新型コロナのニュースも、もはや日常の一部となり、シマオも少しずつ新しい生活に慣れてきた。シマオの勤めている会社からは、最近、出勤の要請もしばしばきている。
「また以前のように通勤して、仕事をして……か。」
そんな毎日を考えると、シマオの気持ちは暗く沈んでいく。
「僕は、このまま、この会社にいていいのだろうか?」シマオは、この心につかえた違和感ををすっきりさせたく、佐藤優さんに会いに行った。
危機の時には「災害ユートピア」に陥りやすい
シマオ:先日、「Go to イート」を使ってご飯を食べてきたんですけど、やはり店内はかなり空いていて。好きだったお店だけに、何かやるせなくなってしまいました。
佐藤さん:やはり旅行業界や飲食業界などはダメージが大きいですね。ANAがボーナスカットや採用計画の縮小を発表したことは、ニュースでも大きく報じられました。
シマオ:世の中がこれまでとガラリと変わってしまって、今までどおりのやり方が通用しなくなっているような気がします。最近、僕自身もこのままでいいのかな、って思うんですよ……。
佐藤さん:このまま、というのは?
シマオ:今の会社に特に大きな不満がある訳じゃないけど、いつ何が起こるか分からない。だとしたら、もっとやりたいことをやるべきじゃないかとか、もっと社会に貢献することを仕事にしたらいいのかな、とか。リモートで家にいる時間が増えたから、余計に考えてしまうんですよね。仕事のやりがい……みたいなものを。
佐藤さん:そのように考えてしまうのは、よく分かります。ただ厳しいことを言えば、その発言自体がいわば、余裕のある人だと思います。
シマオ:余裕……? 僕、まったく余裕なんかないですけど。給料だって安いし……。
佐藤さん:リモートにしたくても、できない人がいる。このことは、そこに格差があるということを示しています。職業の選択や収入の多寡とは別の意味で、今まで見えていなかった格差が可視化されたということです。
シマオ:確かに……。エッセンシャルワーカーのように、物理的にそこにいなければ仕事にならない人がいますもんね。リモートで悩みが増えた、なんてこと自体が贅沢な悩みってこと、か。
佐藤さん:それから、シマオ君が陥っているのは、一言でいえば「災害ユートピア」の発想です。
シマオ:災害ユートピア? それは何でしょうか。
佐藤さん:シマオ君は、2011年の東日本大震災の時はもう働いていましたか?
シマオ:いえ。あの時はまだ学生でした。
佐藤さん:震災が起きて、津波や原発事故で多くの被害が出て、価値観が根底から揺さぶられました。その結果、今のシマオ君と同じように「自分のやっていることに意味があるんだろうか」と考えて、直接的に人助けをしたり、社会貢献をするNPOへの転職を考える人がたくさん現れたんですよ。
シマオ:その気持ち、すごくよく分かります! 社会がこんなに大変なことになっているんだから、自分にも何かできるんじゃないかって……。それって悪いことじゃないですよね?
佐藤さん:もちろん、「悪い」とは言えません。ただ、一時の熱に浮かされてそのような道を選んでも、継続することはとても難しいことです。ボランティアであれば一時の助けで構いませんが、社会貢献を仕事とするということは、継続性が必要です。継続するということは、それによってお金がまわる仕組みを作るということです。
シマオ:でも、NPOって「非営利」。お金を稼いじゃいけないんですよね。
佐藤さん:確かにNPOは株式会社などと違って、利潤を追求することを目的とはしていません。ただ、勘違いしないでほしいのですが、NPOは利益を得たらいけないということではないんですよ。構成員に利益を分配してはいけないというだけなんです。
シマオ:へえ、そうなんですね。
佐藤さん:だから、NPOだってスポンサーに資金を募ったり、社会貢献とは別の所で利益を得たりして、自分たちの活動を拡大させていくんです。その意味では、やはり何をするにしても資本主義社会で貢献するには営利の獲得が必要になってくるんです。
シマオ:ただ社会の役に立ちたい、というだけではダメだと……。「ユートピア」っていうのはそういう意味なんですね。
佐藤さん:大義名分だけでは食べてはいけません。仕事は、個別の利益と大義名分の連立方程式です。そこはシビアに考える必要があると思いますよ。
“人助け”にもきちんとしたビジネスプランが必要
本当にやりたいことなら、必ず食べていける
シマオ:じゃあ、やりたいことを仕事にするなんて、やっぱり甘い考えだってことでしょうか……。
佐藤さん:いえ、矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、本当にやりたいことであれば絶対に食べていくことができます。
シマオ:そうなんですか?
佐藤さん:私が大学に進学する際に、キリスト教神学を勉強しようと決めたのですが、さすがに神学で食べていくことができるか不安で、高校の倫理の先生に聞いたことがあるんです。「神学という、やりたいことだけをやっていったら、食べていくことはできませんよね?」って。
シマオ:先生の答えは?
