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もはや「気候変動」ではなく、「気候危機」である。このような認識が世界中で広がっている。
地球温暖化によって、世界中の気候を変える「気候変動」が起き、自然環境や人びとの生活に大きな影響を与えることが明らかになっている。経済、社会、健康、人権、安全保障など、あらゆる分野に及ぼすリスクの深刻さは、単なる「気候変動」に留まらない、「気候危機」なのだ。
2019年、英ガーディアン紙は現状をより正確に表現するため、報道で「climate change(気候変動)」ではなく、「climate emergency, crisis or breakdown”(気候非常事態・危機・崩壊)」を使うと発表した。英オックスフォード辞典も同年、「今年の言葉」に、「climate emergency(気候非常事態)」を選出。辞典による「climate emergency」の定義は、「気候変動を軽減または停止し、不可逆的な環境破壊を避けるための緊急な行動が必要な状況」だ。
そして日本もいよいよ、「気候危機」に対する動きが加速してきた。
2020年6月には環境省が気候危機を宣言し、2020年版の環境白書で初めて、「気候危機」という言葉を明記した。さらに政府は、現在国内にあるCO2の排出量が多い旧式の石炭火力発電の段階的廃止に向けて、より実効性のある新たな仕組みの導入を検討していくことを決定。海外への輸出条件も厳しくする方針を決めた。
10月には、菅首相が就任後初の所信表明演説で、「2050年温室効果ガス排出量ゼロ」を表明。超党派の議員連盟は国会で、「気候非常事態宣言」の決議の採択を目指す。
干ばつから水や土地をめぐる衝突へ
気候変動が「気候危機」とされる背景のひとつには、安全保障への影響が挙げられている。
国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は2019年の特別報告書で、
「極端な気象や気候は、強制移住の増加、食物連鎖の撹乱や生計への脅威につながる可能性が高く、紛争のストレス要因の悪化に寄与する可能性」
を、明記している。気候変動は紛争の直接的な原因ではないものの、既存の社会・政治・経済的要因と合わさることで、紛争のリスクを増幅させるということだ。この危険性は、実は10年以上前から指摘されている。
干ばつが紛争のひとつの要因となり、2003年に始まったダルフール紛争は17年経った今も続いている(2019年9月23日)。
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2007年に、国連の潘基文 事務総長(当時)は、30万人以上が死亡したアフリカのスーダンのダルフール紛争の要因に気候変動があることを指摘した。潘氏は、
「ダルフール紛争は、多様な社会的政治的な要因に加えて、部分的には、気候変動による環境危機も要因の一部として始まった」
と強調し、気候変動と紛争の関係が議論される大きなきっかけをつくった。
紛争が始まった2003年、スーダンの平均降水量は1980年代初期に比べて4割も減少していた。ダルフールの土地がまだ豊かだったころ、農業に従事する黒人らは、アラブ系の遊牧民を歓迎し、水を共有していたが、気候変動により干ばつが深刻化すると、農民は土地の周りに柵をめぐらせて放牧を防ぐようになったという。それまでは友好的に暮らしていた遊牧民と農民の間での、井戸の共有やラクダの放牧をめぐる衝突がきっかけとなり、紛争が発生した。
潘氏は、「ダルフール紛争が干ばつの期間中に発生したことは偶然ではない」と指摘した。
各国政策に明記される気候変動と紛争の関係
既に提出されている世界各国のNDCを見ると、いかに気候変動と紛争の関連性が重要なのか、読み取ることができる。
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196カ国が参加している気候変動に関する国際的枠組みである「パリ協定」は、2020年から実施段階に入った。
その要となっているのは、参加各国が提出するNationally Determined Contribution、通称NDC(国別目標)だ。このNDCは、各国が2020年以降の温室効果ガス排出削減目標・対策や、気候変動の影響にどう適応するかを書いたもので、国の気候変動の政策の方針を形づける重要な政策文書だ。
既に提出されている世界各国のNDCを見ると、いかに気候変動と紛争の関連性が重要なのか、読み取ることができる。
チャド、ギニア、マリ、ソマリア、南スーダンなどのアフリカのサハラ以南の国々は、NDCで農民と牛・羊飼いの間の紛争が、気候変動により悪化していると明記している。
例えば南スーダンのNDCは、気候変動による水不足や牧草地の減少により、家畜やそれらに生計を頼っている人々の生活が脅かされていると指摘。さらに、資源不足が遊牧民のコミュニティ間の争いの引き金となり、多くの死者が出る紛争へと発展し、国の安全保障の問題にもつながっていることを強調している。
ソマリアのNDCは、過去50年の間に14もの深刻な干ばつが起き、600万人以上が影響を受けたことを挙げている。気候変動と土地の劣化が相まって、自然資源の奪い合いや都市部への人口流入が起きていることも指摘している。
紛争が長期化するイエメンでは、気候変動による水などの資源不足で、今後も争いが起きることが危惧されている。
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その他にもインドネシアは、気候変動の影響を最も受けている地域で、既存の社会経済格差が政情不安定を起こす可能性があると述べ、紛争予防や解決を対策として挙げている。
紛争が長期化するイエメンも気候変動による資源の減少と、それに伴う人々の生活への影響により、資源を巡った争いが将来起きる可能性を明記している。特に水不足が深刻化する中、気候変動に耐えうる農業の在り方や自然資源の管理の仕方が対策として記述されている。
環境問題をはるかに超えた気候危機
アフガニスタンで人道支援に尽力した中村哲さんも、気候変動による干ばつが飢餓や紛争に与える影響を訴えていた。
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アフガニスタンで人道支援に尽力し、2019年に殺害されたNGO「ペシャワール会」の現地代表で、医師の中村哲さんは生前、気候変動がアフガニスタンに及ぼしている影響についてこう述べていた。
「昔から大規模な旱魃が波状的に同地を襲い、多くの犠牲を出してきたが、最近の傾向は、高気温をともなって頻繁に起き、地域の沙漠化をもたらすことである。この致命的な過程は明らかに加速し、飢餓の蔓延や紛争の長期化と関係しあっている。
(中略)
おそらく温暖化とその対策は人類史的な分岐点である。それは、近代的生産を支えてきた我々の価値観自身を、やがて根源的に問うものとならざるを得ないからだ。
地球規模で進行する冷厳な事実を考えるとき、我々の進むベクトルがいずれに向いているかで、破滅か安定かの道筋が決まっていくのであろう。
その意味で、アフガニスタンの大旱魃は極東の我々にとっても、決して他人事ではない。我々が旱魃の地で「人と人の和解、人と自然の和解」を説く理由もここにある」
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:米系国際NGOのMercy Corpsで、洪水防災プロジェクトのアジア統括、アジア気候変動アドバイザー。職員6000人の唯一の日本人として、ミャンマー、ネパール、アフガニスタン、パキスタン、東ティモールなどの気候変動戦略・事業を担当。慶應義塾大学法学部卒業、テレビ朝日報道局に勤務。東日本大震災の取材を通して、防災分野に興味を持ち、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院で公共政策修士号取得。UNICEFネパール事務所、マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGOを経て、現職。ジャカルタ・インドネシア在住。