Business Insider Japanの読者であるミレニアル世代、特に20代にとって、政権と言えば、安倍政権という印象を持つ人も少なくない。日本では稀に見る長期政権は、この世代にどんな影響を及ぼしたのだろうか。一方、彼ら彼女らの意識の変容が長期政権を可能にした背景があるとしたら、それは何か。
ミレニアル世代のビジネスパーソンや研究者などに聞く1回目は独立系VC(ベンチャーキャピタル)、ANRIを創業した佐俣アンリさん(36)。起業家にとってこの7年8カ月はどんな時代だったのだろうか。
安倍政権の7年8カ月、日経平均株価は上がり続けてきました。このマクロ経済の長い波のおかげで、起業家が挑戦でき一定の成功を収められた。我々が起業家たり得たのは、マクロ経済の恩恵を受けてきたからです。まず、この事実を冷静に受け止めるべきで、決して自分の力だけで成功したと過信してはいけないと思います。
僕自身も2012年にファンドをスタートしたので、投資実績をあげられたのは時代に恵まれたおかげ。当時はファンドの資金を集めるのは困難でしたが、資金が集まりさえすれば、将来性のある企業に安価に出資ができました。VCが増え始めたのが2015年頃なので、先行してスタートできたことも良かった。
著書『僕は君の「熱」に投資しよう』にも書きましたが、僕は投資するときにその起業家が何に情熱を持っているのかを大事にします。同時に投資家として常に起業家に伝えているのは、「マクロ経済の波を読み、追い風を受け続けられる事業を」ということです。例えば、今ならECプラットフォーム「BASE」のようにコロナ禍だからこそ伸び続けられる事業ですね。
スタートアップ転職への心理的ハードルが下がった
2012年12月の第2次安倍政権発足時から在任期間中の日経平均株価の上昇率は2.33倍になった(写真は2020年10月1日)。
Getty Images/Yuichi Yamazaki
この約8年の変化といえば、大企業を辞めて挑戦する道を選ぶ人が増えたこと。商社をはじめ、マッキンゼーやゴールドマン・サックス出身の起業家やスタートアップに転職する人が増えています。一番の理由は、スタートアップの「安定のレベル」が上がったことです。
2015年あたりからスタートアップの給与が上がり、役員報酬の平均も1000万円クラスになりました。ハイキャリアの人にとっても、リスクに足る安定が保証されるようになった。群れの中で最初に海に飛び込むペンギンを「ファーストペンギン」と言いますが、周りの仲間が起業や転職をする姿を見て、心理的ハードルが下がったことも一因でしょう。スタートアップの増加に伴い、「たとえ転職したスタートアップで失敗しても次がある」という空気もできつつあります。
ここ数年、スタートアップの資金調達額は増えていますが、資金の使い方が荒くなったとは感じていません。成長スピードに応じて適切に使えている。一昔前のヒルズ族のように豪遊するようなモラルハザードはなくなりました。これは地道にプロダクト制作に取り組むエンジニア出身の起業家が増えたことも理由のひとつです。
僕自身は「西麻布に行ったら死ぬ」と思ってきました(笑)。行く人は否定しませんが、それより僕は家族や育児に関わったりする方が楽しいのです。そういう起業家は増えてきていると感じます。
スタートアップの進化にVCが追いついていない
投資先の起業家たちの働く場所として渋谷にビル1棟を購入し、「good morning building by anri」も運営する。
撮影:今村拓馬
起業家には「熱」は必要ですが、必ずしも最初から崇高な志はなくてもいいと思っています。「トキワ荘」のように仲間に刺激を受けることで、周りの流れに乗ってみる勢いも大事。バンドだって始めるきっかけは、「モテたい」「お客さんに楽しんでもらいたい」だと思うんですよね。やり続けていくうちに、自然とステップアップしていく。起業もバンドと同様に、最初は「儲けたい」「周りの人に喜んでもらいたい」という気軽な動機で始める方が結果的には長続きします。
とはいえ、起業するとつらいこと、苦しいことを乗り越えなければならない。思いがけないトラブルに巻き込まれることもある。僕自身も修羅場に直面したときに、周りの仲間が支えてくれた。だからこそ、「トキワ荘」のように同じ目標を持つ仲間の存在は大切です。「場」の力は大きいと思い、僕は2017年、渋谷近くに6階建てのビル1棟を買って、投資先の起業家のためのオフィス「good morning building by anri」をつくりました。
