EU離脱に伴う移行期間を年内で打ち切ると宣言している、ボリス・ジョンソン英首相。世間からの声には応えられるのか?
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イギリスと欧州連合(EU)の通商協議が難航している。ボリス・ジョンソン英首相は、EU離脱に伴う「移行期間(※)」を年内で打ち切ると宣言しているが、若年層失業率の上昇もあってジョンソン首相の支持率は急落。感染第2波が深刻化するイギリスで、世代間対立をさらに深めるEU離脱の“着地点”はあるのだろうか?
※移行期間:イギリスのEU離脱後、新たな通商協定を締結するまで、EUとの間で通商関係を離脱前と同様に保つ経過的な措置のこと。もともと最長で2022年までの延長が許されていたが、ジョンソン首相は交渉の結果の如何にかかわらず、この移行期間を年内に打ち切ると2020年6月に明言していた。
「交渉打ち切り」は高齢層へのアピール
10月15日から2日間の日程で行われたEU首脳会議の様子。
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イギリスとEUの通商協議が難航している。
EUは10月15日から2日間、首脳会議(サミット)を開催した。今年1月末にEUから離脱したイギリスのジョンソン首相は、この日までにEUとの間で新たな通商協定を締結すると一方的に主張、それが適わない限りはEU離脱に伴う「移行期間」を年内で打ち切ると宣言していた。
移行期間を打ち切った場合、これまでEUとの間で行われていた貿易取引を、世界貿易機関(WTO)で定められた一般的なルールで行う必要に迫られる。これまで必要なかった通関でのチェックが必要となるし、また関税を課す必要にも迫られる。特に通関でのチェックの負担は、イギリス側に大きく圧しかかる。
それというのも、イギリスの輸出と輸入の大半がEUとの間で行われているからだ。
つまりWTOルールによる貿易がスタートすれば、通関の業務は急増する。このストレスに耐えるのが容易でないことは簡単に想像できる。にもかかわらず、ジョンソン首相はWTOルールも止むなしという態度をこれまで見せてきた。
通商協定なき移行期間の打ち切り(=ノーディール)であれば、イギリスだけではなくEU側も痛みを負うことになる。それを回避したいならイギリスの意向に従えというのがジョンソン首相の大まかな交渉スタンスだ。
これはEUに対する圧力でもあり、同時に国内の支持者層、具体的にはイギリスのEU離脱を支持した保守派や高齢層に対するアピールでもあった。
コロナ対応でジョンソン首相の支持率は急落
新型コロナウイルス感染の第2波を迎えていると危惧される欧州。写真はロンドン市内。駅はマスクを着けた人々で溢れている。
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実際、保守党の支持者や高齢者の一部には、ノーディールでも構わないという声が根強い。
一方で、保守党議員や支持者の多くがEUとの間で通商協定を締結すべきだと考えている事実がある。野党関係者や無党派層となると、そうした声がなおさら強い。EUの態度も軟化せず交渉は煮詰まり、ブラフ(こけおどし)戦術は通用しなくなった。
こうした事態に追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。
10月に入り、1日当たりの感染者数は1万人を超え、第1波を遥かにしのぐペースで増え続けている。幸いにも死者数の増加は限定的だが、感染者数の激増を受けてジョンソン政権は感染状況に応じて3段階に分けた都市封鎖(ロックダウン)を実施せざるを得なくなった。
春の第1波の際、ジョンソン首相はコロナ対応で失敗を重ね、自らも罹患して公務から一時的に離れる事態となった。
その結果、一時5割を超えたジョンソン首相の支持率は急低下し、足元では28%(英YouGov社調べ、10月12日時点)と低迷している。EUとの通商協議でも新型コロナ対応でも、ジョンソン首相は失敗を重ねているわけだ。
コロナで若者の失業率は急激に悪化
今年1月31日にイギリスがEUを離脱した際には、各地でデモが行われた。EU離脱反対派によるデモは、現在でも行われ続けている。
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またこのコロナ禍で、EU離脱問題で深まった世代間対立がさらに悪化する恐れが出てきている。
