「AGCはヒルトンではなく、星のや」ガラスメーカーが医薬品事業で成功した“秘策”

宮地伸二CFO

8月末日、Business Insider Japanの取材に応じる、宮地伸二CFO。

撮影:今村拓馬

「新型コロナウイルス感染症の治療薬候補の製造を受託」

「270億円でイタリアの遺伝子・細胞治療薬を開発する製薬ベンチャーを買収」

医薬品メーカーのニュースかと思いきや、これはいずれも世界最大手のガラスメーカー、AGC(旧:旭硝子)が7月に発表したニュースだ。

業界をよく知る人には常識かもしれないが、AGCのライフサイエンス事業は、バイオ医薬の受託製造(バイオCDMO事業)で国内トップの位置にある。なぜ、AGCは、ガラス製造とは別の畑に見えるライフサイエンス(医薬品)事業に投資を続け、ここまで大きな存在になったのか。

「AGCは、成長産業に規模感のあるニッチ素材で攻めていった会社なんです。いわば『ニッチ素材メーカー』でしょうか」

と語る、AGCの副社長・CFOを務める宮地伸二氏へのインタビューを通して、バイオCDMO事業躍進の秘密に迫る。

景気の波に左右されない「ライフサイエンス」

MolMed

イタリア・ミラノにあるモルメド社。

提供:AGC

多くの企業と同様に、AGCの事業も新型コロナウイルスの影響を受けている。主力のガラス事業はすでに回復傾向にはあるとはいえ、2020年第2四半期の売上高は前年比約2割減の2900億円だった。

一方、2016年に戦略事業として定めた「ライフサイエンス(医薬品)事業」は、コロナ禍においても勢いを見せている。

AGCのライフサイエンス事業は、「医薬品」といっても、新薬を開発しているわけではない。

あくまでも、製薬企業が開発した原薬の製造などを担う「受託製造・開発事業(CDMO)」という事業形態が中心だ。

AGCは、2020年6月に、米コロラド州にあるアストラゼネカ社の医薬品原薬製造工場の買収を発表。さらに、7月には遺伝子・細胞治療薬の開発を行なうイタリアの製薬ベンチャー、モルメド(MolMed)社のTOBを完了と、コロナ禍でも積極的な投資を進めてきた。

「ライフサイエンス事業の売り上げ規模は、2022年頃には1000億円に届こうとしています。ここ10年で、売り上げの伸びは10倍以上になっていると思います」(宮地氏)

グループ全体の売り上げ(2019年度総売上高:約1.5兆円)から見ると、まだ規模は小さいが、着実に事業として成長している。

戦略事業

戦略事業の売り上げ推移。毎年、着実に成長していることが分かる。ライフサイエンス事業は、棒グラフの黄色で示されている。

出典:2020年12月期第2四半期業績説明会資料

「2016年に『2025年にありたい姿』という計画を立てて、『戦略事業』を伸ばしていく方針が決まりました。

戦略事業を定めるにあたり、『社会の役に立つことを前提に、成長産業向けであり、かつ経済の波の影響を受けにくい事業』の割合を増やしたいという考え方がありました」(宮地氏)

この戦略事業の三本柱として定められたのが、エレクトロニクス事業モビリティ事業、そしてライフサイエンス事業だった。

「建築用ガラスも基礎的な化成品も、景気の影響を受けてしまいます。

一方、ライフサイエンスは経済に関係なく伸びる。だからこそ、ライフサイエンス事業への投資は(他の戦略事業とともに)、コロナの流行に関係なく進めてきたわけです」(宮地氏)

医薬品事業は既存事業と地続きだった

宮地伸二CFO

撮影:今村拓馬

近年勢いを見せているライフサイエンス事業ではあるものの、その源流は1980年代にまでさかのぼる。

「当時、研究所を中心に、これから伸びる産業としてライフサイエンスを考えていました。その時に、若い社員がフッ素の高機能化という視点で『合成医農薬』を研究していました」

タフルプロスト

緑内障の治療薬「タフルプロスト」。

提供:AGC

フッ素に関する技術は、化学品事業で培われていた。当時、フッ素を使った合成医農薬が増えるという流れもあり、技術的にもフッ素化学の高機能化という位置づけで、完全に飛び地というわけではなかった。

その中で、参天製薬と共同で開発した合成医薬品(化学合成で製造する医薬品)、緑内障治療薬の「タフルプロスト」が大きく花開いたのだ。

「この合成医農薬事業をAGCの化学品事業部の中で徐々に大きくしてきた、というのがライフサイエンス部門の歴史です」(宮地氏)

一方で、AGCが近年力を入れている「バイオ医薬品」事業は、そううまくはいかなかった。

バイオ事業の窮地に見つけた、CDMOという金脈

宮地伸二CFO

撮影:今村拓馬

バイオ医薬品の開発には、動物細胞などの培養技術がどうしても必要となる。これは、ガラスを製造したり、医薬品を化学合成したりする技術とは大きく異なる技術だ。

「ただ、先々を考えると、バイオ医薬品の時代が来ることは明白でした。そこで、東京大学から優秀な博士を引き抜き、合成医農薬の開発と同時期にバイオ医薬品の開発もスタートしました」(宮地氏)

しかし、その芽はなかなか育たなかった。

「2000年の半ば頃までには、『事業を断念するべきでは』と会社も迷っていました。2008年頃、私は新規事業推進センター長として、一時期この事業を担当しましたが、社内の風当たりは相当強かったです」

