2020年9月29日、日本電信電話(以下、NTT)がNTTドコモ(以下、ドコモ)を完全子会社化することが発表されました。
今回、NTTはドコモに対してTOB(Take Over Bid:株式公開買付け)を行います。ドコモの時価総額は約12兆円。そのうちNTT以外の投資家の持ち分約33%を、NTTはTOBを通じて取得しようとしています。TOBの想定買収額は4.3兆円という空前の規模にのぼります。
TOBといえば、この連載第20回でも取り上げたコロワイドvs.大戸屋HDのような敵対的買収を真っ先に想像する方もいるかもしれませんが、今回はそれとは違って友好的な買収です。加えて、買取割合が低くても成立することを踏まえると、TOBの成立はほぼ確実と見てよいでしょう(※1)。
なぜNTTはわざわざTOBをするのか?
ここで、疑問が湧いた方もいるかもしれません。NTTはなぜわざわざTOBをするのでしょうか?
TOBはいざ実施するとなると、公開買付届出書を内閣総理大臣に提出したり、買収対象企業から質問があった場合は対質問回答報告書を提出したりなど、面倒な手続きが伴います。支配株主というなら、NTTはもう少し簡単にドコモを完全子会社化することはできないのでしょうか。
この疑問を解く鍵は、連載第20回でもお話しした「株式の持分」にあります。NTTがドコモの株式をどのくらい保有しているかによって、ドコモへの影響力は変わってくるのです。
筆者作成
親会社が子会社の株式を66.7%以上持っていれば、株主総会の特別決議を単独で可決することができます。つまり、この条件に当てはまっていれば、NTTは「株式交換」という金融手法を用いてドコモを100%子会社化することができるわけです。
株式交換では、ドコモの株主に対して親会社であるNTTの株を付与することで、NTTはドコモの少数株主(NTT以外のドコモの株主)の株式を取得することができます(図表2)。この場合の最大のメリットは、なんと言っても現金を必要としないという点です(※2)。
では、NTTは本当に株主総会の特別決議を単独で可決できるだけの「支配権」を持っているか確認してみましょう。ここで再び、前回眺めたNTTとドコモの資本関係(図表3)を見てみると……。
(出所)NTTの有価証券報告書及び「公開買付けのお知らせ」をもとに筆者作成。
NTTが保有するドコモ株の持分は、なんと66.21%! 支配権を握る66.7%にはぎりぎり足りません。つまりNTTは、ドコモに対して「経営権」は握っていても、NTT単独でドコモを意のままにできる「支配権」までは持っていないということです。
これが、NTTがTOBという手間のかかる手続きを経る必要があった理由です(※3)。言い換えると、NTTが株式交換を使うことができていれば、今回のTOBを通じたドコモの株式取得のために4.3兆円もの金額を手当てする必要はなかったとも言えます。
鍵を握る「66.21%」という持分
それにしても、なぜNTTの持分は66.21%と、支配権にぎりぎり満たない数字なのでしょうか?
これまでのNTTによるドコモ株の持分の推移をたどってみましょう。
ドコモ設立当初、NTTはドコモ株を100%保有していました。しかしその後、ドコモが1998年に上場するなどの過程を経て、NTTの持分は67.13%にまで減りました。さらにその後、 ドコモによる自己株式の公開買付けにNTTが応じてきたことで 、NTTの持ち分は2018年時点で56.52%にまで下がりました。
つまり、ドコモはNTTからの自己株買いを通じて、むしろNTTからの独立性を高めようとしていたのです。
しかし、ドコモは2019年2月と2020年4月に自己株式の償却を行ったことで、結果的にNTTの割合は現在の66.21%に至りました。
ここからは推測ですが、おそらくドコモは自己株買いをすることで、ROE(自己資本利益率)を高め、機動的に動こうと図っていたのではないでしょうか。と同時に、自己株式を償却しつつも意図的に「66.7%」にはぎりぎり届かない水準を保っていたのではないでしょうか。
