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2020年10月7日。
「ゲノム編集」の技術を進歩させ、生命科学に大きな影響を与えた功績から、ドイツ、マックスプランク研究所のエマニュエル・シャルパンティエ教授と、アメリカ、カリフォルニア大学のジェニファー・ダウドナ教授に2020年のノーベル化学賞が授与されることが発表されました。
「ゲノム編集」は、生物の遺伝子を自由自在に書き換えることを可能とする、夢の技術です。
ダウドナ教授らが考案した手法の登場によって、ゲノム編集は非常に扱いやすい技術として広く普及し、生命科学の発展の流れを大きく加速させました。
ゲノム編集に限らず、遺伝子治療薬や遺伝子検査、遺伝子組み換え食品など……「遺伝子」や「ゲノム」に関する技術は、今や私たちの生活のすぐ近くにまで迫っています。
「生命の設計図」であるゲノム。
今月の「サイエンス思考」では、いつの間にか社会に入り込みつつある「ゲノム」の基本、そして、ゲノム編集をはじめとした遺伝子工学の技術が現代の生命科学にもたらした影響について、日本遺伝学会会長、東京大学の小林武彦教授に聞きました。
遺伝する因子は「液体」か「粒子」か
現代的な遺伝の考え方は、19世紀後半「メンデルの法則」で知られる、オーストリアの植物学者、グレゴール・ヨハン・メンデルの研究が発端だとされています。
メンデルは、エンドウの研究をする過程で、親から子へと特徴が受け継がれる(遺伝する)際に、ある法則性があることを発見します。
常に表面がシワ状になる種をつけるエンドウと、表面が丸い種をつけるエンドウ。同じ形の種をつけるエンドウ同士を何度も交配させた後で、形の異なる種をつけるエンドウと交配すると、次の世代(第一世代)の種の形はどうなるでしょうか。
メンデルの観察研究では、第一世代のエンドウは、すべて丸い種をつけました。
しかし、さらにこの第一世代のエンドウ同士を交配させて作られた第二世代のエンドウでは、丸い種とシワ状の種が3対1の割合で観察されます。一度消えたはずの性質が、再び現れるのです。
メンデルの肖像画。遺伝の研究をしていたことから、遺伝学者として認知されることの多いメンデルですが、実は当時は修道院で修道士をする傍ら、研究に取り組んでいたといいます。
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メンデルの発見以前、子どもの特徴は、親の精子(精細胞)や卵子(卵細胞)に含まれる「液体のような成分」が混ざり合うことで生み出されると考えられていました。
もし、子どもの特徴が、液体が混ざり合うようにして生み出されるのであれば、種が丸い第一世代のエンドウ同士をいくら交配させても、丸い種を持ったエンドウしか生まれてこないはずです。
「赤と青を混ぜて一度紫になったら、(それ以降は)紫以外出てこないと思われていました。メンデルは、第一世代では見かけ上は丸に見えていたけれども、遺伝物質としては、混ざることのない粒子性の成分として、シワの成分があると考えたのです」(小林教授)
これが、現代の「遺伝子」の考え方の基本となりました。
メンデルは、こういった観察研究の果てに、独立の法則、分離の法則、顕性の法則(※)からなる「メンデルの法則」を見出しました。
※丸い種とシワの種のエンドウの例で、第一世代のように種の形に関わる2つの遺伝子をもっていたときに見かけに現れる特徴を「顕性」。隠れる特徴を「潜性」といいます。かつては、顕性を優性、潜性を劣性と表現していましたが、偏見などを招きかねないとして、表現が改められました。
染色体の発見によって“再発見”された「メンデルの法則」
タマネギの細胞を顕微鏡で観察すると、このような様子を見ることができます。細胞の中にあるヒモ状に見える物質が「染色体」です。
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しかし残念ながら、メンデルの法則は、なかなか評価されませんでした。
メンデルは遺伝に関する法則を見出したものの、肝心の粒子状の成分の正体を示すことができず、周囲の研究者たちも、メンデルの仮説を信じきれていなかったのです。
この風向きが変わったのは、メンデルの没後、20世紀になってすぐのことです。
実は、19世紀末、細胞の観察研究によって、「核」の内部に「染色体」という紐状の成分が発見されました。
もし、メンデルが言うように、遺伝が「粒子的」なものによって成立しているのだとすれば、染色体は非常に辻褄が合う物質でした。
これに気がついた研究者たちの間で、メンデルの法則が「再発見」されたのです。これが、1902年のことでした。
親から子へ、特定の遺伝子が受け継がれるイメージを描きました。染色体の数は、遺伝子より少ないため、1つの染色体の上には複数の遺伝子が存在しています。そのため、親から子へ遺伝子が受け継がれる時に、一緒に現れやすい特徴があるのです。なお、実際には遺伝子の「組み換え」など、少し複雑なことが起きているため、同一の染色体上に存在する遺伝子が必ず一緒に伝わるとは限りません。
編集部
その後、アメリカの遺伝学者、トーマス・ハント・モーガンが、染色体上に遺伝情報が記録されていることを証明することになります。
モーガンは、無数のショウジョウバエを飼育する中で、セットになって子孫へ伝わりやすい特徴(目の色や羽の形など)があることを見つけました。このセットになっている特徴の数を調べていくと、ショウジョウバエの相同染色体(同じ情報が記録される染色体のペア)の数と一致していたのです。
モーガンは光学顕微鏡で観察したショウジョウバエの染色体の様子や、実際のショウジョウバエの特徴などから、ショウジョウバエの染色体上に存在する「遺伝子地図」を作成。こうして、生物の特徴が染色体上に複数保存されていると考えることで、メンデルの法則をはじめとした遺伝に関わる現象を説明できると考えられるようになりました。
