2020年9月29日にビッグニュースが飛び込んできました。日本電信電話(以下、NTT)が株式公開買付け(以下、TOB※1)を通じてNTTドコモ(以下、ドコモ)を完全子会社化することが発表されたのです。
特に驚きなのがTOBにおける想定買収額です。その額なんと4.3兆円。あまりに大きすぎてピンとこないかもしれませんが、これはホンダや伊藤忠商事クラスの企業を丸ごと買えるくらいの金額です。
(出所)NTTドコモ以外はそれぞれの企業の2020年9月29日の株価の終値に発行済み株式総数をかけて算出したもの。NTTドコモは公開買付価格をもとに算出。
ちなみに、ソフトバンクが2006年にボーダフォンを、2012年にスプリントを買収した際にはいずれも「高額な買い物」だと市場で大きな話題になりましたが、この時の買収金額ですら1.75兆円と1.8兆円。今回のNTTによるドコモ完全子会社化は、ソフトバンクがボーダフォンとスプリントを買収した金額を合算した数字よりも大きいのです。
これほど巨額の資金を投じてまでNTTがドコモを完全子会社化する理由は何なのでしょうか? 4.3兆円もの金額を払う価値をNTTはどこに見出しているのでしょうか?
そこで今回は前後編の2回にわたり、NTTがドコモを完全子会社化する狙いについてファイナンス面から読み解いていくことにします。
ドコモ完全子会社化の狙いとは?
NTTが9月30日に行った記者会見や同社のプレスリリースに(以下、「公開買い付けのお知らせ」) によれば、今回のドコモ完全子会社化の主な目的は次の2つです(図表2)。
(出所)NTT「NTTドコモの完全子会社化について」(2020年9月29日)より編集部作成。
そして、この目的を達成するために以下の4つのことに取り組むことも発表しています。
ドコモを完全子会社化したうえでこれらに取り組むことで、5Gを含めた情報通信市場を取り巻く環境の変化、またリモートワールド(分散型社会)やニューグローカリズムの台頭といった社会トレンドの変化にキャッチアップしていこう—— NTTはそう考えているようです。
それもそのはず、NTTの過去3期の業績を見ると、成長の鈍化が見て取れます。
(出所)NTTの有価証券報告書をもとに筆者作成。
かつて1989年に時価総額ランキング世界1位だったNTTも、今では100位圏内にも入らないほどビジネス環境は大きく変化しました。このように厳しい環境でNTTが再び世界に存在感を示すためには、子会社であるドコモのリソースを最大限に活用する必要があるということなのでしょう。
ですが、ここで単純な疑問が湧いてきませんか? これらの目的や取り組みは、ドコモを完全子会社化しなければできないことなのでしょうか?
ドコモを完全子会社化せざるを得ない理由
図表5は、NTTとドコモの資本関係を表したものです。
筆者作成
ドコモは上場しているとはいえ、NTTにとっては過半数の株式を保有する子会社です。会計上も連結されており(※2)、実質的にはNTTの支配下にあります。であれば、なにもわざわざ完全子会社化しなくても、先述した2つの目的や4つの取り組みは実行できそうにも思えます。
しかし結論を先に言ってしまうと、ファイナンスの視点から見れば、今の状態ではNTTが達成したい目的や取り組みを実行に移すことはできません。その理由は「コーポレートガバナンス」にあります。
コーポレートガバナンスとは何か
コーポレートガバナンスという言葉自体はみなさんも耳にしたことがあると思います。ですが「その本質的な意味合いは?」と問われると、答えられない人も意外に多いのではないでしょうか。
東京証券取引所が発行する「コーポレートガバナンス・コード」によれば、コーポレートガバナンスは次のように定義されています。
「会社が、株主を始め顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」
なんだか分かったような分からないような定義ですね。もう少し噛み砕いて説明しましょう。
