただそれは海外がいい、日本がダメというのではなく、単に、世界共通のプロトコルである英語が話せるかどうかの違いだけ、だとも思うのです。
同じ言語で議論し、仕事をし、学問をしていれば、やがて南野選手、久保選手のように、世界レベルで活躍できる若手ビジネスパーソンや研究者も、もっと出てくるのではないでしょうか。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。