佐藤優さんは「古典を読み込むこと、それに関して意見を交わらせることが、教養を身に付ける基礎となる」と前回シマオに教えてくれた。何千年、何百年前の視点や思考は時代を越えて現代社会の本質を見抜くヒントとなる。シマオは佐藤さんに「歴史」を学ぶ意味を聞いた。
混乱の時代に、人は歴史を求めるようになる
シマオ:教養を身に付けるためには、まずは古典をたくさん読むことが大切ということでした。古いものに学ぶという意味では、やはり歴史を知ることも大切でしょうか?
佐藤さん:そうですね。そのことは、今の「コロナ禍」の世界を見ても分かります。新型コロナの感染が広まってから半年以上が経ちますが、理想的な対策法は見えているでしょうか?
シマオ:いえ。まだどういう対策が正しいのか、よく分かりませんよね。ワクチンもいつできることやら……。
佐藤さん:このような「共時的」なモデルが見えない時には、「通時的」なモデルで考えることが求められます。
シマオ:キョウジテキとツウジテキ……?
佐藤さん:共時的というのは、同時代という意味です。新型コロナの対策はアメリカのやり方が正しいのか、中国、あるいは日本のやり方が正しいのか……ということですが、同じ時代にモデルが見えません。それに対して、過去の歴史の中に使える要素を探そうとする。それが通時的ということです。
シマオ:「歴史に学ぶ」ということですね。
佐藤さん:もちろん、それはあるがままの過去に立ち戻れ、ということではありません。現在の問題意識によって「あるべき過去」を見出すことです。ドイツの哲学者ユルゲン・ハバーマスは、このような目指すべき過去のことを「未来としての過去」と呼びました。
シマオ:なんかカッコいい言葉ですね!
佐藤さん:うまくいっている時代には、人は歴史への関心が少なくなります。同時代の成功者を見ればいいからです。逆に考えれば、人が歴史に関心を持つ時というのは、うまくいっていない困難の時代だということです。最近は、歴史ドラマが人気だったり、日本史に関する新書が売れているようですよ。
シマオ:呉座勇一さんの『応仁の乱』は50万部のベストセラーとなっていますね。
佐藤さん:シマオ君は応仁の乱を覚えていますか?
シマオ:日本史の時間に習いましたが、どんな戦いだったかな……。
佐藤さん:応仁の乱は室町時代の終わりに起きた戦乱で、全国の武将が細川勝元側の東軍と山名宗全側の西軍に分かれて、10年にわたって戦いました。まさに日本史上まれに見る混乱の時代と言うことができます。
シマオ:思い出してきました。そこから戦国大名の時代が始まるんでしたね。
佐藤さん:戦国時代は武将たちが覇権を争って戦う生き様が昔から人気ですが、民衆の側から見れば、戦いなんてこりごりで、早く平和が来てほしいという思いの方が強かったはずです。これって今の世の中にも似たようなことがありませんか?
シマオ:選挙の際に国民は混乱を望んでいない、と佐藤さんは言ってましたよね。
「国民が嫌がるのは、不誠実な政治ではなく社会の混乱」と佐藤さんは言う。
佐藤さん:菅義偉首相の新政権発足直後の支持率は、大手新聞の調査で65~75%程度と小泉純一郎政権以来の高い数字でした。安倍政権を受け継ぐと明言した新政権の支持率が高いということは、多くの人は混乱が回避されたことを好感していると理解できます。
シマオ:確かに、菅さん個人に対する支持率だけとは言えなさそうですもんね。
『太平記』に学ぶ歴史の見方へのヒント
佐藤さん:あるいは前回の古典の話ともつながりますが、『太平記』などを読むと歴史の流れの見方そのものについてのヒントが得られます。
シマオ:え、『太平記』ですか?
