ドコモ回線とIIJを紐づけた端末。IIJ回線は、物理カードが存在しないeSIMだ。
撮影:小林優多郎
10月21日、一部で「総務省が携帯電話値下げでeSIMを普及させる」と報じられた。
総務省では月内にも「アクションプラン」として携帯電話会社に対して料金値下げに向けたプレッシャーをかけるようだが、その中身としてeSIMの積極的な採用を呼びかけるようだ。
しかしこの施策、考えれば考えるほど、「机上の空論」めいてやしないかと感じられる。
「そもそもeSIMとは」の説明が必要な現状
携帯料金の値下げを官房長官時代から打ち出してきた菅義偉首相。今回の総務省方針の報道も、こうした一連の流れのなかにあると言える。
Nicolas Datiche-Pool/Getty Images
eSIMとはキャリアとの契約情報をオンラインでスマホに書き込める仕組みだ。
物理的なSIMカードは小指の先ぐらいのICチップに契約情報が書き込まれている。通信キャリアを乗り換える時は通常、キャリアによっては機種を変えるときにSIMカードを新規に発行してもらわなくてはいけない。
例えば、iPhone 12に関しては、auではこれまでユーザーが使っていたSIMカードはそのまま流用できず、SIMカードの切り替えが必要だ。アップルのオンラインストアで購入し、auで使いたい人はauに電話をしてiPhone 12で使えるSIMカードを発行してもらう必要がある。
これがeSIMであればオンラインで申し込みから利用が簡単にできる。
例えば、Apple Watchではデータ通信しかせず、すでにiPhoneで音声契約をしていることもあり、実にスムーズに契約が完了する。
物理的なSIMカードの場合、ネット上で契約をしたとしても、通信をするためのSIMカードを郵送で送ってもらう必要がある。
総務省ではeSIMを普及させることで、こうした物理的なSIMカードの発行という手間を省くことで、ユーザーの流動性を高め、結果として料金値下げにつなげたいようだ。
しかし、ことはそう簡単ではないのだ。少なくとも、eSIM施策のみの推進には3つの大きな課題がある。
1. eSIMの普及はキャリアだけの問題ではない
IIJとBICが提携して「店頭販売」するeSIMパッケージ。中身は、シリアルコードだけで、オンラインで処理を進める。ただ、データ通信のみであり、スマホで一般的に使えるeSIMは、ごく一部の事業者でしか扱っていない現状がある。
撮影:小林優多郎
ただ、「eSIMを普及させよう」と打ち出したからといって、すぐに環境が整備されるわけでもない。
事実として大手3キャリアはこれまで、ユーザーに逃げられる可能性があるため、これまでeSIMの導入を頑なに拒んできた。
eSIMに関しては、2018年にiPhone XSなどがeSIMに対応した際、ソフトバンクが我先にと「eSIM対応を検討したい」とアナウンスしたものの、いまだに検討が続いている。
それだけ、eSIMに対応することでユーザーの流出を恐れているのだろう。
アップルは自分たちの好きなようにiPhoneを開発しているが、Androidメーカーはキャリアの意向に沿った製品開発を行なっている。そのため、メーカーの幹部は「キャリアにeSIMを提案しても、徹底的に拒否される。なので、SIMフリー版にしかeSIMは搭載できない」と愚痴をこぼす。
今回、総務省がアクションプランで、キャリアに対してeSIMの採用を促せば、キャリア側の温度感は変わるかもしれない。しかし、その仕様が実際の新機種に反映されるのは、1年後くらいかもしれない。つまり、「eSIM対応機種の拡充」には、時間がかかる。
それまでは、下手をするとiPhoneなど一部機種の独壇場になりかねないのではないか。
2. 現行の仕組みでは「新規」が不利になる
国内大手キャリアとしては唯一、eSIM積極推進派の楽天モバイル。写真は、eSIMのみ対応する端末「Rakuten Mini」。
撮影:石川温
ただ、先日、話を聞いたMVNO関係者からは「今後、eSIMじゃなくても、今までのスマホでSIMカードの抜き差しなしに簡単に事業者の乗り換えができるようになりますよ」と囁かれた。
一体どういう意味なのか?
