新型コロナウイルス感染拡大の中で露呈した日本のデジタル化の遅れ。
前編では、各国がどのようにデジタルを生かした感染対策をしてきたかを振り返ったが、後編では今後日本がデジタル化を進める中で、個人のデータとどう向き合えばいいのかを、IT評論家の尾原和啓さん、慶應義塾大学教授の宮田裕章さん、株式会社ビービット東アジア営業責任者の藤井保文さんと論じる。
撮影:今村拓馬
—— 前編では、世界各国のコロナ対策を中心に見てきましたが、後編では新型コロナでも注目された個人情報やデータの活用が今後どうなっていくのか、ということを中心にお話ししていただきたいと思っています。
尾原和啓(以下、尾原):EUではGDPR(一般データ保護規則)を制定してプライバシーに関する権限、例えば個人の「忘れられる権利」などを保護する政策を進めてきましたが、今回のコロナをきっかけに相当踏み込んだなと感じています。
これまで個人の権利をどう保護するかという観点で社会システムを整備してきたところに、コロナという社会全体の大きな危機がやってきて、データを共有するからこそできることがあると改めて認識されました。データを共有することで実現できる社会善と、個人の権利を尊重することは両立し得るというところに踏み込み始めたことが一番大きいと思っています。
藤井保文(以下、藤井):スウェーデンでは2018年に“IF CRISIS OR WAR COMES”(「もし危機や戦争が起こったら」)という冊子をつくって全国民に配布しているんですよね。その中には、「スウェーデンが屈服するといったデマが流れるかもしれませんが、そんなことは絶対にありませんから信用してはいけません」といった心構えが書かれています。フェイクニュースなどが世界的な問題になる中で、有事の時に国民がどうするべきかという国の指針を決めているんです。
左から藤井保文さん、尾原和啓さん、宮田裕章さん。
撮影:今村拓馬
宮田さんは新著『共鳴する未来』の中で、個人を尊重するEU型、市場価値を創出するGAFA型、社会における価値実現を追求する中国型という三者がある中で、日本が進む「第四の道」があるのではないかと書かれています。従来のGDPだけでは価値換算できない社会が到来する中で、スウェーデンをはじめとする北欧モデルは目指す方向のひとつになり得るのかもしれません。
宮田裕章(以下、宮田):これまで政府のプロジェクトに参加したり、政策立案に関わったりする機会もありましたが、これから社会がどう進んでいくのか、もっと議論を進めていかなければ、変化のスピードもどんどん速くなっている中でビジョンの解像度が追いつかないと感じました。
例えば中国のアリババ傘下のアント・フィナンシャルや最も革新的な金融グループと言われる中国平安保険のデジタルトランスフォーメーション(DX)は鮮やかだと思います。ネットフリックスなどもそうですね。日本のみならず世界の局面が変わる時に、日本はどんな社会を目指すべきかいうことをもっと議論して打ち出していく必要があると思いました。
「状況に合わせて、誰も取り残さない社会」へ
第1波の時にはマスクの製造が間に合わず、多くの人が入手しづらい状況になった(4月、都内)。
撮影:竹井俊晴
——日本でもデータ活用に対しての理解は大きく変化したと感じますか。
宮田:相当変わったと思います。やはりマスクと給付金の問題が大きかった。
データで在庫をコントロールできない時、一部の人々がマスクを1年分買い占めると、総量では足りていても不足してしまう。これは日本でもトイレットペーパーで一時的に起こったことです。
一方で、マスクについて重症者やエッセンシャルワーカーには1カ月分を保障して、それ以外の人にはいまの在庫で1週間や2週間分はあると伝えることができれば、総量が同じでも悲劇を回避し、人々の満足度も上げることができる。データでサポートすることで人々を安心させるのです。
給付金は、ドイツは数日で全国民に支払いましたが、日本は数カ月かかっただけでなく、事務手続きに1500億円もかかっています。