コーポレートガバナンスは日本語では「企業統治」と訳されますが、そもそもこのガバナンス(governance)の動詞形「govern」は、ラテン語の「船の舵をとる」に由来します。つまり、ガバナンスには「大きな方向性を決める」「物事を治める」という意味があるのです。
企業の舵取りをしているのは経営陣です。経営陣に対して、適切な意思決定をしているか確認したり、舵取りを投げ出したりしていないか規律付けをするのが、コーポレートガバナンスにおける関係者の役割です。
では関係者とは誰でしょう? これこそが、コーポレートガバナンス・コードの定義に出てくる「株主を始め顧客・従業員・地域社会等」です。
この部分を理解するうえで一番イメージしやすいのが、実はP/L(損益計算書)です。P/Lに並んでいる科目は、会社のほぼすべての利害関係者と対応しています(図表6参照)。
企業の利益の源泉は主に顧客からの売上です。売上から、取引先に支払いを行い、従業員に給料を支払い、金融機関等に利息を払い、税金を国・地方自治体に納め、最後に株主へ配当が行われます。このように、上から下へと流れていく様は「ウォーターフォール(「滝」の意)」と呼ばれます。
関係者に“そうめん”が行き渡っているか
このことを分かりやすくイメージするために、頭の中に「流しそうめん」を思い描いてみてください。
最上段から流し入れたそうめん(顧客からの売上)を、まずは取引先が、次に従業員が……と順番にすくっていきます。一番下で待ち構えている株主までそうめんが流れてくれば、それより上に位置するステークホルダーもそうめんにありつけていると見なすことができます。
つまり、一番下に位置する株主にも十分にそうめんが行き渡るように、株主に対しても満足に利益が残せている企業は、仕入れ先、取引先、従業員、金融機関らに対してきちんと支払いができている状況と言えます。
しかしこの時、特定のステークホルダーだけがそうめんを多く取りすぎたり、逆に取り分が回ってこなかったりする状況は決して好ましくありません。
特に上場企業は社会に与える影響が大きいため、それぞれのステークホルダーの立場を踏まえた上で、経営陣は透明性を持って事業を行うことが大切です。これが、コーポレートガバナンスの定義の後半「透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み」の意味するところです。
つまり、「会社が、株主を始め顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」とは、会社の経営陣の舵取りに対して、ステークホルダーがそれぞれの立場から規律付けをしているようなしくみのことを言います(図表7)。
このように企業には多様なステークホルダーが存在しますが、なかでも「経営者」と「株主」の関係、および経営者に対する株主の規律付けや監視は、狭義のコーポレートガバナンスと呼ばれます。
先述のとおり、ウォーターフォールの一番下にいる株主が満足できている状況ならば、他のステークホルダーも満足していると考えられます。したがって、経営陣に対する規律付けという点で、株主は大きな役割を担っているのです。よく「株主重視の経営」などと言われる意味合いはここにあります。
このコーポレートガバナンスの基本原則を踏まえたうえで、次にNTTとドコモがどのような関係性にあるかを詳しく見てみることにしましょう。
日本に多い「親子上場」
親会社であるNTTは、子会社であるドコモの株を66.21%保有しています。そして、NTTとドコモはどちらも上場企業です。このように親会社・子会社ともに上場している状態を「親子上場」と言います。
親子上場している例は他にもあり、例えば以前この連載でも取り上げたソフトバンクグループとソフトバンク、先日コロワイドによるTOB(Take Over Bid:株式公開買付け)が成立した大戸屋ホールディングス(連載第20回を参照)のほか、キヤノンとキヤノンマーケティングジャパン、日立製作所と日立金属などが有名です。
このように日本ではよく見かける親子上場ですが、実は世界的に見れば日本では親子上場の事例が突出して多く、他国ではあまり見られないのが実情です(図表8)。
では、なぜ日本は他国に比べてこれほど親子上場の例が多いのでしょうか?
