国際通貨基金(IMF)が10月13日に改定した「財政報告(fiscal monitor)」2020年版の表紙より。
Screenshot of IMF FISCAL MONITOR 2020 OCT
米財務省は10月16日、2020会計年度(2019年10月1日~2020年9月30日)の財政赤字が過去最悪の3兆1320億ドル(約330兆円)に達したと発表した。
これまでの過去最悪は、リーマンショック直後にあたる2009会計年度の1兆4160億ドルだから、2倍を超える水準でこれを更新したことになる。アメリカの名目GDP(約21兆ドル、2019年)の15%相当という規模感は文字通り、戦時中を彷彿とさせるものだ。
筆者はこの「ドルの過剰感」(=財政出動などでドルが市場に過剰供給されている状況)こそが為替相場の潮流を規定しているとみており、足もとには米連邦準備制度理事会(FRB)が政策的に金利上昇を抑え込む状況もあることから、ドルは買えない通貨だと考えてきた。その基本認識は当面変わりそうにない。
なお、10月13日に発表された国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」改定は、アメリカの2020年の財政赤字をGDP比18.7%に達するとしている(※財務省の数字は会計年度ベース、IMFは暦年ベース)。
米議会で紛糾中の追加経済対策が今後付加されてくることを踏まえれば、財政赤字は最終的にもっと膨らむことになる。
【図表1】アメリカの財政赤字とドル相場の推移。
出典:Macrobond/IMF/The White House資料より筆者作成
いずれにせよ、【図表1】から得られる過去の経験則を踏まえると、ドル相場が上昇するイメージを抱きにくい、厳しい状況が続く。
先進国の財政赤字の状況
もちろん、いまは世界中どこを見渡しても巨額の財政出動が行われているので、通貨の過剰感はアメリカに限らず増していると考えられる。そのため、相対的な視点も検討しておく必要がある。
その点、10月に改定されたIMFの「財政報告(fiscal monitor)」が重要になる。先述の「世界経済見通し(WEO)」や「国際金融安定報告(GFSR)」に隠れて注目されにくいが、注目に値するレポートだ。
下の【図表2】を見るとわかるように、2020年における主要国の財政赤字(対GDP比)は、アメリカに限らず軒並み大幅に悪化している。
【図表2】G20の財政赤字とGDP成長率。なお、前節の【図表1】内のアメリカの財政赤字と、この表内の数字が若干異なるのは推計方法の違いによる。
出典:IMF資料より筆者作成
本筋から逸れるが、ここで財政収支を考察する際の基本的な論点を押さえておきたい。
各国の財政出動は、景気悪化に応じて実行された「裁量的な財政政策」(青部分)と、それ以外の「自動安定化装置としての財政調整(非裁量的な財政政策)」(赤部分)に分かれる。
後者の「非裁量的な財政政策」には、景気変動の幅を自然と小さくする安定化効果を持つ社会給付制度が含まれる。例えば、所得が多くなるほど税率が高くなる累進課税制度や、職を失ったときにお金をもらえる失業保険給付などがそれだ。
不況時には、景気悪化に伴ってそうした給付が増える一方、税収は減少するので赤字は拡大方向に作用する。今回のIMF財政報告によれば、こうした非裁量的な財政政策に起因する赤字は3分の1を占める。
財政赤字の拡大要因はほかにもある。
専門的な話で多少ややこしくなるが、財政学の世界では、基礎的財政収支(=利払いを除いた財政収支)が均衡しているという前提のもと、「利子率 (r)<経済成長率(g)」の条件を満たしていれば、政府債務残高(対GDP比)は長期的に安定すると考える。
この「r<g」もしくは「r-g<0」は「ドーマー条件」と呼ばれ、財政収支の持続可能性を判定する際の簡易ツールとして知られる。
現在の局面をこの図式にあてはめると、金融政策によって利子率(r)が抑制されていても、経済成長率(g)がそれを上回る過去に経験のないペースで落ち込み、大幅なマイナス成長が予測されるため、「r-g>0」になるのは間違いない状況だ。
IMF財政報告は、2020年に想定される先進国の政府債務残高の悪化幅(20.3%ポイント)のうち、6.6%ポイント分が、この「r-g>0」の状況に由来すると分析している。
先進国は金利水準がもともと低いので、成長率が大幅悪化するときに財政収支が悪化しやすい。先の【図表2】を見ても、悪化幅の大きな国に先進国が多いことがはっきりと見てとれる。
アメリカの影響が圧倒的と言える当然の理由
さて、本筋に話を戻そう。
先進国の財政状況が横並びで悪化しているとすれば、(どの国の通貨も供給過剰なのだから)冒頭で言及した「ドルの過剰感」の影響も薄れるのではないか……という考え方も成り立ちそうだ。
しかし、筆者はそうは考えない。
前節の【図表2】をもう一度見てみると、2020年のG20における財政悪化幅は大きい順に、カナダ、イギリス、アメリカ、ブラジル、イタリアと並ぶ。アメリカの悪化「幅」は、確かに世界最大ではない。
ただし、ここで忘れてはいけないことがある。
アメリカ経済(約21兆ドル)は、世界経済(約87.5兆ドル、いずれも2019年)の2割以上を占める圧倒的な存在という事実だ。
政府の財政政策(国債発行)は、中央銀行の金融政策(当座預金の残高を増やす量的緩和)とは異なり、実体経済に何らかの形で通貨が供給されている。マネタリーベースではなく、マネーサプライに直接的に訴えかけられるからこそ、迂遠な金融政策よりも即効性に優れた財政政策がこの状況下で重要視されるわけだ。
例えば、アメリカが対GDP比で10%(約2.1兆ドル)の財政赤字を出したとしよう。それはすなわち、カナダ経済(約1.7兆ドル)より大きな規模のドルが供給されたという話になる。
これから可決されるであろう追加経済対策を踏まえれば、財政赤字は最終的に対GDP比で25%程度まで膨らむ可能性もある。財政の悪化幅は世界最大でなくとも、その金額規模は圧倒的であり、したがって「ドルの過剰感」はやはり他国とは比較にならないと言っていい。
なお、IMF推計によれば、2021年にかけては経済活動の復調と低金利の恩恵もあって、ほとんどの国において政府債務残高は安定すると見込まれているが、アメリカやイギリスは悪化が継続する見通しだ【図表3】。
【図表3】主要国の財政赤字状況(2021年推計含む)。
出典:IMF資料より筆者作成
イギリスポンドもまた「過剰感」のために、買えない通貨になりそうだ。それでも、絶対額を考えると、当面注意すべきはやはりドルの過剰感と思われる。
債券市場において、財政赤字の拡大が金利上昇に直結してくるような地合いになれば、ドルを買い求める向きも復活してくるかもしれない。しかしながら、FRBは「2023年までゼロ金利継続」の姿勢を明示しており、そのような意図せざる金利上昇(=金融引き締め環境)を容認することはないだろう。
引き続き、為替市場においては、ドル安方向のリスクを大きめに警戒しておきたい。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文:唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。