「副業解禁によって、大企業から独立する動きが加速する」と佐藤優さんも言うように、シマオの周りには、綿密に練られた人生設計をもとに、転職時期を伺う後輩たちが多い。彼らに転職の理由を聞くと、収入、やりがい、環境……と人それぞれだ。シマオは、今の時代、何を基準に仕事を選ぶべきなのか、佐藤さんに聞いた。
キャリアプランに追われる若者たち
シマオ:先日、大学の後輩と久しぶりに飲みに行ったんですが、自分のキャリアプランだけではなく、結婚や出産に関しても綿密に計画していて、びっくりしちゃいました。まだ社会人2年目だっていうのに。
佐藤さん:そうですね。最近の若者は、仕事だけでなく何歳くらいで結婚して、家を買って、というライフプランまで含めて考えるようになってきていますね。それはなぜかといえば、今の若い人たちが追い込まれているからだと思います。
シマオ:追い込まれている?
佐藤さん:シマオ君は、これからの日本が大きな経済成長を遂げたり、給料が右肩上がりで増えていったりすると思いますか?
シマオ:いえ、難しいでしょうね……。
佐藤さん:シマオ君ですらそう思うのですから、若い人はなおさらですよね。現時点で自分が将来どれくらい稼げるのか、どのくらいの能力を持っているのかは見えている訳ですから、その中でどうやりくりするか、必死に考えるのもうなずけます。
シマオ:そうしないと、生き抜けないってことか……。でも、僕は全然考えてないな。正直、結婚したいとも思いません。家族を養える自信もないし。
佐藤さん:今は男が養うという考えもないと思いますが、35歳をひとつの軸として考えてみるといいんじゃないでしょうか。
シマオ:どうしてですか?
佐藤さん:自分で家を買うかどうか、35歳が分岐点となるからです。一般的な住宅ローンを35年で組もうとすれば、生命保険の上限がだいたい70歳ですから、35歳が上限になってくる訳です。
シマオ:えっ、僕ももうすぐじゃないですか! 家を買うかどうかなんて、全然決められません。
佐藤さん:もちろん、ローンの返済期間を短くすれば35歳を過ぎても借りられるでしょうが、月々の返済金額はその分増える訳です。しかも、今の若者たちが心配するのは住宅のことだけではありません。
シマオ:もしかして、老後の心配……?
佐藤さん:そうです。特に老後もシングルでいるなら、認知症になったり、体が不自由になった時の介護がついている老人ホームに頼らざるを得ません。都市部でそれなりの体制が整った老人ホームに入ろうと思ったら、まず6000万円はかかると思っていい。
シマオ:ロ、ロクセンマン!!
佐藤さん:一流企業に勤めた人の退職金を当てたとしても、それなりの貯蓄が必要になってきますよね。だからこそ、今の若い人は長期的なプランを綿密に考えざるを得なくなっているんです。
「今の若者は自分の親世代と同じ生活レベルを送ることも困難になってきている」と言う佐藤さん。
仕事はやりがいで選ぶべきか、給料で選ぶべきか
シマオ:なるほど。でも、彼の話だと何歳までに年収1000万になって……みたいなお金の話ばかりなんです。それよりも、何をやりたいかとかを考えたほうがいいんじゃないか、って。
佐藤さん:以前も話しましたが、お金を求め出すと際限がないですからね。とはいえ、資本主義社会で働く以上、労働者の自己実現は営利の追求があって初めて成り立つのも事実です。やりたいことができていたり、社会の役に立っているからといって、ずっと赤字だったらどうなりますか?
シマオ:そんなところは続かないですよね。でも、会社の中を見ていると、必死になって利益を出している部署や人がいる一方で、なんだか好きなことをして上手いポジションについているような人もいて。たまに不公平だなって思うことがあります。
佐藤さん:それは多少はあるかもしれません。けれども、人間は誰しも自分が可愛い。自分を正当化するバイアスが働きますから、会社組織である以上、どれだけ働いているかは、どれだけ稼いでいるかで定量的に測るしかありません。
シマオ:やっぱり成果、つまり利益を出したかが基準なんですね……。厳しいな。
佐藤さん:もちろん、やっている仕事の価値を自分の中で認めるのはいいことです。ただ、そうした定性的なこと、つまり定量化できない「価値観」のようなものは比べられるものではありませんから、会社組織の中で使うには向かないんですよ。
シマオ:たしかに、僕の価値観と上司の価値観のどちらがよいかといっても、結論は出ませんからね。
佐藤さん:だからといって、同じ会社で年収300万円の人もいれば年収1億円の人もいるなんてことは望ましくないと、私も思っています。
シマオ:そうなんですか?
佐藤さん:人によって才能の違いがあることは厳然たる事実です。でも、その才能だって常に通用する訳ではありません。シマオ君は『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマを見ていましたか?