というのも、NTTがドコモ株を66.7%以上持つと、必然的に「株式交換」という手法を選択肢に入れる必要があるからです。
先ほど株式交換は「現金を必要としない点が最大のメリット」とお話ししましたが、この手法にも当然デメリットはあります。その最たるものは株式の希釈化(もしくは希薄化)です。
希釈化とは、新株発行により株式の発行総数が増えることで、1株当たりの権利が少なくなることを言います。
具体的に考えてみましょう。NTTの時価総額は約8.7兆円ですから、NTTがドコモの少数株主の持分4.3兆円分を株式交換で取得しようとした場合、NTTは株式のかなりの割合をドコモ少数株主に渡す必要があります。
仮に、9月28日時点のNTTの株価とドコモのTOB価格3900円を踏まえて、NTTとドコモの株式交換比率を1:1.72と仮定しましょう。NTTはドコモ株式を取得するために、NTTの株式を19億株強発行する必要があります。
もしそうなれば、ドコモ株主と交換するNTT株は全体の34.4%に及びます。こうして希釈された結果、政府の持分は従前の34.7%から23.7%に減ってしまいます。
筆者作成
現在、国はNTTの株式34.7%を保有しています(自己株式を除く)が、ここで希釈化が起これば、上述のように拒否権(先の図表1参照)の基準となる34%を下回ることはほぼ間違いないでしょう。
このような株式交換のデメリットを踏まえれば、たとえNTTがドコモ株の66.7%以上を持っていたとしても株式交換という手法は使いづらかったでしょうし、そもそも株式交換が選択肢に入ってしまうような66.7%の持分は保有したくなかったのかもしれません(※4)。
NTTは66.21%という絶妙な持分だったからこそ、支配権は発生せず、したがって株式交換という選択肢を積極的に考えずに済みました。これが仮に66.7%を超えてしまうと、「なぜ株式交換をしないのか」という点をコーポレートガバナンスの観点からも株主に丁寧に説明する必要が出てきます。
こうした事態を避けつつ、ドコモに対して最も影響力を持てる株式保有割合が66.21%だったのではないか。そしてドコモも、自己株式の償却をしても66.7%は上回らない形で自己株式の取得を進めてきたのではないか——これはあくまで推測ですが、NTTの持分の推移を見ていると、そのような推測が脳裏をよぎります。
4.3兆円をどうやって調達するのか
ここまでで、NTTがわざわざTOBをせざるを得なかった事情は分かりました。では、NTTはどのようにして4.3兆円もの資金を手当てするのでしょうか?
「NTTクラスなら、4.3兆円くらいポケットマネーからポーンと出せるのでは」と思う方もいるかもしれませんが、さすがのNTTも手持ちのキャッシュは1兆円ほど(図表5)。ドコモを完全子会社化するには、とてもではありませんが手持ちの資金が足りません。
(出所)NTTの有価証券報告書をもとに筆者作成。
そこでNTTは、金融機関からの借入を通じて今回のTOBの資金の手当てをするようです。借入先として名を連ねるのは日本を代表する金融機関ばかり。さながら“オールスター総出演”の様相を呈しています。
(出所)「公開買付けのお知らせ」より筆者作成。
一般的に、企業を買収する際には買収金額のうち10〜20%前後は自己資金を入れる必要があるものですが、このように実質的にほぼすべて借入金で手当てできるのはさすがNTTです。NTTの信用が高いことに加えて、完全子会社にするドコモの企業価値が高いからこそでしょう(※5) 。
今回のディールは「4.3兆円」に値するか
「NTTはドコモを完全子会社化することで、コーポレートガバナンスにおける非効率を解消することができる。その結果、NTTはドコモを含むグループ全体で経営を行いやすくなる」——この説明には、それなりに合理性と説得力があります。
しかし問題は、そこにかける資金量です。その額なんと4.3兆円。ホンダや伊藤忠商事の時価総額に匹敵するほどの資金を投下してまでドコモを完全子会社化することに、経済的なメリットはあるのでしょうか?
