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私たちは「生まれてこないほうが良かったのか?」哲学者・森岡正博氏が「反出生主義」を新著で扱う理由

森岡正博・早稲田大学教授の新著『生まれてこないほうが良かったのか?』。哲学の観点から、反出生主義に自身も共感をおぼえながらも、そこから抜け出す考え方を論じる話題の書だ。

森岡正博・早稲田大学教授の新著『生まれてこないほうが良かったのか?』。哲学の観点から、反出生主義に自身も共感をおぼえながらも、そこから抜け出す考え方を論じる話題の書だ。

筆者提供

「反出生主義」(アンチナタリズム)という言葉をご存じですか?

“私は生まれてこないほうがよかった”、“苦しみのあるこの世界に子どもを産まないほうがいい”。そうした考え方のことです。

この「反出生主義」という言葉が、最近注目を集めています。雑誌『現代思想』が2019年11月号で「反出生主義を考える」という特集を組んだことも話題になりました。

代表的な提唱者の一人である哲学者、デイヴィッド・ベネター氏は、著書で<存在してしまうことは常に深刻な害悪である>と書き、<人類は絶滅する方が良い>と結論づけています。そこまで極端ではなくても、さまざまな理由から子どもを持たない人生を志向する「チャイルドフリー」という考え方も、「反出生主義」の一つだという説もあります。

いま、SNSでは「反出生」や、英語名を省略した「アンナタ」といった言葉が広く使われ始めています。

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撮影:今村拓馬

現代社会の「生きづらさ」を取材している筆者は、この現象に注目しています。

“なぜ人は「反出生」に共感するのか” —— それを考えることで、現代の生きづらさを解きほぐすヒントも見つかるように思うのです。

貧困や格差、家庭問題を背景に、「自分と同じ苦痛を子どもに味わわせたくない」と思う人がいます。差し当たって人生に不満はないけれど、「生きる価値が見いだせない」と言う人もいます。

哲学者の森岡正博・早稲田大学教授はこのほど、哲学の観点から反出生主義について論じた著書『生まれてこないほうが良かったのか?』を刊行しました。森岡教授は、哲学の考え方を平易に噛み砕いて解説した名著『まんが 哲学入門 生きるって何だろう?』の著者としても知られています。

聞けば、森岡教授は、「自分も“生まれてこないほうがよかったのか”という問いを抱えて生きてきた」といいます。そういった考え方に傾倒する人に共感もしながらも、そこからどう抜け出すかを問い続けている森岡教授にインタビューしました。

哲学者の考える「反出生主義」とは、そもそも何か?

森岡さん

撮影:牧内昇平

—— 森岡さんの解釈による「反出生主義」とは、どんな考え方ですか

一言で言うとしたら、「生まれてくること、及び産むことを否定する思想」です。反出生主義の代表的な哲学者は、19世紀のショーペンハウアー、20世紀のシオラン、21世紀のデイヴィッド・ベネターの3人です。この3人とも、誕生に関しては「生まれてこないことが一番よい」、出産に関しては「産まないほうがよい」、と言っています。

一番広い捉え方をするならば、「生まれてくること」あるいは「産むこと」を否定する思想が、反出生主義になると思います。

また、インターネットを見ていると、「反出生主義とは子どもを産まないことである」という理解が多いと思います。「子どもを産まない」というところに力点を置く反出生主義がインターネット空間では目立つということでしょう。ただ現時点で、反出生主義の統一した定義はありません。

—— 私は、雑誌『現代思想』の特集を読んではじめて、この言葉を知りました。しかし、さまざまな「生きづらさ」を抱える人に関心を寄せる中で、「反出生」的な考えをもつ人が多いことには以前から気づいていました。この言葉はいつ頃から使われはじめたのでしょうか

英語の“anti-natalism”の翻訳ですが、「反出生主義」という日本語は20世紀にはなかったと思います。インターネットの検索履歴などを調べても、この言葉がよく使われ始めたのはここ数年のことです。