佐藤さん:そうしたら先生がこんなことを言いました。「私は今までの人生で、本当にやりたいことをやっていて食べていけないっていう人を1人も見たことがありません」と。だから私はさらに「先生の場合もそうなんですか?」と尋ねてみました。
シマオ:ふむふむ。
佐藤さん:先生は東大の大学院まで行って倫理学を研究した方だったのですが、「私は教えることが本当にやりたいことだったから、高校の教師をしているのは幸せだ」とおっしゃっていました。
シマオ:それはいいお話ですね。
佐藤さん:重要なのは、「本当にやりたいこと」を見極めることです。多くの人は、中途半端にやりたいことでしかないから、途中で諦めてしまうのではないでしょうか。
シマオ:でも……だとすると、「本当にやりたいこと」のハードルって高くないですか? 例えば、野球が本当に好きでも、プロ野球選手にはほとんどなれませんよね。
佐藤さん:それは「やりたいこと」を厳密にしすぎだと思います。現在のJリーグチェアマンである村井満さんは高校の同級生なのですが、彼は高校時代からサッカー部でした。でも、浦和高校のサッカー部では、プロの選手になることは難しい。だから、彼は大学を出てリクルートに勤めたんです。そこで実績を残して、Jリーグに事務方として携わることになりました。
シマオ:高校の夢を、違う形で叶えた、と。
佐藤さん:例えばサッカーなら、選手として以外にも、スポーツ医学で関わったり、新聞記者として取材したり、広告代理店やスポンサー企業として関わったり、というように多様な方法があるはずです。
シマオ:本当にやりたいことであれば、どんな方法でも追い続けられるし、多角的に関われるということですね。
佐藤さん:はい。自分のやりたいことと、得意なことで利益を追求することの掛け合わせで、うまくバランスを取ることです。もちろん、やりたいことを重視すれば給料は少なくなるかもしれない。しかし自分の時間を、好きなことに費やせることができれば、それは折り合いがつけられるはずです。時間は有限です。どう使うかはその人次第です。
社会の変化に対応して、「複線的に夢を見る」
シマオ:ただ、やりたいことがあっても、コロナみたいに世の中そのものが変わってしまうことがありますよね。僕の友達に航空業界に勤めている人がいるんですけど、すごく悩んでいました。
佐藤さん:疫病や災害は経済の構造自体に大きなインパクトを与えますからね。例えば、キャビン・アテンダント(CA)になりたい人というのは多いけど、これから数年の採用数は激減するでしょう。
シマオ:その場合、諦めるしかないんでしょうか?
佐藤さん:ここでもやはり、複線的に夢を見ることが大切です。先程、村井チェアマンの話をしたけれど、CAであればその職業のどんな要素に惹かれているのか。例えば、秘書業務とかホテルの従業員なんかは近いところがあるように思います。なぜCAになりたいのか。お客さんへのサービスが好きなのか、外国に行くのが好きなのか、英語を話したいのか。自分が感じたその仕事の魅力を、細かく要素分解することが必要です。
シマオ:「複線的に夢を見る」かあ。確かに、学生の時はつい「これじゃなきゃ」って思ってしまいがちですものね。でもどんな方向からも、自分のやりたいことには近づけるってことか。
佐藤さん:自分の意思さえはっきりしていたら、行きたかった会社の採用がなくなろうが、その業界が縮小傾向にあろうが、うろたえる必要はないんです。「どこどこの会社に入りたい、誰々がいる会社に入りたい」というように、企業ブランドや他者の存在を将来の目標にすると、予想外の事態が起きた時に、何を頼りにすべきか分からなくなります。急に道が閉ざされたと思い込んでしまうのですが、社会というものは常に変わりゆくもの。何ひとつ確かなものなんてないのが通常なんです。
シマオ:そうですね。どんな大企業だって、この先どうなるかは分かりませんものね。ただ、そうした社会の変化って、どうしたら気づけるんでしょうか。変わってからでは遅くないですか?
佐藤さん:とは言っても、誰もコロナや震災を予見できなかったように、未来を予想することは難しいでしょう。だからこそ、変化の方向性を見極めることです。
シマオ:変化の方向性……。
佐藤さん:そのために、世の中に目を凝らすことが重要です。例えば、先日、私がかかりつけにしている病院の中にあった「はなまるうどん」が閉店していました。お昼には行列ができていた店が閉店するということは、チェーン全体で選択と集中が始まっていると考えられます。
シマオ:そういえば、僕の会社の近所にある牛丼屋さんもなくなっていました。
佐藤さん:もちろん、コロナの影響で多くの飲食店がつぶれているのは分かっています。でも、そうしたチェーンの飲食店の小さな変化が、大きな社会的変化の前兆でもあるのです。
シマオ:もっと大きな社会的変化の前兆……。それって何ですか?
佐藤さん:それは自分で考えてください。「新型コロナの影響」と安易に納得せずに、そこに包含されているサインを自分の頭で考える。それが必要なんです。 私も郷愁を感じることはありますが、変化は止められません。シマオ君が子どもの頃は、まだ公衆電話がたくさんあったはずです。でも、携帯電話が出てくれば、必然的に不要になる。日本ではむしろ公衆電話が整備されていたことが、携帯電話の普及の妨げになったとも言われています。
シマオ:時代の変化に抗っていても、仕方ないってことか……。
佐藤さん:ただ、時代の変化はマイナス面だけではありません。世界を代表する自動車メーカーとなったトヨタは、何から始まったか知っていますか?
シマオ:えっ、最初は自動車じゃなかったんですか⁉
佐藤さん:トヨタの創始者、豊田佐吉は自動織機を発明して、会社を興しました。今のトヨタ自動車は、その中の一部が独立したものです。ちなみに本体の豊田自動織機は、今ではフォークリフトなどの事業で有名です。
シマオ:へえ! 創業時の事業に固執しないで、社会の変化に対応した結果、世界的メーカーになった、と。
佐藤さん:そうですね。だから、50年後のトヨタが狭い意味での自動車を作っていなくても、全然おかしくないんですよ。
※本連載の第39回は、11月4日(水)を予定しています。連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」一覧はこちらからどうぞ。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)