「リモートワークにより成果主義が加速する」という佐藤優さんの言葉に、身がすくむ思いのシマオ。 組織で働くには、自分の労働力の価値をきちんと自覚し、どんな環境においてもパフォーマンスを保つ必要がある。 しかし、会社という組織にいる限り、やりたくない仕事はたくさんある。そんな仕事にあたった時は、イヤイヤ対応していたシマオだが、佐藤さんはそこにも学びがあると言う。
腐った人はロクな死に方をしない
シマオ:そう言えばこの間、会社で大規模な人事異動があったんですよ。
佐藤さん:シマオ君にも辞令が下りたんですか?
シマオ:いえ。僕は変わりませんでしたけど、同じ部署の先輩が単身赴任になったり、同期が違う部署に行ったり。寂しいですけど、今は送別会もなかなかやりにくいですね。そもそも、僕の同期は、自分の本意ではない部署への異動なので、めちゃくちゃ落ち込んでましたよ。すぐさま転職サイトに登録してましたけどね。
佐藤さん:大きな会社になるほど、人事は自分の思い通りにはいきませんよね。自分が意図しない部署に配属されたときに腐ってしまうと、どうしてもパフォーマンスが落ちてしまいます。それは避けるべきでしょう。
シマオ:でも、やりたくない部署に行ってやる気を出すのは難しいですよね……。佐藤さんは、そういうことってありませんでしたか?
佐藤さん: 私もありましたよ。何度か話しましたが、鈴木宗男事件の嵐に巻き込まれたとき、外務省はおそらくほとぼりが冷めるのを待つつもりで、私を外交史料館に異動させました。
シマオ:外交史料館というのは?
佐藤さん:外務省が持っている史料を保存している公文書館です。事件の疑惑が掛かっている状態で、私が外交機密に触れることは許されませんから、いわば一時的な隔離です。実質的にやるべき仕事なんかなくて、勤務時間は9時ー17時、給料も3分の2くらいになりました。
シマオ:左遷に近いですよね。そんなとき、やる気がなくなったりしませんでしたか。
佐藤さん:こんなところで腐っていてもいいことは何もない、ということは分かっていましたから、そこでしかできないことをしていました。
シマオ:どういったことでしょう。
佐藤さん:外交史料館というのは、貴重な史料の宝庫です。例えば、戦時中の「東(とう)情報」の史料があります。
シマオ:トウジョウホウ?
佐藤さん: 「東」と書くけど、本当は「盗」の「とう」。つまり、戦時中に日本の情報機関が盗んできた極秘情報の史料です。
例えば戦時中の情報の入手はかなり経路が複雑でした。ワシントンの日本大使館は、戦前に米国内に諜報のネットワークを築いていましたが、太平洋戦争が始まると日本とアメリカは外交関係を断絶しましたよね。ですので、今度はスペインがアメリカにおける日本の利益代表国になりました。日本の諜報網が得た情報はワシントンのスペイン大使館に届けられ、それをマドリッドのスペイン外務省に暗号電報で報告します。その後、この情報をマドリッドの日本公使館が得て、東京の外務本省に暗号電報で報告していました。
シマオ:な、なんか色々すごい。
佐藤さん:「東情報」は秘密指定を解除されているので、そうした生の電報に触れることができたんです。
シマオ:映画みたいですね。
佐藤さん:普通に仕事をしていたら、日々忙しくて見ている暇はないけれど、そういう時だからこそ普段できないことをする訳です。あるいは、「岩波講座世界歴史」の旧版を読み通したりもしました。
シマオ:すごいなあ……。どうして、そんな前向きに考えられるんですか?
佐藤さん:旧ソ連・ロシアの政争を見ていても、腐ったやつはロクな死に方をしていません。一種の経験則として、どんなに悪い状況に置かれても「レッサー・イービル(lesser evil)」、より小さい(少ない)悪を選ぶ生き方をする、ということです。私が腐らなかった理由は、最悪ともいえる状況においても、よりマシな生き方をしていた人たちをロールモデルとして学んでいたからです。
シマオ:よりマシな方……。僕だったら、絶対すべてにやる気をやくしてるな。
「腐っても自分の人生。やけくそになっても自分に戻ってくるだけです」と語る佐藤さん。
転職したら、年収は3割下がることを覚悟せよ
シマオ:でも、一時的ならそうやってモチベーションを保つこともできますけど、ずっとは厳しいですよね。そうなったら、やっぱり転職を考えるべきでしょうか。
佐藤さん:そうですね。日本もかつてよりは転職しやすくなってきました。ただ、自分が転職の市場でどのくらいの価値があるのかは、シビアに見極める必要があるでしょう。
シマオ:もし転職するとしたら、何歳くらいまでですかね……?