と宮地氏は語る。

事業を継続するには、なんとか利益を出さなければならない。

そこで白羽の矢が立ったのが、現在のライフサイエンス事業の主力、CDMO事業だったわけだ。

AGCのライフサイエンス事業の拠点一覧

AGCのCDMO事業の生産拠点一覧。2016年以降に買収が進んだことで、一気に増えていった。

提供:AGC

AGCがCDMO事業を始めたのは、現・AGC若狭化学を設立した1990年代。合成医農薬の受託事業を続けていくうちに、事業規模は小さいけれども「確実に利益になる」ことが分かってきた。

そこで、バイオ医薬についても受託で稼ぎ、事業の継続を図る構造が徐々にできあがっていった。

「そうしている中で、製薬メーカーが製造を外部に委託する流れが強くなり、『受託事業の成長はもう間違いない』という状況になっていきました。

当時、日本ではまだ受託ビジネスがあまり認知されておらず、気がつけばバイオCDMOとしては国内最大級の会社になっていました」(宮地氏)。

「技術こそ違えど、攻め方は同じ」グローバル展開の方程式

宮地伸二CFO

ライフサイエンス事業は、一定のペースで伸びてきたわけではない。大きな買収がある度に、その都度、段階的に事業は大きくなっていった。この買収戦略こそ、AGCがもつグローバル展開の手法だった。

撮影:今村拓馬

国内でトップとなったAGCのCDMO事業を、これからどう展開していくか。

「今の経営陣になり、2015年に『CDMO事業をどうするか』という議論をかなりやりました。

その中で、AGCが強みを持つ、『グローバル展開』のプラットフォームに乗せることで、この事業を市場規模の大きい欧米で大きく伸ばせる可能性があるという話になりました」(宮地氏)

バイオ医薬品とガラス事業では、取り扱う技術がまったく異なる。本来であれば、グローバル展開のやり方も、変わってくるように思える。

ただし宮地氏は、

「私の中では、技術こそ違えど、会社としての攻め方は今までと同じと考えています。

技術はある程度買収すれば手に入ります。ただ、グローバル企業としての運営ノウハウやものづくりの力、会社としての信用力のようなものは、我々が持っている共通のプラットフォームとして使えるはずです」

と、AGC流のやり方でグローバル展開を進める自信を語る。

大きな転換点となったのが、2016年、アメリカ、シアトルにある、CMC Biologics(現:AGC Biologics)の買収だった。

この買収によって、日米欧の3拠点体制が確立され、その後、海外の製薬企業が手放した工場などの買収を重ねることで、ライフサイエンス事業の拡大が加速することになる。

機能性素材で「ニッチ」のマーケットを支配する

NewAGCBIOfacility

CDMO事業のアメリカ拠点、AGC Biologics。

提供:AGC

事業の拡大戦略について、宮地氏は、ライフサイエンス事業も、創業当初から取り組んできたガラス事業も、「ニッチで付加価値がつけやすい性質の素材やサービス」であるという点がポイントだと話す。

特定の分野で先行している巨大企業とガチンコで競おうとするのではなく、少しずれたニッチな素材を作り、見落とされている規模感のある需要を掘り起こす。

ガラスは鉄と比べると圧倒的に産業規模が小さい。でも、機能は付加しやすく面白いニッチな素材なんです。AGCはこれで攻めてきた。最初は建築、そして自動車。次にディスプレイと成長産業が変化し、今では半導体などの分野でハイエンドなニッチ素材を提供しています」(宮地氏)

ニッチであるがゆえに競合も少ない。グローバル展開しても、マーケットを支配することが比較的容易なわけだ。

ただし、単にニッチなだけではなく、化けると数百億円、数千億円規模の市場になるような素材を狙うことが重要だ。その鍵を握るのは、企業が持つ技術力ということになる。

「AGCはヒルトンではなく、星のや」

宮地伸二CFO

撮影:今村拓馬

技術は違うが、バイオ医薬品でもニッチであるがゆえに優位に働く構造は同じだった。

AGCは、バイオ医薬品事業で一度の培養にしか使わない、小さな培養タンクの技術を持っている。大量製造には向かないが、薬の開発ステージにある小さなベンチャー企業にとっては、使いやすい「ニッチ」な仕組みだ。

ベンチャーの小さな開発案件を受託しながら、技術の質を上げていると、そのうち「当たり」が出てくる。すると、当たった薬を大量生産する案件を受託しやすくなる。

小さな受託案件を進めながら、研究投資やM&Aによって、ニッチな技術力を高めておく。

その一方で、製薬企業が業界再編の流れで手放そうとしている工場を買収して、製造キャパシティの確保も進めておく。

これがうまくはまることで、近年、AGCのライフサイエンス事業の存在感が高まり、今のポジションがある。

「CDMO事業はどちらかというと、宿泊業と似ているところがあるかもしれません。

例えば、大手のCDMO事業者は、一度に受託できる規模が大きく、均質なサービスを提供しています。アメリカの大手ホテルチェーンで例えればヒルトンといったイメージでしょうか。

一方、我々は、星のやさんのような立場でしょうか。星のやさんは業界が再編される中で、既存の旅館をリノベーションして質の高い特徴あるサービスを提供しています。我々のライフサイエンス事業は、そういう特徴的で質の高いCDMOを目指しています」

後編:【ガラスメーカー最大手AGCが「医薬品事業」で存在感。鍵は投資判断の2つの基準】はこちらから

(聞き手・構成、三ツ村崇志

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