まさに尾原さんと藤井さんが著書『アフターデジタル』で書かれているOMO(Online Merges with Offline:オンラインとオフラインを融合させ、一体のものとして捉えた上で、オンラインにおける戦い方や競争原理とする考え方)の世界であれば、一律に配るのではなく、必要な人に、必要なタイミングで、必要なサービスを届けるということができたはずですよね。飲食店が苦しければ、そのタイミングで貸主借主双方に家賃を補助するといったことができるようになる。
そうした個別化は、これまでコストがかかりすぎて不可能でしたが、OMOの世界とAIを組み合わせることで、今では低コストで実現できます。一律に配るというこれまでのやり方から、ひとりひとりの状況に合わせて、誰も取り残さないという世界をようやく目指せるようになったのです。
緊急事態宣言下だった4月の原宿の様子。普段と比べて明らかに人が少ない。
撮影:竹井俊晴
デジタル庁というのは、まさに国そのもののDXを推進していくことになるはずです。政府に呼ばれてお話しする時、私は『アフターデジタル』にある、顧客体験(UX)こそすべてだという言葉を引用しています。データは使われてこそ価値が生まれますから、UXが良ければ使われる。逆に使われなければ何の意味もない。
ともすれば、今までのアナログをデジタルに置き換えればデジタル化だという議論になりがちですが、いかに使いやすいもの、使われるものにするかだと思います。
日本のDXを成功させるために何が必要なのか
—— デジタル庁の話が出ましたが、政府のDXを成功させるためには、何が大事なのでしょうか。
藤井:行政や国家が国民にデジタルサービスを使ってもらいたい時は、通常「なるべく多くの人に使ってもらうべきもの」のはずですが、日本では行政による強制ができない以上、「圧倒的に使いやすい」「メリットが明白」であることは前提条件になるはず。公共の利益になるようなデータ活用をするのであればなおさら、国こそが最も使いやすく分かりやすいUXを作らないといけないだろうと思います。
撮影:今村拓馬
尾原:今は「石油からデータへ」という言葉自体は知られていますし、今回のコロナでも、強制力をもってデータを使った国の方が封じ込めに成功したことも分かりました。でもそれは有事だから個人のデータに介入してもよかった。対して平時には、データは強制的に徴収するものではなく、やはりユーザーが喜んで提供したくなるものであるべきです。
いまシナモンという日本のAIベンチャーで、IDEOと組んで、AIの新しいデザインのワークショップをつくっているのですが、そこで言っているのは、「データはhunting(狩猟)するものではなく、harvesting(収穫)するもの」ということです。良いUXがあれば、そのUXを通じてユーザーのデータが自然と蓄積される。そしてそのデータの恩恵はユーザーに還元されていくという構造です。
UXとデータって裏表なんですよね。優れたUXを設計することで、ユーザーがデータを自主的に提供してくれるから、より良いたくさんの選択肢をユーザーに提供できます。
データでつながり「その人らしく」生きられる社会
尾原:宮田さんの書かれた『共鳴する未来』ではSDGsの話が出てきますが、次のフェーズでは、いかにゼロからプラスを生み出すか、そしてプラスをもっと増やしていくかが重要になってきますよね。
撮影:今村拓馬
宮田:SDGsは、その理念も成立過程も素晴らしいと思っています。今回のコロナで明らかになったのは、命を消さないというだけでは格差は解消しないということです。日本では、食べていくことだけは比較的簡単にできますが、大事なのは、つながりの中で自分が必要とされ、その人らしく生きられることだと思うんです。「いのちを消さない」にとどまらず、「いのちが輝く」視点で社会をつくっていけたらと思っています。
工業化時代には所有という概念が重要でした。経済成長の源泉であった石油や石炭は、使用すると財としての価値を消失する「消費財」で、所有権を確立する必要があったからです。
けれども「石油からデータへ」の転換が進む中で、経済学者のジョセフ・E・スティグリッツなどはウェルビーイングという考え方を提唱します。私はデータを通じてお互いがつながり合う中で、それぞれがその人らしく生きることができるといいんじゃないかと考えています。
