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売り上げの低迷や元広報担当者のスキャンダルなどで、アメリカのファストフードチェーン大手サブウェイは近年、苦戦続きだ。アメリカではここ数年、各地で多くの店を閉店している。
だが、常にこうだったわけではない。1980年代から2000年代の初めにかけてサブウェイは急速に拡大し、世界最大のファストフードチェーンになった。
サブウェイの盛衰を写真とともに振り返ろう。
実は、サブウェイは当初「ピートズ・スーパー・サブマリンズ(Pete's Super Submarines)」と呼ばれていた。
フレッド・デルーカ氏。
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原子物理学者のピーター・バック(Peter Buck)氏と大学生のフレッド・デルーカ(Fred DeLuca)氏は1965年、コネチカット州ブリッジポートでピートズ・スーパー・サブマリンズをオープンした。
オープン初日、1つ1ドル以下のサンドイッチを312個売った。
1968年、2人の創業者は店をリブランドし、名前を「サブウェイ(Subway)」とした。1974年、サブウェイはコネチカット州で16店舗を展開するまでになった。
1981年までに、サブウェイはアメリカ各地で200店舗を展開。翌年はさらに100店舗をオープンした。
フレッド・デルーカ氏。
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当時、サブウェイは"BMTサンドイッチ"を提供する店として売り出していた。BMTは「Biggest, Meatiest, Tastiest(最も大きく、最も肉がたっぷり入った、最も美味しい)」の略だ。
サブウェイのフランチャイズ権を買うのは比較的容易だったため、1980年代から1990年代にかけて、同社は大きく成長した。
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サブウェイは、フランチャイズ権が最も安いブランドの1つだ。11万6000~26万3000ドル(約1200~2800万円)でサブウェイを1店舗オープンすることができる。
ちなみに、マクドナルドを1店舗オープンするのにかかる費用は100万~220万ドルだ。
その結果、サブウェイはアメリカと海外で急速に拡大した。
これまでなら出店しないような場所に積極的に店を出すことで、サブウェイは1990年、5000店舗目となる店をオープンした。
フードコート内のサブウェイ。
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サブウェイはガソリンスタンドや長距離トラック運転手を対象とした給油やレストランなどの施設、サービスエリア、コンビニなどにも店をオープンさせた。同社のこの「どこでも、どこにでも」のメンタリティーが急速な拡大を可能にした。
1990年代から2000年代の初めにかけては、多くのアメリカ人にとって"健康"がより重要なものになり、サブウェイも自らを"より健康的な選択肢"として売り込んだ。
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常に"ヘルシーなファストフード"として売り込んできたサブウェイだが、アメリカで食生活に注目が集まり始めると、同社はその健康面でのアドバンテージを強調した。
1997年、サブウェイは7種類の低脂肪サンドイッチを宣伝し、他のファストフードチェーンのハンバーガーやタコスとそれを比較するキャンペーンを実施した。
こうした流れをうまく活用することで、サブウェイは2002年、その店舗数でマクドナルドを抜いて、アメリカ最大の外食チェーンとなった。
サブウェイはもう1つ"健康に注目したキャンペーン"を、同社のサンドイッチを食べることで体重が200ポンド(約91キロ)以上減ったというジャレド・フォーグル(Jared Fogle)氏とともに実施した。
ジャレド・フォーグル氏。
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2000年、サブウェイは同社のサンドイッチを食べることでかつて425ポンド(約193キロ)あった体重を大きく減らしたというジャレド・フォーグル氏をアメリカで起用した。
フォーグル氏がかつて履いていたパンツを持ち、どれほど体重が減ったかを見せるコマーシャルがしばしば放送された。
キャンペーンは大成功で、最初のコマーシャルが放送された後、売り上げは20%伸びた。
2008年の金融危機で、アメリカでは多くの消費者が"経済"を重視するようになった。サブウェイも5ドルのフットロングのマーケティングに注力した。
サブウェイの「フットロング」。
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フォーグル氏を起用した広告の成功を経て、サブウェイは「5ドル・フットロング」のキャンペーンをスタートさせた。このキャンペーンは、多くのアメリカ人がより安い食べ物を求めていることに応えるものだった。
2011年までに、同社の売り上げは115億ドルに達した。
ところが2014年に全てが変わり始める。この年、サブウェイの売り上げが落ち始めた。
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2014年、サブウェイの売り上げは3%減った。
その店舗数の多さが突然、問題となった。
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サブウェイは急速に大きくなり過ぎた。
店舗に集中する代わりに、同社は店舗数に集中した。その結果、同じ地域に複数の店舗がオープンし、サブウェイ同士の競争を生むことになった。
「10年前の彼らの関心は、ただ店をオープンすることだったんじゃないかと感じる」と2つの店舗を経営するあるフランチャイズ加盟者は2017年、Business Insiderに語った。サブウェイの創業者の1人、デルーカ氏は「店舗数1位にこだわり、それを達成した」という。
「四方八方でサブウェイがオープンしていた。あれは間違いなく問題だった」
2015年、サブウェイは大きな挫折を味わった。かつて同社の"顔"だったフォーグル氏が、未成年者と性的関係を持った罪と児童ポルノ所持の罪を認めた。
フォーグル氏。
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この年の11月、フォーグル氏は約16年の実刑判決を言い渡された。
サブウェイはすぐに同氏とのつながりを断ち、公式サイトやソーシャルメディアのアカウントからフォーグル氏に関する言及を全て削除した。
2016年、サブウェイは初めて、アメリカで閉店した店の数がオープンした店の数を上回った。
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2016年の売り上げは約113億ドルと、2015年の115億ドルから約2億ドル減った。
これを受け、同社は店を閉じ、その数は全世界で359店舗にのぼった。
このトレンドは2018年に入っても続き、サブウェイはアメリカで1108店舗を閉店した。
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2018年初めには、同社は年内に500店舗を閉店する見込みだとしていたが、最終的にその数は1000を超えた。
2019年、サブウェイの売り上げは前の年から2億1000万ドル減の102億ドルだった。同社はさらに1000店舗を閉店した。
2020年もさらなる店舗数の削減が発表されている。新型コロナウイルスの感染が広がる中、サブウェイがどう立ち直るのか、時が経てば分かるだろう。
オーストラリアにあるサブウェイ。
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2020年現在、サブウェイはアメリカに2万2262店舗ある。
他のチェーン店同様、サブウェイも新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)が始まってから客足が減っていて、サービスのあり方は変わらざるを得なくなっている。アメリカでは250以上の店舗で食料品を売り始めた。
サブウェイは競合他社に比べて、ドライブスルーの数が少ない —— マクドナルドが1万3000カ所あるのに対し、サブウェイは600カ所しかない —— ため、ソーシャル・ディスタンスを重視する客にサービスを提供するのも難しい。
サブウェイは6月、追加の健康、安全措置を講じた上で店内での飲食を再開させた。9月には一部のフランチャイズ加盟者たちが、サブウェイが通常営業に戻したがっていることに対し、懸念の声を上げた。
ただ、サブウェイのCEOジョン・チッジー(John Chidsey)氏は以前、同社の未来について自分は楽観的だとフォーブスに語っている。チッジー氏は、中国における業績が同社の回復を示唆しているという。
「これは、時間とともに回復できることを示している」とチッジー氏は語った。
「世界各地でそれは異なるだろうが、アジアはわたしに希望を与えている。サブウェイについて、わたしは好感を持っている」
[原文:The rise and fall of Subway, the world's largest fast-food chain]
(翻訳、編集:山口佳美)