佐藤さん:一般的に年齢が上がればそれだけ機会が少なくなるのは当たり前ですが、私の考えでは、45歳くらいまでだと思います。
シマオ:意外にいけるんですね!
佐藤さん:今は、そのあたりが人生の折り返し地点です。さすがにそれを過ぎると、新しいスキルや人脈を取り入れることは簡単ではありません。逆に言えば、45歳以降の人生の後半戦に向けて、どうしたいかを考えるべきでしょう。ただ、45歳までと言っても、それまでとまったく脈絡のない転職は、避けたほうがいいかもしれません。
シマオ:転職しても、それまでと同じ仕事をしたほうがいい?
佐藤さん:業界か職種、どちらかはそれまでの経験があるのが望ましいです。例えば、営業をやってきたら、同じ営業職で業界を広告からITに変えてみる。あるいは、IT業界にいたのなら、同じ業界でそれまでの営業から経営企画に移る、といったことです。
シマオ:なるほど。僕も少しは将来を考えたほうがいいのかな……。
佐藤さん:ただ、転職して収入が上がる人は、よほど実績を上げたごく一部です。多くの人は、転職によって収入が3割減ることを覚悟したほうがいいでしょう。同じ収入を得るには、3割増しで働かなければいけませんから、決してラクはできません。
シマオ:30歳を過ぎると、同期の中でも転職する人が結構増えてきました。それを見ていると、僕もこのままでいいのかな、と。
佐藤さん:そうやって不安になる気持ちは分かります。今の若い人にとって2、3社転職しているのは当たり前の時代ですからね。
シマオ:IT関連のエンジニアの友だちなんかは3年単位で転職を考えていますね。5年いたらもう長老だよ、なんて言ってました。
佐藤さん:そうですね。しかしそれは役所も同じですよ。役所の場合は職員の動きが可視化されていて、役職が上になるほど、一人が昇進すれば他の同期は辞めていくしかない訳です。
シマオ:厳しい世界ですね。佐藤さんは外務省を辞める時に、企業などで働こうとは思わなかったんですか?
佐藤さん:私の場合は、外務省という組織に巻き込まれたという思いが強かったですから、他の組織に入ろうとは思いませんでしたね。もう組織に対する幻想や希望がなかったですしね。と言いましても作家になると思っていた訳ではなかった。通訳や学習塾の講師など、個人の裁量でできるものになろうと思っていましたね。
シマオ:佐藤さんが塾の講師……。
これからは大企業から独立の流れが加速する
シマオ:個人の力で活躍されている方を見ると、正直羨ましいです。スタートアップで仕事をしている友だちとか、何かキラキラしている感じで。
佐藤さん:羨ましい。そんなことを思うんですね。でもシマオ君が最初に大企業に就職したことは間違っていないと思いますよ。日本では高等教育でビジネスについて学ぶことは難しいですから、ビジネスの基本を学ぶためには大きな組織に入ることは決して損になりません。
シマオ:でも、いったん大企業に入っちゃうと案外居心地が良くて、起業しようとか転職しようなんて思わなくなってしまって……。あと大企業だと異動も多く専門性が身に付かないので、外に出る勇気もない。僕がまさにそんな感じです。
佐藤さん:そういう意味では、リクルートは会社として上手い仕組みを作っていると思います。
シマオ:確かに、リクルートって独立する人が多いですね。
佐藤さん:前に話した浦和高校の同級生であるJリーグの村井満チェアマンは、リクルートの人事部出身です。彼は「新入社員にアンケートを取って、終身で勤めたいという人が3人いたら、その年の採用活動は失敗だ」と言っていました。
シマオ:えっ? 定年まで勤めたいってことは、会社に忠誠心があっていいことじゃないんですか。
佐藤さん:リクルートにとって、それは望ましいことではないんです。リクルートは昔から、若くても高額の退職金がもらえる制度を用意していることで有名です。というのも、高齢者が増えることは、リクルートの仕事から言っても、資本体質から言っても望ましいことではないからです。
シマオ:体力のある若い人に稼いでもらって、その間にノウハウを貯めて独立してほしいってことですね。
佐藤さん:しかも、リクルートはそれを前向きにとらえる文化を醸成していますから、独立した人たちの強固なネットワークができます。それが巡り巡ってリクルート自身にとっても良い影響がある訳です。
シマオ:これからは、そうやって大企業から独立していく人が増えていくんでしょうか?
佐藤さん:新型コロナを契機として、副業を解禁する企業が増えています。これまでは給料をくれる会社への帰属意識が高かった訳ですが、副業の収入が増えれば、そうした帰属意識のあり方にも変化が生まれます。終身で勤めるつもりで入社した大企業から独立を考える、という流れは加速していくでしょうね。
※本連載の第41回は、11月18日(水)を予定しています。連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」一覧はこちらからどうぞ。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)