佐藤さん:『太平記』は南北朝時代を舞台にした軍記物で、足利尊氏や後醍醐天皇といった人物が登場します。全40巻の長大な物語です。
シマオ:全部読むのは大変そうですね……。
佐藤さん:物語の終わりの方で、印象的な場面があります。武士や下級貴族、僧侶たちが「そもそも、どうしてこんな滅茶苦茶な世の中になってしまったのか」と話した挙句、結局は「分からない」とカラカラ笑うしかない姿が描かれていました。
シマオ:もう、どうにもできないことですもんね。
佐藤さん:この『太平記』の世の中に対する見方は「下降史観」と言えます。下降史観とは、世の中は時代が進むにつれて悪くなるという見方のことです。シマオ君は、世の中はこれから良くなると思いますか、悪くなると思いますか?
シマオ:良い時も悪い時もあるとは思いますが、長い目で見れば良くなるんじゃないでしょうか。科学技術も発達するでしょうし……。
佐藤さん:それが近代の世界観ですよね。上昇史観であり、私たちは理性によって理想的な世の中を作り上げることができるという考え方です。
シマオ:でも、そう言われると、本当にそうなのかという気がしてきますね。
佐藤さん:そのとおりです。近代の限界が最初に露呈したのは、二度に渡る世界大戦でした。資本主義の発達はその近代の限界を覆い隠してきましたが、その資本主義もいま行き詰まりを見せています。
シマオ:2011年の東日本大震災で、多くの日本人がそのことを感じましたね。
佐藤さん:単純に理性で未来を良くすることができないと分かった今、参考にすべきは過去にあるかもしれません。過去の中から未来につながる要素を探すことが必要になる訳です。
シマオ:そうか。それが「未来としての過去」ということなんですね。
「民主主義の崩壊」を考えるための手がかり
シマオ:でも、現代の社会課題を歴史を通して考えるといっても、どこから手をつけていいのか、なかなか分かりません。何かヒントになりそうなオススメの本など教えてもらえませんか?
佐藤さん:同時代の問題を考えるという意味では……参考になるのが歴史人口学者であるエマニュエル・トッド氏の『大分断』という本です。 最近は、民主主義の崩壊ということが世界的に言われていますね。その要因を探る上で、この本は参考になります。
シマオ:どんなところを学べばいいんでしょうか?
佐藤さん:単に民主主義といっても漠然として考えづらいですが、トッド氏は民主主義を3つの型――「フランス・アメリカ・イギリス型」「ドイツ・日本型」「ロシア型」に分類しています。
シマオ:3つの型……。これはどんな分け方ですかね?
佐藤さん:トッド氏は、家族構造の類型や気質がこれらの分類に関係するとしています。ちょっとまとめてみましょう。
●フランス・アメリカ・イギリス型:家族構造は核家族で個人主義。兄弟間の相続が平等というところから、自由と平等の価値観が生まれた。
●ドイツ・日本型:家族構造は直系家族で長子相続。権威主義と不平等の価値観。
●ロシア型:一体主義的な家族構造。権威主義と平等主義の価値観。
シマオ:家族の形が民主主義に関わってくるということか……。ここから何が見えてくるんでしょうか?
佐藤さん:例えば、日本はイギリスやアメリカのような二大政党制を目指しましたが、今のところ成功していません。その理由はもともと日本に根付いている権威主義的な価値観にあると、トッド氏は言います。 あるいは、中国やロシアは形の上では民主主義なのに、どうして共産党やプーチン大統領による「支配」が維持されるのかも、ここから説明できるのです。
シマオ:と言いますと?
佐藤さん:ドット氏によれば、識字が民衆に定着した時点での家族や社会のシステムが、決定的に重要になります。ロシアや中国は、民衆が字を読み書きできるようになった時に、共産党による一党独裁体制が成立していた、ということがポイントなのです。ここから権威を認めるとともに、平等ならば貧しくてもいいという発想が民衆に生まれるのでしょう。
シマオ:識字率があるレベルまでいった時の価値観が、社会システムに影響するということですね。
佐藤さん:そうです。世界的に民主主義が行き詰まっているとすれば、例えばこうした歴史的側面から、その原因を考えていく必要があります。単に「民主主義は大切だ」と言っているだけでは、答えは見えてきません。歴史を学べば、そのような「応用」が可能になってくるんですよ。
※本連載の第37回は、10月21日(水)を予定しています。連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」一覧はこちらからどうぞ。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)