むしろこの間のスタートアップの進化のスピードにVCが追いつけていないと感じます。もっとメルカリやラクスルを応援できる方法を我々支援者は考えるべきだったし、結果的にメルカリなどの成功に助けてもらう形でVCは大きくなりました。素晴らしい会社ほど、支援者は何もできずに終わることが多い。僕もラクスルに投資していましたが、資金面で十分なフォローができなかったという反省から、いまファンドを大きくしているところです。
男性しかいないとダサく見える
アベノミクスの経済政策「3本の矢」。日本の新たな成長産業育成やイノベーションを促進する3番目の成長戦略は成功したとは言えない。
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昨今、女性の起業家が少ないことが問題視されています。当社の投資先も130社中、女性起業家は7社です。この根本的な原因は、我々男性にあると思っています。僕は今まで自分の考えや価値観に近い人に投資してきました。つまり僕がやっている限り、自分と同じ性別、バックグラウンドを持つ人材ばかりが集まってしまう。
そこで昨年から女性のキャピタリストを採用しました。僕らが投資している若い起業家からすると、男性しかキャピタリストがいないVCはダサく見える。現在、当社の女性はインターンを含めると、12人中4人。この割合をさらに増やすことが、結果的に、若い起業家から相談したいと思われるVCになると思っています。
先日、新しい生理用ショーツを展開する女性起業家に投資をしました。男性に相談するのが難しいテーマだと思いますが、僕たちは実際その商品の吸収力などを実験してみて、納得したうえで決めました。女性だから、という目で見るのではなく、事業の内容そのものを評価する地道な積み重ねが大切です。
撮影:今村拓馬
少し実社会での存在感は増してきたとはいえ、僕らスタートアップはまだまだ吹けば飛ぶような存在なので、この約8年、国が我々の存在を認めてくれるようになったことは非常に大きいです。経済産業省による「日本ベンチャー大賞」やスタートアップの育成支援プログラム「J- Startup」など、起業家支援の流れができつつあるのは、とてもありがたい。
ただ、官民ファンドのINCJ(旧産業革新機構)は、素晴らしい投資もあれば、評価の難しい投資があったことも事実だと思っています。政策がやや迷走したため、志を持って集まったINCJの方々のモチベーションを下げてしまう残念な結果もあったと思います。
今後は、長年ベンチャー支援を担当してきた石井芳明さん(内閣府 科学技術・イノベーション担当企画官)のように、純粋に起業家を応援したいという官僚がもっと増えてほしい。起業家と官僚・政治家の関係が近づいていかないのは互いにメディアの記事を読んで勝手にイメージしている部分があると思うので、直接対話して分かり合える環境をつくることができればと。
撮影:今村拓馬
コロナによる不況の影響で、起業する人やスタートアップへの転職者が減るのではという悲観的な見方はしていません。経済が低迷しても大企業の待遇が良くなるわけではない。むしろスタートアップの方が変化に強いので、より挑戦できる場を求めて転職する人がいるかもしれない。
良くも悪くも日本のスタートアップは、まだ一部の限られた人間だけが参加できるゲーム。若い起業家を積極的に支援することで、もっと誰もが自由に参加できるゲームにできればと思っています。
素晴らしい起業家とは、「大きくて難しい課題を長くやり読けられる人」だと思います。例えば、メルカリの山田進太郎さんは「世界で使われるサービスをつくりたい」というビジョンをずっと追い続けています。おそらく大学生の頃から20年間何も変わらない。こういうブレない芯のある人がもっと増えてくれればいいなと思います。
「熱」は、誰しも持っているものです。ただ、続けるのが難しい。クールに見えて内面は熱い人でもいい。思いを表現するのが苦手でもいい。「芯があること」が何より重要なのです。一方、他人との比較でしか物事を見ることができない人は長続きしないでしょう。
成功の定義は人それぞれ違うと思いますが、最終的には「ひとつのことに挑戦し続けること」こそが幸せであり、本当の意味の成功と言えるのではないでしょうか。
(取材・浜田敬子、構成・浜田敬子、松元順子、写真・今村拓馬)
佐俣アンリ:ベンチャーキャピタリスト。1984年生まれ。慶應義塾大学卒業後、カバン持ちとして飛び込んだEast Venturesを経て、2012年、27歳でベンチャーキャピタル「ANRI」を設立。代表パートナーに就任。主にインターネットとディープテック領域の約120社に投資。初の著書として『僕は君の「熱」に投資しよう』を上梓。