シマオ:はい、見ました。
佐藤さん:あの中で石田ゆり子さん演じる「百合ちゃん」が、自分よりも若い女性に対して「あなたは随分と自分の若さに価値を見出しているのね。(略)あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。(略)それって辛いんじゃないかな」と言います。
シマオ:深いセリフですね。「若さ」だけじゃなく、「体力」「健康」とか色々なことに当てはまりそうです。
佐藤さん:資本主義社会である以上、営利は追求すべきですが、お金だけを価値の基準としてしまうと、そのお金を生み出す才能がなくなった時に、辛い人生が待つことになります。人それぞれの適性を活かしながら、その範囲の中で稼ぐべく努力するというのが、あるべき社会の姿のように思います。
シマオ:若い頃に稼げていた仕組みが、年を取ることで変わってしまう、ということですか?
佐藤さん:そうです。二十代の頃の適性が年齢のステージが変わることで、徐々に仕事とズレが出ることがあります。「どの職業が稼げるのか」という指標で仕事を選ぶと、自分の適性に合わなかったことにも気づかず、ただ疲弊していくだけなのです。
「天職」はあるのか?
シマオ:お金と同じくらいが自分の適性に合っているかが大事、ということですね。でも最近は、東大のエリートたちがこぞってコンサルとか投資銀行を目指していると言いますよね。それってどうなんでしょう……?
佐藤さん:とはいえ、実は本当に優秀な東大生はまだまだ官僚になっているんですよ。というのも、ビジネスで成功し続けるのは運も必要だし、必ずしも学力が役に立つとは限らないからです。そういう意味で、東大生の多くが最も自分を生かせる場所として、官僚の世界はまだまだ魅力的なんです。
シマオ:そうなんですね。でも自分に向いている職業って、どうやったらそれを見つけられるんでしょうか? 何か就職活動中の学生みたいな質問で恥ずかしいんですけど……。
佐藤さん:ドイツの社会学者マックス・ウェーバーに『職業としての学問』という著書があります。タイトルの「職業(仕事)」はドイツ語で「Beruf」となっているのですが、この言葉は「天職」とも訳されます。
シマオ:天職?
佐藤さん:はい。ウェーバーは、学問の世界で働くということは運が必要だと言っています。世に認められるような研究成果を上げることができて、かつ大学という組織に採用される。この2つの運があって初めて学問を職業にできるということです。
シマオ:学問も運で決まるんですか?
佐藤さん:はい。ウェーバーほどの大学者でさえも、学問を仕事にするというのはまさに「賭博」みたいなものだと言っているのです。研究というのは、専門を極める作業的な要素と、重要な問題を思いつくインスピレーションの両方が不可欠です。その思いつきは、自分の努力ではどうにもならないサイコロ賭博みたいなものだと、ウェーバーは考えます。
シマオ:頭が良ければいいってものではないんですね。
佐藤さん:仮に世に問うべき研究ができたとしても、そこから大学に採用されるのはさらに狭き門です。何と言っても採用するのは他人ですし、研究者としての能力があっても、教育者としての能力がなければ大学教員にはなれないからです。
シマオ:今の日本でも、博士号は取ったけど就職できない人がたくさんいますもんね。
佐藤さん:それでも学問を職業として真理を追究しようとする人たちによって、私たちの社会は支えられている。このことは、学問だけでなく私たちの仕事全般に言えることではないでしょうか。
シマオ:と言いますと?
佐藤さん:やりたいこと、好きなことを仕事にするためには、絶えず研鑽を積むこと、またそこから真理を閃くことの2つの運が必要です。しかし、どれだけ必死に仕事に打ち込んでいても、その運を手にできるかは分からないのです。
シマオ:けんもほろろって感じですが、確かにそうですね。
佐藤さん:ですから、やりがいや自己実現を100%達成することはそもそも困難なこと、という認識が必要です。しかし決して諦めることを意図している訳ではなく、人生のいろいろな要素からなる連立方程式の解を見つける方が大切だということです。
シマオ:やりがいと稼ぎの連立方程式。
佐藤さん:マルクスが言ったように、資本主義の社会では労働者が再生産できるだけの賃金や休息が与えられるはずです。映画『男はつらいよ』で、寅さんの「労働者諸君! 稼ぐに追いつく貧乏なしか」というセリフがありましたが、あれはある意味、真理をついていると思いますよ。
シマオ:寅さん、見たことないんですが……何となく分かります。とりあえず真面目に働けば食べていけるってことですかね。
佐藤さん:はい。「やりたいことは何なのか?」と悩む前に、とりあえず目の前の仕事に全力で取り組んでみてください。その中から次第に天職が見つかってくるはずです。運はそれからです。
シマオ:やりがいかお金かの前に、とりあえず何かに集中しろ、と。
佐藤さん:私がデビュー作の『国家の罠――外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出したのは、「外務省の同僚や部下に、私が取り組んでいた北方領土交渉と鈴木宗男さんの役割について真実を伝えたい」という想いからだけでした。あの時点で、職業作家になるとは夢にも思っていませんでした。
しかし、今になって振り返ると作家は天職だったのだと思います。 天職は先に決めるものではなく、夢中で何かを追い求め、行動した後に分かるものなのかもしれません。
※連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」一覧はこちらからどうぞ。
※この記事は2020年11月18日初出です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。