モーガンは、染色体の役割について行われた一連の研究が評価され、1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
「二重らせん」の発見で、遺伝子の正体が明らかになる
染色体はDNAが密になることでその姿を形作っています。また、DNAは、その構造の内側で、アデニンとチミン、グアニンとシトシンという塩基が必ずペアになっています。この塩基の配列が遺伝情報の正体だったのです。
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生物の遺伝情報が、染色体上に記録されていることが分かると、その後、染色体の成分が、タンパク質と核酸(DNAやRNA)であることや、「核酸」が実際に遺伝を担う物質であることが実験によって明らかにされていきます。
しかし、結局のところ、何が遺伝情報として機能しているのかまでは、よく分かりませんでした。
この最大の謎を解明したのが、アメリカの分子生物学者、ジェームズ・ワトソンと、イギリスの物理学者、フランシス・クリックです。
彼らは、DNAのX線写真から、DNAが「二重らせん構造」であることを発見しました。
「DNAを遺伝物質と考えると、ちょうど辻褄が合いました。(細胞分裂で)複製されるときには、二重らせんが解けて一方が鋳型(いがた)となることで綺麗に同じものを作ることができます。さらに、DNA上にある4種類の塩基(※)と呼ばれる物質の配列によって、遺伝情報が書かれているということが、その後すぐに分かりました」
※遺伝情報は、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基の並び方によって定められています。DNA上では、アデニンはチミン、グアニンはシトシンと必ずペアになっています。
ワトソン博士らの発見は、モーガン博士の発見から50年の月日が流れた1953年、現代でもよく知られているイギリスの科学誌「Nature」に、たった2ページの論文として掲載されました。
しかしこれが、現代にまで続く、分子生物学の幕が開ける瞬間だったといえるでしょう。
ワトソン博士とクリック博士は、DNAのらせん構造を証明する鍵となったX線画像を撮影したモーリス・ウィルキンス博士とともに、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
「ヒトゲノムの解読」で深まる謎
遺伝情報は4種類の塩基の配列によって決まります。そのため、ゲノムを解読していく際には、4種類の塩基の頭文字「A」「T」「G」「C」の羅列で表現されることが多いです。
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20世紀後半には、遺伝子から実際に体の特徴が作り上げられる分子生物学的なプロセスに関する研究が進みました。さらに、遺伝子を解析する技術の進歩とともに、人類はさまざまな生物のゲノムの解読を始めていきました。
そして、ワトソンらがDNAを発見してからちょうど50年後の2003年。世界各国の研究機関が連携して行われた、ヒトの遺伝子を調べる一大プロジェクト「ヒトゲノム計画」が完了し、人類は初めて、私たち自身のゲノムを解読することに成功します。
小林教授は、ヒトゲノムの解読によって、2つの重要なことが分かったと話します。
「1つは、遺伝子の数が想定よりも少なかったことです。ここでいう『遺伝子』とは、タンパク質の設計図(※)で、人のゲノムには約2万個あると言われています。ショウジョウバエでも、遺伝子は1万9000個あると言われているので、人間の遺伝子の数がショウジョウバエと大して違わないことが分かりました。
もう1つの重要なことは、ゲノムの98.5%が非コード領域(タンパク質と関係のない領域)ということです」
※タンパク質の製造に直接関わってはいない領域でも、何らかの機能があることが分かっています。近年では、そういった領域も含めて「遺伝子」と呼んでいます。
DNAの中にタンパク質の製造に関わらない領域があることは、うすうす知られていました。
ただし、ヒトゲノムが全て解読されれば、こういった一見無駄に見えるDNAの領域やこれまで機能が分かっていなかった領域についても、謎が解けるだろうと期待されていたといいます。
ヒトゲノムプロジェクトが完了したのは2003年ですが、2001年2月にはヒトゲノムの「ドラフト」が論文として発表されました。
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しかし、小林教授は次のように話します。
「ヒトのゲノムが解読されて、『ゲノム時代』が幕を開けました。当時は、病気の遺伝子や老化の遺伝子など、いろいろなことが遺伝子レベルで分かり、創薬に結びつくなど、良いことばかり起こるだろうと期待されていました。
しかし残念ながら、ヒトゲノムが解読されても、思ったほど多くのことは分かりませんでした」
もちろん、ゲノムを読み解くことで分かってきたこともたくさんあります。
ただし、「ある特定の遺伝子を持つ人にはこういう特徴がある」という単純な話だけで全てを説明することはできませんでした。複数の遺伝子の組み合わせによって、ある特徴が決まっていることもあれば、同じ特徴を持っていても、遺伝子の組み合わせが異なる場合があるということもあったのです。
これでは、分析がかなり困難になります。コンピューターを使った解析も、その膨大な組み合わせの数からなかなかうまくいかず、今後の研究に不穏な気配が広がっていました。
しかしそんな中、まさしく救世主のように登場したのが、「ゲノム編集」だったのです。
※10月22日公開予定の後編に続く。
(文・三ツ村崇志、編集協力・笹谷由佳、連載ロゴデザイン・星野美緒)