もちろん、「生まれてこないほうがよかった」という考え方自体は、ずっと前からあります。たとえば太宰治が書いていますよね。<生まれて、すみません>と。

—— 本書の中では、反出生主義の考え方は古代からあると説明されていますが、なぜ最近注目を集めているのでしょうか。インターネット上では「子どもを産まない」の方に力点が置かれている印象があるとのことですが

ネット上では、反出生主義に共感する理由として「社会状況の悪化」を言っている人が一定割合います。格差社会、弱者を使い捨てるような社会の中に新たに命を生み出したくない、自分の子どもがそういうところに巻き込まれるのは見たくない、ということです。

もう一つが「環境問題」です。地球環境が悪化している中に子どもを新たにつくるのは無責任ではないか、ということ。特に英語圏のニュースを読んでいると、環境問題と反出生主義とのつながりが注目されています。

あとはもう少し抽象的に、子どもを産まなかったら彼らを苦しませるということは絶対に起きないというふうに考える人たちも多くいるようです。

森岡教授のTwitterアカウント。@Sukuitohananika。

森岡教授のTwitterアカウント。

Twitter @Sukuitohananika

—— 反出生主義に共鳴する人に直接話を聞いて思うのは、子ども時代の家庭環境、生育環境が苦しかったと言う人が多いことです。話を聞いていると、「それだけつらいことがあったのなら、『生まれてこないほうがよかった』と思うのも理解できるな」と思えてきます

そうですね。親子関係、家庭環境の問題があって、“自分がこれだけ苦しかったから子どもを新たに作ることはできない”と言っている人もいますね。

ただ、考えなければならないのは、貧困でもなく、差別も受けず、家庭環境も円満なのに、反出生主義の考え方をもつ人はいるということです。

もし魔法のようなものでその人が抱える外的要因が全部解決したとする。そうしたら「生まれてこなければよかった」とか、「子どもを産まない」とか思わなくなるのかといえば、そうではない。この点は多くの人の直観に反することかもしれません。

—— 確かに、さしあたり自分の人生に不満はなくても、「反出生主義」に共感する人がいますね。取材時の驚きの一つでした。条件付きの「こんな人生なら生まれてこなければよかった」ではなくて、本質的に「生きる価値」について疑いの目を向ける人がいる、ということですか

そういうことです。実はこの問いに、多くの人がなんとなく気づいているんじゃないのか、という気がしています。これは実は多くの人が抱えている、「真正の哲学的問題」である可能性があります。

—— インターネットで「反出生主義」について肯定的に書いている人の中に、「安楽死」についても「賛成」と主張する人が多いように見受けられますが、どう思いますか。

「賛成」と言っている人が安楽死をどういうものだと捉えているかで違ってくるので、一言では言えませんが、現代の文脈で考えれば、毒物を用いて人間を死なせる「積極的安楽死」や医師の助けを借りて自殺する「医師幇助自殺」と、反出生主義のあいだには本質的な関係はないと考えておいたほうがいいでしょう。

なぜかというと、現代の反出生主義は、「自分が生まれたことや子どもを産むことの善悪に注目するもの」で、生きている人が死ぬことに注目するものではないからです。

—— 森岡さんはなぜ反出生主義に関心を持ったのですか

私自身が「生まれてこなければよかったんじゃないか」という問いを、ずっと持っているからです。誕生を否定する思いが私の中の奥深いところにある。でもなんとかしたい、そこにとどまっているわけにはいかない、という思いがあります。人生を絶望で終わりたくないという願望が強くあるのです。

そこで十数年前から、「生まれてこないほうがよかった」という考えを克服し、どうすれば「生まれてきて本当によかった」と思えるかを探求する哲学、「誕生肯定の哲学」を打ち立てたいと考えてきました。