理由を一言で言えば、日本では長らく「メインバンクシステム」が機能していたからです。
戦後日本で企業を実質的に規律付けしていたのは、株主ではなくメインバンク、つまり主力銀行でした(主力銀行が企業の経営にどれだけ影響を及ぼしてきたかは、この連載第27〜28回でも取り上げたドラマ『半沢直樹』に描かれている通りです)。
このように、経営陣に対する銀行からの借入など、債権者による規律付けのことを「デットガバナンス」と呼びます。メインバンクは、ローンの最大融資者、融資先の株式の保有、出向を通じた人材の派遣などを通じて、経営陣に対して規律付けを行っていました。
これに対し、株主による規律付けを「エクイティガバナンス」と呼びます。
筆者作成
かつての日本企業を象徴するキーワードといえば、「メインバンク」に加え、終身雇用、年功序列、企業内労働組合などで成り立つ「日本的経営」、そしてトヨタ系列や三菱グループといった垂直統合のビジネスモデルと「企業系列」。
系列企業は互いに株式を持ち合うことで安定株主として存在し、相手方の経営には口を出さないという暗黙の了解がありました。この株式持ち合いに銀行も加わることで、企業系列や財閥グループに対していっそうの影響力を持ってきたのです。
戦後からバブル期までの日本企業は、こうして銀行、従業員、取引先の間に安定的かつ長期的な関係を保ってきました。
筆者作成
しかしバブル崩壊後、この強固なつながりに亀裂が入ります。不良債権問題により銀行の体力が落ち込み、従来型のメインバンクシステムを通じて安定的な資金供給ができなくなったのです。
加えて、終身雇用や年功序列がいよいよ限界を迎えていること、オープンイノベーションや水平分業の台頭により企業系列だけでのビジネス展開が難しくなったこと、さらにはコーポレートガバナンスの観点などから株式持ち合いの解消も進んでいます。
その結果、日本でも経営陣に対する規律付けは、デットガバナンスからエクイティガバナンスへ移行するようになってきました(※3)。近年、ビジネスの現場で「コーポレートガバナンス」という言葉の重みが増してきている背景には、こうした変化があります。
親子上場が抱える問題
このように、日本でもデットガバナンスからエクイティガバナンスが存在感を示すようになり、ステークホルダーを踏まえたうえで企業が「透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行う」ことが重視されるようになると、親子上場という形態ではいろいろと問題が出てきます。
1. 親子上場がはらむ「利益相反」のリスク
第一に、支配株主と少数株主の利益相反の問題が挙げられます。ドコモの例に当てはめると、支配株主とはNTT、少数株主とはNTT以外の株主のことを指します。
NTTはドコモの株式の過半数を保有しており、ドコモを連結子会社として抱えています。このような場合、支配株主であるNTTは少数株主の利益を犠牲にして、NTTにとって都合が良いようにドコモを利用する恐れが生じます。
これでは、先ほど説明したコーポレートガバナンスの定義からしても大問題です。
そこでこのような状況を避けるため、コーポレートガバナンス・コードの基本原則1には次のように書かれています。
「上場会社は、株主の実質的な平等性を確保すべきである。少数株主や外国人株主については、株主の権利の実質的な確保、権利行使に係る環境や実質的な平等性の確保に課題や懸念が生じやすい面があることから、十分に配慮を行うべきである」
また、同原則1-6にはこうも書かれています。
「支配権の変動や大規模な希釈化をもたらす資本政策(増資、MBO等)については、既存株主を不当に害することのないよう、取締役・監査役は、株主に対する受託者責任を全うする観点から、その必要性・合理性をしっかりと検討し、適正な手続きを確保するとともに、株主に十分な説明を行うべきである」
つまり、NTTが今回のディールを通じて達成したい目的と取り組みを実行に移すにあたっては、NTTは少数株主と利益相反にならないよう細心の注意を払う必要があります。
しかし、NTTにとってはジレンマでしょう。常にドコモの少数株主との利益相反を意識しなければならないのでは、スピード感をもってドコモとともに進めたい取り組みに当たることができない恐れがあるからです。
もちろんドコモとしても、上場企業である以上、NTTの要望ばかりに耳を傾けるのではなく、少数株主の意見も踏まえて経営を行う必要があります。となると、NTTとしてはドコモを扱いづらくなってしまいます。
2. 親子上場では事業ポートフォリオを最適化しにくい