国全部で同じ価値観を目指さなくてもよくて、例えば東京と大阪で違う価値を共有してもいいし、あるいは大阪と上海とバルセロナがある層ではつながっているというように、国境を越えて都市同士がつながってもいいし、共通の趣味でつながってもいい。
撮影:今村拓馬
多層の価値があって、それぞれの層でつながりができる。データ活用を通じて、そんな新しい豊かさをつくっていけるのではないでしょうか。日本が多元的な幸福を社会全体でつくっていければ、強みにもなるのではないでしょうか。
尾原:安宅和人さん(ヤフーCSO)がおっしゃっていたのですが、新型コロナウイルス対策では3つのフェーズがあると。まず止血、そして治療、そのあとに再構築という。
日本は一度は小康状態になり、経済と健康というトレードオフをどうにかバランスさせるというところまでは持ってこられた。つまり治療のフェーズです。第3波の収束以降、再構築のフェーズに入る中で、どうやってプラスをもっと増やしていけるかが大事になってきます。コロナ対策でデータ共有の有効性も分かった中で、このデータを共有することでプラスを増やしていけるか。
「所有から共有」の時代に信頼をどう育むのか
—— データ活用に関する意識が変わりつつある一方、そのデータを誰が持ち運用するのかということに不安が残る人もまだ多いです。ドイツや台湾ではリーダーが説明責任を果たしたというお話もありましたが、どうすれば政府や行政に対して「データを出してもいい」と思えるような信頼が形成されるのでしょうか。
宮田:まさに信頼ですよね。データは共有財ですから、石油や石炭と違って使ってもなくならないけれど、間違った使い方をしてしまったら、それこそ根こそぎ枯れてしまいます。いまダボス会議でも議論しているのは、データがどう使われるのか、きちんと示していかなければいけないということです。
LINEで計4回実施された「新型コロナ対策のための全国調査」(写真は1回目のもの)。
撮影:小林優多郎
LINEと話をしていて、その通りだなと思ったことがあります。「新型コロナ対策のための全国調査」では、LINEユーザー8300万人にプッシュ通知で調査項目を送るという前代未聞のことを行いました。他のアプリ会社にも聞いてみましたが、この規模では絶対できないという。
LINEはその伝家の宝刀を抜くからこそ、3日以内に結果を国民にフィードバックすることを条件に出したんです。きちんと国民にフィードバックすることで社会への貢献を示してほしいと。これまで行政は社会のためだという前提のもとに、国民からデータを集めながら何にどう使うのか十分な説明をしないことも多かったと思うのですが、このLINEの姿勢はその通りだなと思いましたね。
国への信頼って、そういうものの積み重ねだと思うんですよ。いきなり全体でやるのは大変でも、まずは局所的にでも、きちんと信頼を積み重ねた結果として「政府は信頼できないけど、この行政サービスは好きだ」というのがあってもいいわけです。
もちろん国全体でも信頼を形成していかなければいけませんが、とにかく国のやることだから安心してくださいという時代ではもはやなくて、ローカルなところでも、きちんとUXを設計して信頼を形成していくということが大事だと思います。
それからやはり民主主義では透明性は大事だと思います。
中国は透明性は放棄してプロセスはブラックボックスだけど、とにかく結果は出すから安心しろというスタンスに振り切っている。その逆がドイツ。ドイツの新型コロナウイルス接触確認アプリって、仕様もコードも全部公開しているんですよ。プログラム開発の過程も含めてすべて。エストニアでは、自分の個人データに行政機関がいつアクセスしたか確認できますし、他人のデータを不正に利用すれば刑務所行きです。この透明性は、民主主義の非常に重要な部分だと思います。
データが実現する多層的民主主義
マスクや3密を避ける、など個人が気をつけるだけでは、感染対策は限界に近づいていると、専門家は指摘する。
撮影:竹井俊晴
藤井:『アフターデジタル』でも書いているのですが、データをUXの良さに還元するということをとにかくやらなければいけないと思っています。難しく聞こえるかもしれませんが、とにかく社会の痛みを理解して解決するためにデータを使おうということです。
