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中国人民銀行(中央銀行)は10月23日、法定通貨の人民元にデジタル通貨を加えることを盛り込んだ中国人民銀行法改正案を公表した。11月23日までパブリックコメントを募る。また人民銀金融研究所の莫万貴副所長は、同日北京で開かれた金融フォーラムで、法定デジタル通貨(CBDC)を2022年に開かれる北京冬季五輪会場周辺で使えるようにすると明言した。
人民銀は10月中旬、深セン市でデジタル人民元の市中実証実験も展開、CBDCの開発だけでなく、仕組みづくりでも世界をリードすることを狙っている。
ブロックチェーン強国宣言から1年
習近平主席が「ブロックチェーン強国」を宣言して1年、CBDCの発行に向けた準備が着々と進んでいる。
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中国は2019年、2020年のほぼ同じ時期に、暗号通貨を支える根幹技術であるブロックチェーンとCBDCに関する大きな政策を公表した。
1年前の10月24日、習近平国家主席は中国共産党中央政治局の研究会で、「ブロックチェーン技術の応用は、新たな技術革新と産業のイノベーションにおいて重要な役割を担う。我が国はブロックチェーンのコア技術をイノベーションの重要な突破口として、力を入れる」と述べ、「ブロックチェーン強国」を目指すと宣言した。その2日後の10月26日には、暗号ビジネスの発展やインターネットセキュリティの保障を目的とした「暗号法」が、中国の全国人民代表大会常務委員会で可決された。
その後、中国ではブロックチェーン関連銘柄の株価が高騰し、地方政府がこぞってブロックチェーンの開発・実装目標を発表した。
2020年も同じ動きが起きるだろう。
デジタル人民元はアリババの金融子会社アント・グループが運営する「アリペイ(支付宝)」と、テンセントの「WeChat Pay(微信支付)」という2大QRコード決済アプリと競合するとも見られるが、アリババ創業者のジャック・マー氏は10月23日、「デジタル通貨は今は一般的でないが、今後通貨の定義を変えるだろう」と肯定的な見解を示した。
国家統計局は週末の25日、「統計調査にビッグデータ、クラウドコンピューティング、ブロックチェーンなどの次世代情報技術を投入し、統計の制度を上げていく」と発表した。
リブラ以前から開発進めていた人民銀
2019年6月にFacebookがデジタル通貨「リブラ」を発表したことが、先進国のCBDC開発を加速させた。
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日本や欧米などの先進国がデジタル通貨開発を本格化させたのは、2019年6月にフェイスブックがデジタル通貨構想「リブラ(Libra)」を公表したことがきっかけだ。
リブラは国際送金のコスト低減や、既存の金融機関にアクセスできない人に金融サービスを提供するファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)を解決することを掲げていたが、各国政府は個人情報の安全性や国家の通貨主権や金融政策を脅かし、マネーロンダリングやテロ資金に使われるとして、総じてリブラ構想に反対した。
同時に、中央銀行側はリブラという黒船を前に、自らCBDC開発に取り組むことを迫られた。2020年10月に入り、欧州中央銀行(ECB)は「デジタル・ユーロ」を商標申請するとともに、パブリックコメントの募集を始めた。日本銀行も10月9日、デジタル通貨の実証実験を2021年度に実施すると発表した。
一方、中国金融当局はリブラ構想が明らかになったとき、機会とリスクをより中立的に分析していた。
人民銀の王信研究局局長は2019年7月、「リブラは一定の問題を解決するが、各国の通貨政策に大きな影響をもたらすだろう」と述べ、人民銀前総裁で中国金融学会会長の周小川氏は「将来的に登場するグローバル通貨の代表となることが視野にあるのだろう。転ばぬ先の杖として、今のうちに政策を研究し、潜在リスクを洗い出すことが、我々に利益をもたらす」と語った。
周前総裁は、リブラが「従来の暗号通貨から教訓を得て、価格の大幅な変動と投機的な要素を抑えた」「国際貿易や送金の不満に焦点を当て、解決策を提案した」点で、ビットコインやイーサリアムなど従来の暗号通貨とは違った役割を果たすとも指摘。「小さな国際組織や発展途上国での国際送金、あるいは移民労働者の国際送金は、現状は確かに手数料が高い」とリブラを評価した。
同じころ、人民銀の支付(決済)司の穆長春副司長は、「リブラのようなステーブルコインは、中央銀行の監督下に置くべき」という趣旨の文章を発表した。
人民銀幹部のリブラ論評からほどなくして、人民銀も以前からデジタル通貨の発行を検討し、技術開発が最終段階に至っていることが明らかになった。中国はリブラによって法定通貨同等の影響力を持つデジタル通貨に対する関心が高まったタイミングで、数年温めてきたデジタル人民元計画を世界に公表したのだ。
人民銀の背中押した社会のキャッシュレス化
2014年以降急速に普及したQRコード決済が、人民銀をCBDC開発に向かわせた。
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人民銀がCBDCの研究に着手したのは2014年、2017年1月にはテンセントやファーウェイが本社を置き、イノベーション先進都市として知られる深セン市にデジタル通貨研究所を設立した。その背景にあったのは、中国社会のキャッシュレス化だ。
国際クレジットカードや電子マネーが普及しておらず、日本以上に現金社会だった中国では、2014年から2015年にかけてアリババとテンセントのQRコード決済が急速に浸透した。