確かに、かつてアップルがiPad向けに提供していた「Apple SIM」は、プラスチックの物理SIMカードでありながら、複数のキャリアの情報を書き込むことができた。iPadを海外に持ち込む際、現地の安い料金プランを契約できたのだった。その後、Apple SIMはプラスチックカードから内蔵タイプとなり、eSIMへと進化した経緯がある。
ただし、これはApple Watch同様に「データ通信専用」だから実現できたことだ。
音声対応SIMでどうなるかは、先行例を見るとわかりやすい。
日本でeSIMといえば楽天モバイルが積極的だ。
キャリアブランドのRakuten Mini、Rakuten BIGはeSIMしか対応しない。契約情報などを見られる「My 楽天モバイル」から簡単にeSIMを発行できるようになっている。ついこの間まで3000円の手数料が取られたが、今では無料だ。これで気軽にeSIMに対応したiPhoneやiPadで楽天モバイルの回線を利用できる。
一度契約すれば、eSIMはとても簡単なものだが、これは「回線契約を増やす」や「物理SIMから切り替える」場合であって、「乗り換え」ではない。
楽天モバイルのeSIM発行画面。契約がありさえすれば、簡単に物理SIMとeSIMを切り替えることもできるが……。
撮影:伊藤有
実は、新規契約(別キャリアへのMNP含む)となると、ネットでの簡単申し込みはできても、一手間、必要となってくる。
音声通話を伴う新規契約やMNPの場合、本人確認が必要だ。楽天モバイルでも、スマホでサクサクと新規契約ができ、「そのままeSIMを発行できるようになるのかな」と思いきや、当然のことながら本人確認はなくならなかった、
その場合、免許証などをスマホで撮影し、アップロードする。もしくは、アナログ的な方法としては、楽天モバイルからチラシしか入っていない封書が佐川急便から自宅に送られてくる。その封書を受け取るには佐川急便の人に免許証などを本人が提示してしなくてはならない。封書が本人に手渡ったことで本人確認のプロセスが完了し、ようやく楽天モバイルのサービスが使えるようになるというわけだ。
つまり、「eSIMを普及させて、流動性を高めよう!」と盛り上がっているかもしれないが、こうした本人確認のプロセスを改善するという作業も必要なのだ。
すでに総務省でもeKYC(electoronic Know Your Custmer、電子的に顧客を知ること)の議論を進めている。スマホで顔の撮影と身分証を撮影することで本人確認をする取り組みを、すでにLINE Payなどでは導入している。
eSIMで流動性を高めるには、キャリアやMVNOでもこうした本人確認を導入する必要がありそうだ。
もちろん、MVNO自体もeSIMに対応しなければならない。現在、MVNOでeSIMに対応できているのはIIJなどに限られている。
eSIMを発行するためにはそれなりの設備投資も必要だ。ただでさえ、ほとんどの事業者が赤字に苦しむMVNOで、これ以上の設備投資が難しいところもありそうだ。
3. 乗り換えメリットを排除したのに、「移行しやすさ」整備のちぐはぐ
撮影:今村拓馬
総務省としては早期に料金値下げを実現したいのだろうが、eSIM環境を整備するには、まだまだ時間がかかるのではないか。
これまで「9500円程度かかっていた契約解除料の値下げ」「2年縛りの見直し」「SIMロック解除の改善」「MNP手数料の引き下げ」など、総務省はユーザーが辞めやすい環境を整備してきた。しかし、その努力は虚しく、キャリアの解約率は上がる気配を見せない。
そもそも現状、他のキャリアやMVNOに移る積極的メリットがない中で、「辞めやすい環境」を整備しても意味がないのだ。そこにeSIMを普及させたところで、どれだけ流動性を高めることにつながるのか?
やはり「他キャリアに移りたい」と思う強力な動機になる、「端末割引規制の撤廃」を真剣に検討すべきではないか。
インフラの世代交代の時期は、端末買い替えの絶好の機会でもあるが……(写真は10月23日発売のiPhone 12とiPhone 12 Pro)。
撮影:石川温
国外に目を向ければ、iPhone 12が発売されるにあたって、アメリカのキャリアは大盤振る舞いの端末割引を始めた。
下取りなどが必要だが、ただ同然のオファーを出すキャリアもある。アメリカで5Gを普及させるためには端末割引が最も効果的な方法なのだろう。
KDDIの髙橋誠社長は先週、筆者のインタビューのなかで「端末を割引して売るというのは普通のビジネスモデルだと思う。5Gスマホを普及させて、5Gのエリアを広げる。次に何が起こるといえば、そのインフラを使って、安価にIoTを実現できるようになる。その付加価値が日本の成長をつくっていくようになるのではないか」と語っていた。
10月27日に公表されるとされる、値下げに向けた「アクションプラン」。
端末割引の規制は取り払われるのか。単にeSIMの導入という小手先の提案では顧客の流動性は止まったままだろう。
(文・石川温)
石川温:スマホジャーナリスト。携帯電話を中心に国内外のモバイル業界を取材し、一般誌や専門誌、女性誌などで幅広く執筆。ラジオNIKKEIで毎週木曜22時からの番組「スマホNo.1メディア」に出演。近著に「未来IT図解 これからの5Gビジネス」(MdN)がある。