今回のTOBの公開買付け価格は3900円(図表7)。この価格は、公表日の前営業日の終値に対して40.54%ものプレミアム(※6) がついています。直近3カ月間の終値の単純平均値に対してでも32.59%のプレミアムです。
プレミアムから逆算すると、3カ月平均の株価は2941円となります。この株価に買付け予定数である約11億を掛けると約3.2兆円ですから、TOBにおける買収総額4.3兆円は直近3カ月の平均株価から計算した時価総額よりも1.1兆円も高いことになります。
NTTにとっては、ドコモを完全子会社化させることで生み出される収益を通じて、プレミアムとして上乗せした1.1兆円を回収するようにグループ経営を効率的に行うことが求められます。
仮に、ドコモを買収したにもかかわらずこれまでの延長線のような業績しか挙げられなければ、4.3兆円もかけた買収は残念ながら失敗だったとみなされてしまいます。この失敗を最終的に負うのは、言うまでもなくNTTの株主です。
そのようなことにならないよう、今回のTOBは、NTTやドコモから独立した第三者から多くの助言を踏まえて実施されることになっています(※7)。
NTTはTOBを行うにあたって、利益相反(前回参照)にならないよう、そして財務的にも買収が正当化しうるものになるように、独立した外部アドバイザーを活用しながら幾十にも検討を重ねてきたはずです。そうやってはじめて、NTTはドコモに対してTOBを実施でき、またドコモとしてもTOBに賛同できたのです。
では、ドコモを完全子会社化することの経済合理性についてはどうでしょうか。
連結子会社の売上や利益は親会社のP/Lに計上されます(連載第13回を参照)。今回のケースで言えば、ドコモの売上や利益はNTTのP/Lに計上されるということです。
しかしドコモを完全子会社化する前は、NTTは66.21%の持分しか持っていないため、残りの33.89%分については利益に計上されません。その金額が、2019年度では約2800億円になります。
一方、完全子会社化するとNTTはドコモの利益を全部取り込むことができます。つまり、ドコモを子会社化するのに4.3兆円かけた分、年あたり2800億円の利益を計上できれば、利回りは少なくとも6.5%になります。
NTTとドコモが一体化することでドコモの利益がさらに成長すると見込めれば、経済性の観点からも決して悪くはない投資と言えるでしょう。
政府による値下げ圧力は関係しているのか
今回のNTTによるドコモ完全子会社化の背景には「政府の意向」が関係していると噂されるが……(写真は就任記者会見時の菅首相)。
Carl Court/Pool via REUTERS
2020年9月に菅政権が発足しましたが、菅首相は官房長官時代から「携帯電話の料金を4割下げる余地がある」といった趣旨の発言を行っていました。就任後初の記者会見でも改めてこのことに言及していたことから、今回のNTTによるドコモの100%子会社化の背景には、政府からの値下げ圧力によるものではとの一部報道も流れていました。
国はNTTの株式を34%持つ株主でもありますから、「菅首相の意向を踏まえてドコモをNTTの完全子会社にし、携帯料金値下げの呼び水に使おうとしているのだ」というシナリオも一定の納得感はあります。
しかしおそらく、今回のディールは国の意向と直接の関係はないだろうと私は見ています。なぜなら、コーポレートガバナンスの観点からすると、このような行為はご法度だからです。
仮に、国の意向で携帯電話の料金を4割下げさせた結果、ドコモの利益が損なわれ、同社の少数株主の権利が害されたとしたらどうでしょう。
「このような圧力がまかり通るようなマーケットは適切に機能しているとは言えない」と外国人投資家(※8) から思われてしまい、日本にマネーが集まりにくくなってしまいます。国だってそんな不利益を自ら招くようなことはしないでしょう。
また先ほど説明したように、今回のディールは複数の第三者アドバイザーからのさまざまな意見を踏まえて検討が重ねられた結果でもありますが、このプロセスに国が関与する余地は基本的にありません。
それを裏付けるように、今回のドコモに対するTOBでは、NTTは政府の圧力や政府への配慮を匂わせる発言は微塵もしていません。9月29日に行われた記者会見では、今回のディールが国の意向によるものなのかを問う記者に対して、NTTの澤田純社長は毅然とした態度で次のように答えています。
「料金にて安価なサービスを出すというのは、これは別に政府に言われたからとか、出資比率があるからとかでなくして、やっぱりお客さまにいいサービスをご提供する、あるいは競争の中で勝つ、そういうことを前提に(中略)取り組んでいっております。料金を下げたり、いいサービスを出そうという基本的な事業活動と、今回のこのプロジェクトは一緒じゃないんです。全然、独立事象で。
(中略)4月から検討入りまして、いろんな議論を6月に正式に申し入れて積み上げてきたわけなんで、料金値下げをやるためにこれをやるというふうに、直接的なリンクはありません。ただし、これをやることでドコモは強くなる。(中略)その結果、財務的基盤も整いますので、値下げの余力は当然出てくると、こういうふうにはなろうかと思います」(※9)
澤田社長のこの発言は、ファイナンス的な視点から見れば当然の回答です。別の見方をすると、今回のTOBと政府の意向を結び付けるような報道は、基本的にはすべて憶測の域を出ていないと判断してよいでしょう。
会計的ファイナンス的思考を磨く
今回は、NTTによるドコモのTOBについて2回にわたり考察してきました。