2つのメガIT企業が消費データを吸い取り、中央銀行が金の流れを把握しにくくなる事態は、政府にとって好ましいことではない。中国政府と人民銀は、決済プラットフォームに規制をかけつつ、対抗措置として通貨のデジタル化にも着手した。
同じくキャッシュレス化が進み、多くの店舗が現金での支払いを受け付けなくなったスウェーデンも、2025年に現金流通がなくなるとの見通しの下、デジタル通貨「e-krona(イークローナ)」の実証実験を行っている。
現金流通が減った国はリブラ構想にかかわらずデジタル通貨の発行を模索し、先行していたということだ。
リブラが先進国の猛反発を受け、計画通りの発行が難しくなるにつれて、中国は世界で最初にCBDCを発行するという野心を強く打ち出すようになった。
2019年8月、人民銀の穆副司長は「(デジタル人民元は)いつでも出せる状態」と発言。中央銀行が銀行などの金融機関にデジタル通貨を発行し、金融機関が一般消費者に対し、法定通貨と交換する形でデジタル通貨を提供する「二層運営システム」を採用するスキームも説明した。
政府のお墨付きで詐欺やマルチ商法も続発
デジタル人民元の実証実験参加者には、選んだ銀行ごとに設定された色の人民元画像が表示された。
深セン市政府リリースより
1年前に習主席が「ブロックチェーン強国」を宣言し、デジタル人民元は2020年にも発行されるとの見方が強まった。米メディアは2019年の11月のネットセール「独身の日」に合わせ、デジタル人民元がローンチされるとも報じた。
だが、実際には国民のCBDCやブロックチェーンに対する関心が高まったことで、これらの用語を用いたマルチ商法や投資詐欺が続発し、中国当局は慎重姿勢に転じた。
中国政府はブロックチェーンを5Gや人工知能(AI)と並ぶ次世代の覇権を握る技術として強化し、CBDCのルール整備でも世界をリードしようと目論むが、暗号通貨の取引や発行については、2017年に「投機を過熱させる」「金融市場や社会を不安定にする」として、全面禁止した。
ブロックチェーンの応用やデジタル人民元発行の機運が盛り上がり、再び暗号通貨ビジネスや投資詐欺が動き出すことを恐れた人民銀は、2019年末になると「世界最初にこだわる必要はない」「法整備が必要」とトーンダウンした。
だが、計画そのものが止まっていたわけではない。
2020年夏、深セン市、河北省の経済特区「雄安新区」、四川省成都市、江蘇省蘇州市が実証実験都市に選定され、一部の事業所で給料や手当がデジタル人民元で支給されるようになった。
10月12-18日には中国・深セン市で、デジタル人民元の国内初の市中利用実証実験が行われた。実験には約191万人が応募し、5万人が200元(約3200円)相当のデジタル人民元を受け取った。
専用のウォレットをダウンロードし、デジタル人民元を受け取る銀行を選ぶと、銀行のロゴと同じ色の人民元画像が表示される。中国銀行と中国工商銀行は赤、中国建設銀行は青、中国農業銀行は緑だ。
利用法はQRコード決済とほぼ変わらず、ウォルマートなど3389店舗が決済を受け付けた。
深セン市によると利用期限の18日までに4万7573人が受け取り、取引回数は6万2788件、取引額は876万4000元だった(約1億4000万円)。ウォレットはチャージ可能で、90万1000元(約1400億円)が追加チャージされたという。
2019年8月には技術的に「いつでも出せる」状態だったデジタル人民元は、2020年10月、法整備と最初の市中実験という大きな節目を迎えた。
1年以上先行し新興国開拓
中国人民銀行は2014年にCBDCの研究を始めた。
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中国政府がこれから取り組むのは、国民へのCBDC利用の動機付け、CBDC以外のデジタル通貨の抑止という2つの課題だろう。
10月23日に公表された法案は、民間組織や個人によるデジタル通貨発行の禁止も明記しており、フェイスブックのリブラも含めて、デジタル人民元以外のあらゆる暗号通貨をブロックする姿勢を改めて示した。
中国のCBDC発行の最大の目的は、金の流れを把握し、脱税などを防止することだ。実証実験都市では、公務員の給与がデジタル人民元で支払われるケースもあり、おそらく給与支給や納税から導入が広がっていくだろう。
デジタル人民元は法定通貨なので、支払いを受ける店舗は手数料を取られることもない。アリペイやWeChat Payにとってライバルになるのか、あるいは連携できるのかはまだ分からない。
11月初旬に上海・香港に同時上場が予想されるアント・フィナンシャルは目論見書で、「デジタル人民元は、人民元のデジタル化であって、現金と定義されるため一般的な決済ツールとは違う。デジタル人民元が当社の経営に及ぼす影響は見えない」と記した。
具体的な運用についての議論はこれからだが、間違いないのは、中国が他国に先行して蓄積した知見を、新興国に共有し、取り込んでいく可能性が高いということだ。リブラ構想が発表されたときに人民銀幹部がメリットを認めたのは、自分たちも同じことをやろうとしていたから、と見ることもできる。
国際決済銀行(BIS)が2020年1月に発表した年次調査報告によると、調査に回答した66の中央銀行のうち約10%がデジタル通貨の発行にかなり近づいており、パイロットプロジェクトを行っているのは全て新興国だった。金融や決済のシステムが不安定な新興国の方が、CBDCの発行に対してより強いインセンティブを持っている。
日米欧の金融当局は、CBDCでの中国の脅威を認識し、連携を進めているが、スマホや自動車と違い、CBDC発行に関しては、スタート時から中国が先行してきた。追いつくのは容易ではない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。