IT×栄養×主食=完全栄養主食のD2Cサブスクリプションモデル。
これが、橋本舜(32)が実現したベースフードの方程式だ。
「ITはあくまで手段であって、中心は人の暮らし。衣食住の中でも食のサービスを通じて、高齢化日本を健康にできる事業に挑戦しようと決めました」
新規事業開発が活発なDeNAだったが、社内ベンチャーとして立ち上げる選択肢は考えにくかった。当時は事業分野をオートモービルとヘルスケアに集中する方針が、明確に示されていたからだ。橋本は会社を辞めて、起業することを決断した。
若手のうちから起業目的で“卒業”する社員が多く、会社もその目標を応援する。元社員が立ち上げた会社に出資もするし、出戻りも歓迎。そんな社風だったから、辞めることへのハードルは高くなかった。
「入社1年目から責任ある仕事を任されるカルチャーで、いい意味で、失敗を許してもらえる環境に慣れていたのも、思い切れた理由だと思います」
イメージは大人の給食。消費者発想から麺に焦点
提供:ベースフード
2016年4月にベースフード設立。その社名が表すとおり、「食の基本」である主食を扱う事業にすることは決めていた。
仕事に夢中で帰宅は毎日遅く、自炊をする余裕がなかった橋本自身が、「主食だけで栄養バランスを取れたら手っ取り早いのに」と欲していたサービスだった。「つい好物ばかり食べてしまうから、3日連続ラーメンはざら」と不摂生自慢する友人の顔も浮かんだ。子どもが学校給食で栄養バランスを補うのと同じように、「大人の給食」のようなサービスを作りたいと、イメージは固まった。
ご飯、パン、麺などある主食の中でも、まず狙いを定めたのは麺。「茹でるだけで手軽に食べられて、味付けのバリエーションも豊富」と考えたからだ。
もしも橋本が食の専門家だったら、製造が比較的簡単で品質保証のハードルが低い「乾麺」を迷わず選択していただろう。でも、橋本は食の素人であり、“100%消費者側”の発想に立っていた。
「一人暮らしの若者がサッと食べるなら、すぐに茹で上がる生麺だよな。大きなパスタ鍋を持っていなくても、フライパンで調理できる条件はマスト。しかも生麺の方がおいしいし、生麺にしよう」
生麺の品質保証がどれほど難しいことなのか、知らないがゆえの無謀。長いトンネルの日々が始まった。
高校生向け講座で学び自室で麺をこねる
栄養士向けの教科書で栄養学を学び、1年間自宅でパスタの試作品を作り続けた。
提供:ベースフード
来る日も来る日も、橋本は自室で一人、麺をこね続けていた。
「基礎栄養学」「食品加工学」「食品衛生学」といった栄養士の資格試験用のテキストを読み込み、栄養計算などの知識を身につけ、教育番組「NHK高校講座」の物理・化学・生物の3科目の放送を1年間見続けた。
栄養素を入れながら、味や食感と両立させることは、想像以上に難しかった。試作第1号は、「煮干しとモロヘイヤとココアを混ぜた麺」。とても食べられる味ではなかった。茹でる時にお湯に流出する分も考慮して、栄養素は多めに入れないといけない。計算上ではうまくいっても、実際に素材を混ぜてみると、見た目が真っ黒になったり、食感がボソボソとなったり、試作の回数は100を超えた。
朝から晩まで半年間、終わりが見えず、途方もなく長く感じた。
「会社を辞めて、麺を試作するだけで毎日が終わる。これで何もできなかったらどうしようかと内心焦っていました」
製麺業者から有名シェフまで、100人に教えを請う
焦燥に耐える挑戦だったが、孤独だったかというと違う。橋本は、開発の壁に直面するたびに、その道のプロを探して会いに行っていた。
甘みについては砂糖のメーカーに、酸味については酢のメーカーに、さらに保存について聞くために包材メーカーに。ツテがなければ食品業界が集まる展示会に行って、ブースを直接訪ねたり、行きつけのカフェのアルバイト店員が栄養学部のある大学に通っていることを知って「教授を紹介してほしい」と頼んでアポを取ったこともある。
麺と合わせるソースとの相性を学ぶために、有名シェフの門戸も叩いた。とにかく尽くせる限りの行動を起こして、未知の世界に入り込んだ。1年経つ頃には100人ほどの名刺が溜まっていた。
重要なのは、自分なりに試しながらアドバイスを請うこと。「主食だけで栄養バランスが取れるものを作りたいんです」と言うだけでは「そんなもの作れない」と一蹴されるだけ。「この材料で作ると、こんな苦味が出ちゃったんです」「茹でると栄養が半分に減ってしまって」と具体的な問題を示すことで、一つひとつの答えを引き出してきた。
「特に応援してくださったのは、自分で工場を興した中小企業の創業者の方々でした。戦後の貧しかった時代に食品業界に参入した先輩方は『社会の役に立ちたい』という志が強く、アントレプレナーシップのある人ばかり。
僕が試作した麺を持って見せると、『東京から来たの? 若いのに、なかなかやるじゃないの。うちは麺を作って50年だけれど、これは思いつかなかったなぁ』と目を輝かせてくださって。
『橋本君がこれくらいできるなら、うちの製麺所はもっとうまくできるだろうな。よっしゃ、やってみようか』と力を貸してくださる人が出てきたんです」
小さい者の最大の強みは、強者の手を堂々と借りられること。「だからベンチャーは最強なんです」と語る橋本は、その強みを活かす努力を惜しまず粘り続けたことで、暗いトンネルを抜け出したのだ。
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。