利益相反のことを踏まえると、NTTはたとえ支配株主といえども自由にドコモの戦略に口出しできる立場にありません。しかしそれでは、親会社であるNTTはグループ全体から見た事業ポートフォリオの最適化がしにくくなってしまいます。これが、親子上場がコーポレートガバナンスの観点から問題である2つ目の理由です。
ただしNTTが今後いっそうグローバルで事業を展開していくためには、グループ横断で持てるリソースやアセットを活用していく必要があります。その意思決定を迅速化するためにも、NTTはドコモとより連携を強める必要があります。
実際、NTTのプレスリリース「公開買い付けのお知らせ」には、今回のTOBを通じたドコモの完全子会社化により、グループ全体のバリューチェーンを明確化することの重要性が言及されています(※4)。
また、9月29日に行われたNTTの記者会見で、記者からの「完全子会社化によって経営の意思決定の迅速化は図れるのか」といった趣旨の質問に対して、NTTの澤田社長は「100%子会社と親子上場の場合の一番の違いは、やっぱりガバナンスのスピードが変わってくる」ことだと回答しています(※5)。
親子上場の問題点はこの他にもいくつかありますが、上に述べた「利益相反」と「事業ポートフォリオの最適化のための迅速な意思決定ができないこと」の2つが特に重要です。このような不都合を生じさせないためにも、NTTはドコモの少数株主との利益相反が起こらないよう、ドコモを完全子会社化する道を選んだのでしょう。
ちなみに、10月6日の日本経済新聞の報道によると、2020年度はすでに15件もの親子上場が解消されているそうです(※6)。図表12の一例は、NTTとドコモのような完全子会社化だけでなく外部への売却といった事例もありますが、いずれもコーポレートガバナンスの観点から見て、利益相反の存在やグループ全体での戦略を最適化しにくいと判断してのことでしょう。
ここまでで、NTTがドコモを完全子会社化することに決めた背景を「コーポレートガバナンス」という視点から読み解いてきました。
次回はさらに一歩踏み込んで、NTTがなぜTOBという手段を選んだのか、そして4.3兆円もの巨額資金を投じてまで今回のディールを行う意味について考えていきたいと思います。
※1 TOBについてはこの連載第20回「大戸屋HDに敵対的TOBのコロワイド。市場価値に70億円上積みの買付け価格は高い?安い?」でも詳しく解説しています。
※2 連結の会計のしくみについては、ソフトバンクグループの事例を取り上げた本連載第13回「ソフトバンクG営業赤字1兆3500億円の衝撃。『日本一わかりにくい決算』を読み解く鍵は3つの収益源」を参照のこと。
※3 エクイティガバナンスへの移行は、コーポレートガバナンスコードに加えて、機関投資家に対する行動規範であるスチュワードシップコードの存在も大きいです。
※4「株式会社NTTドコモ株式等(証券コード 9437)に対する公開買付けの開始及び資金の借入れに関するお知らせ」p.6に次のような記載があります。
「かかる事業環境下において、公開買付者グループが、自らを取り巻く急速な市場変化に柔軟に対応していくためには、グループ全体の経営資源配分の最適化等も視野に入れた役割(バリューチェーン)を明確にした上で、グループ横断で各社のリソース・アセットを戦略的に組み合わせて活用していくことが必要であり、その際、対象者グループを含む公開買付者グループ各社がグループ横断の取り組みに関して意思決定を迅速化することが重要と考えております」
※5 「NTTとNTTドコモが共同会見(全文1)ドコモの競争力強化と成長が目的」に、次のような記載があります。
「一番効果的なのは意思決定を迅速化できるということなんですね。やはり上場会社同士の議論としては、それは当然ステークホルダーが違いますし、少数株主の権利、あるいはベネフィットっていうのを考慮した場合、議論の幅が増えてしまいます。言い方を変えると会議体が増えて時間が掛かります。そういう意味でいいますと100%子会社と親子上場の場合の一番の違いはやっぱりガバナンスのスピード、それが変わってくるということだというふうに認識はしています」
※6 「『親子上場』解消加速、20年度はや15社 市場圧力強く」日本経済新聞電子版、2020年10月6日。
※この続きは、11月2日(月)の公開を予定しています。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:1980年生まれ。経済学研究科の修士課程を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして大手企業や地方の新規事業の開発及び起業の支援等をしている。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も実施している。