そうした頃、デイヴィッド・ベネターという哲学者の『生まれてこないほうが良かった』という本が出版されました(※原著は2006年、和訳は2017年に出版)。

ベネターは理詰めで「生まれてこないほうが絶対いいんだ」ということを彼なりに論証したと主張します。英語圏の哲学の世界では大きな話題になりました。

私はベネターに代表される反出生主義をある意味では「他山の石」としながら、正反対の考え方である自分の哲学を作っていきたいと思ったのです。

—— 森岡さんが「生まれてこなければよかった」と思うのはなぜですか

自分が生きている中で非常にたくさんの苦しみを感じてきた。生まれてこなければ、そういう苦しみを感じる可能性は最初からゼロだった。そう考えることは当然あります。

もうひとつは、私が生きている中で、身近ないろんな人を傷つけてきたという思いです。私が生まれてこなければ、人を傷つけるということがこの宇宙の中で起きなかったんじゃないかと思えてしまいます。これはむしろ加害性の方ですね。

もう少し抽象的になってしまいますが、死はつらく、苦しいだろうということ。いくら健康で長生きしたとしても、死は宿命づけられている。そんな生になぜ生まれてきたんだろう、というのがあります。いろんな問いが折り重なっています。

——「生まれてこなければよかった」という思いを乗り越えていきたいと。つまり“反・反出生主義”の立場なのでしょうか

反出生主義とは「生まれてくること、および産むことを否定する思想」だと先ほど言いましたね。前者については、「生まれてこなければよかった」という思いに縛られないように生きていくにはどうすればいいか、哲学の道を通して考えたい、というのが私のスタンスです。

一方で後者、「新たに子どもを産み出す」ことに関してはそれがいいことなのか悪いことなのか、今のところ、哲学の中では説得的な答えが出ていない、というのが私の見解です。

苦しみの問題や、同意不在論(※生まれる子ども本人から出産の同意を得ていない、という問題)を考えたとしても、まだ結論には至っていない。「産んだほうがよい」も「産まないほうがよい」も、どっちも説得力が不十分だと私個人は今の時点では思っています。

現在インターネットを中心に使われている「反出生主義」という言葉には、統一した定義はなく、各自がバラバラに使っています。私はそれらを8種類に分類する図表を作ってツイッターに公開しています。

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森岡氏が「反出生主義」の議論を整理するために作った分類図。「出生」と「出産」についてどう考えるかに応じて、さまざまなタイプの「反出生主義」がある、というのが森岡氏の考えだ。

作画:森岡正博

例えば、「人間は苦しまないほうがいいからすべての人は子どもを作らないほうがいい」という考え方も反出生主義と呼ばれ、「他人のことは知らないけれど自分は子どもを作るつもりはない」という考え方も反出生主義と呼ばれています。この二つはずいぶん違いますよね。

また、反出生主義の考えを持つ人を中傷したり、(また逆に)子どもを産んだ人を中傷するような声もたくさん見られますが、こういうことはやめてほしいと強く思います。反出生主義が人々を分断するツールとして使われてはいけません。

—— 先ほど言及があったベネターは、“生まれてくること”と“産むこと”について「善か悪か」で考えますよね。私はこれに違和感がありました。森岡さんはむしろ、こうした「善か悪か」という問いではなく、「生まれてきたことを肯定できるかどうか」という問題設定を提唱していますね。この部分に共感しました

これは私がニーチェから学んだところです。「この生命世界で起きていることは善悪を超えている」というのが、ニーチェの最終的な思想の一つです。我々が生まれ、生き、死んでいく「生成」の世界で起きていることは、根本的に善悪を超えているのだという気づきは、とても重要だと思います。

さらに言えば、誕生肯定できた生も、できない生も、善悪の彼岸なんですよ。どっちがいい、どっちが悪い、というのはない。ベネターにはこの視点がありません。

人生において、そこで時間が凍り付いてしまうような重大な悲しい出来事を、私は「破断」と呼んでいますが、破断が起こってしまった人生も、その破断がひょっとして起きなかった人生も、善悪は比べられない、ということになる。そういう世界観はあり得ると思うし、私はそっち側で考えたいですね。