2016年6月に実施された国民投票でEU離脱を支持した人々は、EU懐疑論者の多い高齢者に偏っていた。言い換えれば、物心がついてからEUが身近な存在であったミレニアル世代以下の有権者の過半が、残留を支持したことが判明している。
ある上院議員が孫からかけられた有名な言葉として「じいちゃん、あんたの世代が僕の人生を台無しにしたんだよ(Grandpa, you do realise that your generation has just ruined my life!)」(出所:鶴岡路人『EU離脱』、ちくま新書)というものがあるが、これはEU離脱に伴うミレニアル世代以下の不満や不安をよく示している。
【図表1】足元で急激に悪化するイギリスの雇用情勢。
出典:英国家統計局データを元に筆者作成
コロナ禍でイギリス経済もまた厳しい状況に置かれているが、特に足元ではミレニアル世代以下で雇用情勢の悪化が深刻だ【図表1】。
すでにコロナ禍では5万人以上の雇用が失われているが、そのほとんどが24歳以下の若者や49歳以下の働き盛りである。またこの異常な状況で、本来なら労働市場に入るはずの新社会人が苦境に立っている。コロナショックに伴う雇用悪化のしわ寄せを受けているのも、ミレニアル世代以下というわけだ。
またイギリスでは長らくロンドンを中心に住宅バブルが続き、ミレニアル世代以下が自分の家を持つことが難しくなっているが、コロナ禍でも、減税措置を追い風に住宅価格の上昇が続いている【図表2】。
価格上昇に給与削減で、若者は住宅を持つことがさらに難しくなったが、一方でバブル崩壊の後始末をするのは自分たちだという深刻な矛盾を抱えている。
【図表2】止まらないイギリスの住宅バブル。
出典:英国家統計局、Nationwideのデータを元に筆者作成
コロナ禍で人々の心は疲弊しきっているが、さらにノーディールが圧しかかれば、イギリスの社会は混乱極まる状態になる。しかもその悪影響はミレニアル世代以下に集中し、将来的なツケを払うのもミレニアル世代以下だ。
彼らの怒りの矛先はEU離脱を導いた先人たちに向かい、世代間の亀裂はさらに深まって、イギリス社会は本格的な危機に直面するだろう。
移行期間の実質的な延長しか解がない
EU離脱のマイナスの影響を背負うことになっている若者たち。結果が出るまでの間、彼らはその負担に耐え続けなければいけないのだろうか。
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万事休すと考えたジョンソン首相が、捨て身のノーディールを敢行する展開も考えられなくはない。しかしそれを支持するのは、数少ない保守党関係者とその支持者層だけだ。
強い負のショックがイギリスを襲うこの選択をジョンソン首相がとるなら、彼自身その職を任期満了まで務めることなどまずできないだろう。
仮に任期を満了したとしても、遅くとも2024年に予定される次期総選挙で、保守党は歴史的な敗北を帰する可能性が高い。EU離脱の国民投票からほぼ10年が経過し、政治決断の主役がミレニアル世代以下にシフトする。この間によほどの果実が得られない限り、ジョンソン保守党には厳しい評価が下されることになる。
結局のところ、イギリスとEUは11月まで通商協議を延長することになりそうだ。そうなると、交渉はどのような形でまとまるのだろうか。究極のところ、それは移行期間の実質的な延長でしかないといっていいだろう。実質的な延長とは何か。具体的には、流通(空運や陸運)面を中心に現状のやり取りを当面維持するイメージだ。
一方で、双方で主張の対立が根深い争点、例えば政府による企業への補助金の問題や英仏海峡における漁業権の問題などに関しては、引き続き議論を行うことになるはずだ。そして四半期ないしは半年の期限ごとにこの経過措置の継続を協議し、結果的に年単位の措置となる展開が見えてくる。
EU離脱は中長期的に見るとイギリスにプラスなこともあるだろう。しかしその結果が出る頃には、離脱を決断した世代はもういない。一方でEU離脱に伴うマイナスのツケは、結局のところ若者が払うことになる。こうしたことが民主主義の名の下でまかり通っていいのだろうか。
(文・土田陽介)
土田陽介(つちだ・ようすけ):三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)調査部副主任研究員。2005年一橋大経卒、06年同修士課程修了。エコノミストとして欧州を中心にロシア、トルコ、新興国のマクロ経済、経済政策、政治情勢などについて調査・研究を行う。主要経済誌への寄稿(含むオンライン)、近著に『ドル化とは何か‐日本で米ドルが使われる日』(ちくま新書)。