このニュースは日本中をあっと驚かせたビッグディール、かつ常日頃から携帯電話料金の値下げを主張してきた菅首相の新政権発足直後というタイミングだっただけに、その裏には政府の意向があったのではという憶測も飛び交いました。
しかしこういう時こそ「会計的ファイナンス的思考」で物事を考察することが大切です。ここでいう会計的ファイナンス的思考をもう少しブレイクダウンすると、(1)数字で考える、(2)ファクトを重視する、(3)ロジックを使う、の3つです。
今回の例で言えば「NTTの持分は具体的にどのくらいか」や「4.3兆円という数字はどのくらいのインパクトがあるのか」など、まずはきちんと数字に落とし込んで議論をすることが大切です。
次に、なるべく一次情報や公開情報を利用すること。確かに「NTTがドコモを完全子会社化するのは政府の意向によるものだ」と聞けば、なんとなく納得してしまうかもしれません。ですが、こういう時こそきちんと一次情報で裏取りをすることが大切です。
「本当にそうなのか」とゼロベースで物事に向き合えば、NTTの澤田社長の記者会見や公開買付けに関する資料のどこにも、政府の意向は言及されていないことが分かります。
これら数字とファクトを踏まえて丁寧にロジックを展開していくと、自分なりの考察や新たな視点を導き出せるようになります。ぜひ皆さんも、会計的ファイナンス的思考を上手に使いこなしてみてください。そうすることで、日々のニュースをより深く理解することができるはずです。
※1 実際、NTTドコモが2020年9月29日に公表した「当社親会社である日本電信電話株式会社による当社株式等に対する公開買付けに係る賛同の意見表明及び応募推奨に関するお知らせ」には次のように書かれています。
「当社の支配株主(親会社)である日本電信電話株式会社(以下「公開買付者」といいます。)による当社の普通株式(以下「当社普通株式」といいます。)及び本米国預託証券(下記「2.買付等の価格」において定義します。以下同じです。)を対象とする公開買付け(以下「本公開買付け」といいます。)に賛同する旨の意見を表明するとともに、当社の株主の皆さまに対し、本公開買付けに応募することを、本米国預託証券の所有者の皆さまに対し、事前に本米国預託証券を本預託銀行に引き渡し、かかる本米国預託証券に表章されていた当社普通株式の交付を受けた上で、本公開買付けに応募することを、それぞれ推奨することを、決議いたしましたので、お知らせいたします」
※2 NTTの持分割合は66.2%なので、NTT単独では特別決議で株式交換をすることはできません。しかし、全体で0.5%ほどのドコモの株主が賛同をすれば特別決議を通せるため、株式交換も実現の蓋然性は高いと言えます。
※3 NTTのプレスリリース「株式会社NTTドコモ株式等(証券コード 9437)に対する公開買付けの開始及び資金の借入れに関するお知らせ」(以下、「公開買付けのお知らせ」)には、TOBを実施する理由として、次のことが書かれています。
「公開買付者の既存株主の希釈化の影響や対象者の少数株主の便宜の観点から、株式対価ではなく現金対価により完全子会社化を実行することが望ましいとの考えの下、本取引に係る税制上の取扱い(本日現在において、公開買付者は対象者の発行済株式(自己株式を除きます。)の総数の3分の2以上に相当する数の対象者株式を有しないことから、現金対価による株式交換又は株式併合による完全子会社化の場合には対象者について時価評価課税がなされること)も踏まえ、公開買付者は、本取引の取引形態として、本公開買付け及びその後の本完全子会社化手続による二段階買収を前提に検討いたしました」
※4 NTTのプレスリリース「公開買付けのお知らせ」によれば、TOBを選んだ理由を「既存株主(筆者注:NTTの株主)の希釈化の影響や対象者の少数株主の便宜の観点」としています。
※5 参考までに、2006年にソフトバンクがボーダフォンを買収する際には、事業の証券化(Whole Business Securitization)という金融手法が用いられました。この手法により、ソフトバンクはボーダフォンが生み出すキャッシュフローを返済原資とし、自ら拠出する資金はわずか2000億円ほどでボーダフォンを買収できたのです。一方、今回のNTTのケースではソフトバンクのようなテクニカルな金融手法は用いずに、純粋に金融機関の借入金だけで買収の資金を手当てできています。
※6 プレミアムについては連載第21回「大戸屋HDに敵対的TOBのコロワイド。市場価値に70億円上積みの買付け価格は高い?安い?」で詳述しています。
※7 「独立」という言葉は、「公開買い付けのお知らせ」では例えば次のように使われています。「公開買付者及び対象者から独立したファイナンシャル・アドバイザー及び第三者算定機関」。
※8 日本の株式市場は7割近くが外国人投資家により売買されています。東京証券取引所「投資部門別 株式売買状況 東証第一部 [株数] 全 49 社」(2020年10月第2週)を参照。
※9 「NTTとNTTドコモが共同会見(全文2)携帯料金値下げの余力は出てくる」THE PAGE、2020年9月29日。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:1980年生まれ。経済学研究科の大学院を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして大手企業や地方の新規事業の開発及び起業の支援等をしている。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も実施している。