—— みんなが「生まれてこなければよかった」という思いを克服すべきなのでしょうか

「生まれてきてよかった」と思いたい人がそう思えるような社会は、よい社会だろうなという風に私は思います。

例えば、先ほど言った外的要因(貧困や家庭問題など)で「生まれてこなければよかった」と考えてしまっている人が、そこから脱出したいと望むならば、それを後押しする社会になるべきだと思います。

ただ、みんなが「生まれてきてよかった」と思わなければいけない、ということではありません。

反出生主義の考え方を持ち続けて死ぬという生き方も、私は首尾一貫した生き方だと思っています。

誕生を否定して死ぬ人生と、誕生を肯定して死ぬ人生との間に、価値の上下はないと思っています。だから、私の哲学は反出生主義を全面否定するものではなくて、「反出生主義を抱えながらもそこから脱出するにはどうしたらいいか」を考えるものです。

森岡氏の個人サイト

森岡氏の個人サイト。

撮影:伊藤有

—— 人々が「生まれてきてよかった」と思えるために、貧困などの問題を解決する努力は必要です。DVなどの家庭問題も対策が切実に求められています。一方で、その努力は続けるとしても、残念ながらそうした外的要因がゼロになったりはしないでしょう。どうすれば「生まれてきてよかった」と思えるようになるのでしょうか

それは、ずっと考えていることです。生まれてきてよかった、つまり「誕生肯定」とはそもそも何なのか。人にそんなことができるのか、ということが私の大きな問いです。特に、人生に大きな破断が起きたとき、それでも生まれてきたことにイエスと言えるのか、という問いを私はずっと持っています。

—— 破断を乗り越えて自らの誕生を肯定するにはどうすればいいでしょうか

「破断が起きた」ということと、「破断が起きた後も私がここまでサバイバルしてきている」ということとを分けて考えるのは重要だと思います。

これらは結構混同されてしまいますが、別々のことです。ある出来事が起きたことは絶対肯定できないけれども、そのことを潜り抜けて私が今まで生き延びたことは肯定できる。そう考えてみてはどうでしょうか。

この話はもっと説得力を持って言えるはずだと思っていますが、今はまだ、ああでもない、こうでもない、と考えている段階です。実際に誕生否定の思いに駆られていて、これをどうにかしたいと思っている人に対して、具体的にどうすればいいのか、どう考えればいいのか、最終的には哲学者としてひとつの見通しを答えなければいけないと思っています。

これは一般的には臨床心理学の分野ですが、哲学者が答えられる部分もあるように思うからです。誕生肯定の概念を基礎にして、哲学をもういちどすべて基礎から立て直してみたいのです。


現代に反出生主義が広まる背景を注視

渋谷のスクランブル交差点で群れる人々

撮影:今村拓馬

森岡さんの新刊では、反出生主義的な考え方や、誕生否定の思想が、古典文学の中でどのように表現され、また哲学の中でどう扱われて来たか、さらには古代インドの原始仏教との関係性が深く論じられています。

本書の内容とインタビューを踏まえ、そうした考えを持つ人を否定すべきではないという森岡氏の見解にもうなずかされます。「誕生を否定して死ぬ人生と、誕生を肯定して死ぬ人生との間に価値の上下はない」という言葉は印象的でした。

一方で、現代社会において反出生主義が広まる背景には十分注意しておくべきだと筆者は考えます。貧困や格差、マイノリティの存在の軽視。フェミニズム運動の高まりとも関連が見いだせると思います。

日本社会が抱えるさまざまな問題にあえぎ苦しんだ結果、やむを得ず「反出生」に共鳴する人がいるとしたら、それは大きな問題です。反出生主義を普遍的な思想の一つとして受け入れつつも、一人ひとりが「どうして反出生主義になったのか」を、常に考える必要があるのではないでしょうか。

(文・構成、牧内昇平)

森岡正博(もりおか・まさひろ):1958年生まれ。哲学者。早稲田大学人間科学部教授。「誕生肯定(=生まれてきて本当によかったと心の底から思えること)の哲学」の確立を目指している。『無痛文明論』『生命学をひらく』『感じない男』『脳死の人』『まんが 哲学入門 生きるって何だろう?』など著書多数。

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