データについて議論する時、いつも不思議だなと思うのは、みんなバリアしか張らないことです。目的とメリットの話が全然出てこない。個人情報取扱いの同意書なんかを見ると、「こういう考え方です」「このような用途に使われます」と書かれていますが、そもそも何を目的にして、こういうメリットを実現するためのものですよということをまず書いた方がいい。それが分かれば、みんな「なるほど、このデータを使うとこんな風に便利になるんだ」ということが納得できますよね。
宮田:本当にそうですよね。「マイナンバーと銀行口座をつなぎます」というのは方法論として正しいけれども、「そうすることで本当に困っている人に必要なタイミングで給付金を届けられます」という目的をまず説明するべきですよね。
藤井:政策として正しくても、目的が分からなければ賛成しようがないですよね。ただ今回、世界の各国が同じ状況に立たされた中で、マスクの在庫管理や給付金について、海外の事例とも見比べながら「こんなこともできるんだ」ということが分かった。そういう意味では、良い発見もあったと思います。
尾原:今回のコロナ対策は有事ですから、強烈なマイナスをゼロに戻そうとしている。マイナスをゼロにするのは多くの人が一致しますが、プラスを増やすという時に、何を増やしたいかは人それぞれです。すると今度はプラスの競争が始まります。
こんな風に便利になりますよというのがたくさん出てくると、ユーザーが選べるようになる。やっぱり競争って大事です。プラットフォーム間での競争はもちろん、国がプラットフォームと競争する社会になるでしょうし、ある国で政府とプラットフォームが協力することもあれば、別の国では反目することもある。
私の好きな言葉に「自立とは依存先を増やすこと」というものがあります。これまでは、ひとつの国家に依存せざるを得ない人たちが圧倒的多数だったと思います。でも国やプラットフォーム間の競争が進む中で、複数の国家やプラットフォームに所属して生きていくことが容易になる。それが多層化して、その中でデータを使うことで個人の自由を増やしていく。それが共有価値となっていくことで、まさに宮田さんが『共鳴する未来』で書かれているような社会が実現するのではないでしょうか。
宮田:ありがとうございます(笑)。
これまでは国家が用意したセットメニューしかありませんでした。いわば定食しかなかったものが、データ活用によって多元的な価値コミュニティが生まれることで、アラカルトも選べるようになる。国家を信頼するかしないか二者択一しかない世界ではなく、例えば「俺、医療は中国でいいかな」「教育はインドでしょう」というように、個人の価値観で好きなメニューを選べるようになる。
さまざまなプラットフォームが多層化していく中で、多元的な価値観が豊かさをつくっていける。ひとりひとりがそれを選択することができる時代になっていくと良いなと思います。
(聞き手・浜田敬子、構成・渡辺裕子、写真・今村拓馬)
尾原和啓:IT批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、NTTドコモ、リクルート、グーグル、楽天などを経て現職。主な著書に『ザ・プラットフォーム』『ITビジネスの原理』『アフターデジタル』(藤井氏との共著)『アルゴリズムフェアネス』など。
宮田裕章:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授。東京大学院医系研究科健康・看護専攻修士課程了、同分野保健学博士(論文)。東大大学院准教授などを経て、2015年5月より現職。厚生労働省のデータヘルス時代の質の高い医療の実現に向けた有識者検討会のメンバーも務める。主な著書に『共鳴する未来』。
藤井保文:株式会社ビービット東アジア営業責任者。1984年生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。2011年にビービット入社。2014年から台北支社、2017年から上海支社に勤務。現在は現地の日系クライアントに対し、UX志向のデジタルトランスフォーメーションを支援。著書に『平安保険グループの衝撃』『アフターデジタル』(尾原氏との共著)『アフターデジタル2』。