かつてエリートの進路の王道と言われた官僚や金融、総合商社“ではない道”を選ぶ東大生が増えている。
ベースフード社長の橋本舜(32)もまた、その1人だった。
今でこそ、プロ野球チームのオーナーであり、渋谷ヒカリエに立派なオフィスを構える大企業として知られるDeNAだが、橋本が就職活動をしていた時期はその前。2011年だ。
祖父が創業した自営業の家庭に育ち、社会への関心を持つのは早かった。高校生の頃には、経済誌を読み、「同世代や社会に出たことがない先輩の話は鵜呑みにしないと決めていた」。
とはいえ、「就職するならやっぱり商社かメーカーかな」と漠然と考えていた橋本は、軽い気持ちで参加したDeNAのインターンシップで揺さぶられる。一緒に参加した学生たちのアントレプレナーシップに刺激を受けたのだ。
「僕は剣道部で体育会系のカルチャーに染まって、竹刀を握って過ごしていたのに、『学生団体を立ち上げました』『起業しました』と社会と接点を持つ同年代がこんなにいたんだなと。まぶしく感じると同時に、自分はこのままでいいのかと引っ掛かったんです」
一度は蓋をしたその引っ掛かりは、就職活動を始める時期にまたわき上がってきた。
「自分の中で納得感はありました。そういう時代なんだよなと。当時、話題になっていた『ソーシャルネットワーク』(フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグを描いた映画)も観ましたし、シリコンバレーの動きに関心もあったので、王道とされてきた就職先に本心から惹かれていない自分にも気づいていました」
被災地ボランティアで気づいた未来向く強さ
東日本大震災の被災地には多くの人がボランティアで入った。特に若い世代に与えた影響は大きい。
Getty Images/Kiyoshi Ota
大学3年から4年へと進む春に起きた東日本大震災も、橋本の仕事観に深く影響している。
橋本は現地にボランティアに行き、社会に貢献できる仕事に就きたいと強く感じた。そして、震災から生き延び、傷ついた後の人生を必死に生きようとする人たちの話を直接聞くことで、学びを得たという。
「柔軟に生きることの大切さを、気づかせてもらいました。過去に築いた財産や慣習にとらわれ過ぎず、逃げ延びて行き着いた新しい土地で、新しい人間関係を築いて、新しい人生を始めようとしている人たちのたくましさに触れて、純粋に感動したんです。
『こういうことが起こっちゃったから、助け合って生きていくしかないんだよ』と未来を向いて生きる人たちの強さを感じました」
それまでは生真面目タイプで柔軟ではなかったと振り返る橋本が、「未来に向かって、変化できる人間になりたい」と目指すきっかけになったという。
DeNAを選んだ南場の吸収する姿勢
橋本は南場の言葉や姿勢に惹かれてDeNAを就職先に選んだという。
REUTERS/Yuriko Nakao
柔軟性のお手本とも言える人物との出会いもあった。インターン採用で早めに内定が決まっていたDeNAの創業社長、南場智子だ。
「よくある“実績の自慢話”が、南場さんからは一切ないんです。逆に、『Twitterって、どうやって使ってるの?』『最近、友達の間で何が流行ってる?』と質問攻めにあう(笑)。若者に教えようとするのではなく、吸収しようとする姿勢が素敵だし、それが柔軟な経営につながるんだと腑に落ちて。
ここで働きたいと思うようになりました」
同社が「新卒年俸500万円」を発表するのは翌年のことで、橋本がDeNAを選んだ理由は待遇ではない。
南場が「東大生の親から『お願いですから、うちの息子を落としてください』と懇願されたことがある」と語っているほど、当時は“親ブロック”の対象となるベンチャー企業だった。橋本の親に至っては、「舜はいつの間にか理転して、遺伝子研究をする会社に就職したらしい」という、誤解による承認だったのだと笑う。
1年ごとに新規事業に。濃密な4年で培った基礎体力
2012年春に入社すると、ほぼ1年おきに異動しながら、次々と新規事業に携わった。
1年目はゲーム事業のディレクター、2年目はプロデューサーと責任領域がどんどん広がった。駐車場シェアリング「akippa(アキッパ)」など、投資先のベンチャー企業の事業も担当。「企画、広報、法改正まで、事業開発のイロハはすべて経験させてもらった」という濃密な4年間が、橋本の起業家としての基礎体力を養った。
3年目には、ロボット開発のZMPとの協業(2017年に提携解消)で始まった自動運転タクシー事業を担当。地方過疎地の社会課題の深さに正面から向き合った。
自動運転タクシーは、限界集落のインフラコストを下げると期待されており、橋本は過疎地と言われる自治体の担当者たちと何度も膝を突き合わせて話をした。その中で繰り返されるのは、「とにかく社会保障費が大問題」という声だった。
「膨張し続ける社会保障費をどう抑えるかが、少子化ニッポンの唯一最大の課題なんだ。ITでいろいろできるんだったら、とにかくこれを解決してほしい」
子ども時代から「君たちが大人になる頃は、日本の社会保障負担はさらに深刻になっている」と脅されてきた橋本に、そのリアリティが迫ってきた。
「皆がもっと健康を維持しやすい社会になれば、社会保障費は抑制できるはずだ。直接役に立てる事業を始めたい。健康に貢献できるのは食か」
ベースフードの構想が始まった。
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。