医師と患者がICT(情報通信技術)を活用して遠隔で診療を行う「オンライン診療」は、2018年4月から保険適用が開始されたものの、 “空に上がらぬ凧”のような時期が長く続いていた。利用できる疾患が限られていたり、算定要件が厳しめに設定されていたり、診療報酬が低く設定されていたり……と、医師と患者どちらにとっても制約が多かったのだ。岩盤規制と言われるゆえんでもある。
だが今は、そんな足踏み状態が嘘だったかのように、追い風が吹き始めた。新型コロナウイルスが、一気に流れを変えたのだ。
2020年4月、政府はコロナ禍による緊急事態を受けて、感染拡大阻止のために初診からのオンライン受診の規制を「期限付き」で緩和した。それは、感染が収束するまでの時限措置だという前提だったが、菅政権発足後の10月9日、政府はオンライン診療を原則解禁する、つまり恒久的に認めていくと発表するに至った。
オンライン診療の草分けとして知られる医療ITベンチャー、メドレーが、他社に先駆けてオンライン診療システム「CLINICS」の提供を始めたのは2016年のこと。今でこそよく耳にする「オンライン診療」だが、ここまでくるには足かけ4年の歳月を要している。
同社の共同代表を務める豊田剛一郎(36)は、「時節柄おかげ様とも言えず表現に困りますが」と前置きしながらも、
「オンライン診療が広く認知され、今後も増えていく流れになりました。コロナがドライブをかけたのは間違いないです」
と、医療を取り巻く状況の変化に複雑な心境をのぞかせた。
その一方で、事態を冷静に受け止めてもいる。
「オンライン診療は一つの選択肢に過ぎません。他にも医療への活用が見込まれるデジタル技術は豊富にあって、やっとスタート地点に立った感覚です」
「デジタル庁」創設構想で株価が急騰
新型コロナウイルスによって一気に認知度が上がったオンライン診療(写真はイメージです)。
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メドレーは、オンライン診療システムの医療機関への導入シェアで、国内トップの実績を持つ。同社のオンライン診療システムを利用した累計診察回数は2020年6月には10万回を突破。クラウド型電子カルテなども含む医療プラットフォーム事業全体における同年第2四半期の利用医療機関数は、前年同期比2倍の2173件、売上高は同3.4倍の3億6800万円に上る。
メドレーは2019年12月にマザーズに上場し、大型IPO案件としての注目は集まったものの、当初は株価が低迷。ところがコロナ禍でオンライン診療を取り巻く状況が一変すると、上昇に転じた。
菅首相が司令塔となる「デジタル庁」新設構想など、新政権によるDX(デジタルトランスフォーメーション)推進、さらには先述した「初診オンライン診療の恒久化」が発表されるや、メドレー株は連日高値を更新し、10月中旬には7000円前後まで上昇している。
同社は医療現場のDXを全面的に支援する。クラウド型電子カルテ事業もその一つで、予約から受付、診察、会計業務まで医療機関と患者がつながる仕組みを構築している。
特に画期的なのは、電子カルテ上から患者のアプリとつながる機能を実現したこと。患者の通院をサポートするため、診察中に担当医師ごとにスケジュールの空き状況を確認して、そのまま患者と相談して予約を確定できる。しかも、電子カルテとウェブ予約システムとが連動していて、患者がウェブで予約を入れると、リアルタイムで医師のスケジュールに反映される。
もちろん、電子カルテから直接オンライン診療も実施可能だ。業務の効率化を進めれば、それだけ診療室での医師の作業量も減り、スケジュール確認のために受付で患者を待たせる時間も短くできる。
「日本の医療機関って、電子カルテの活用もまだまだ進んでいないし、患者さんにCTなどの画像データを渡すのにいまだにCD-ROMを使っている状況で……。私の中では、患者さんの立場からも、現場の医師の立場からも、『当たり前にこういうことになっていると良いはずだよね?』と思うところから事業のカタチを発想するんです」
医療界の風雲児も、もがいている
なかなかDXが進まなかった医療界だが、コロナによって、時計の針を進めることができたという(写真はイメージです)。
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豊田は「脳神経外科医→マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタント→スタートアップ経営者」という、既存のレールにはないコースを歩んできた。医療界は、さまざまな規制や慣習で守られている分、制約が多く、DXを推進するにも、四方八方に壁がある。医療のことを現場の人たちと腹を割って話せるところは、もともと医師だった豊田の強みでもある。
医療に横たわる壁を突き破ろうとする豊田には、「医療界の風雲児」「開拓者」「異能」などというさまざまなキャッチフレーズがついているが、「割と泥臭い日常を送ってますよ」と笑う。
自社の取り組みを越えて協働する機会も増えた。
新型コロナの感染拡大を受け、4月7日には、ヤフーを傘下に持つZホールディングス社長の川邊健太郎らと発熱患者へのオンライン診療の利用拡大を求める署名活動を始め、豊田は発起人の1人として名を連ねた。時限措置で初診患者のオンライン診療が解禁されたのは、その6日後だった。
2020年7月から参画し始めた、信頼できる医療情報へのアクセス支援を目的とする情報発信のプロジェクトもその一つ。新型コロナの感染の不安を抱える人へのサポートや誤情報に振り回される現状を改善するため、慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章らの専門家グループ、Google、メディカルノートと連携し、助け舟になるような、信頼性の高い情報の制作、発信を続けている。
社会へのトンネルを通す「代表取締役医師」
豊田がこうした、企業外とのパイプを持つ“外交”に徹することができるのは、彼が「代表取締役医師」という特殊な任務についているからだ。今流行りの「CEO」のような横文字の綴りではなく、「医師」というキャリア2文字を肩書きにジョイントさせるのは、なかなか斬新だ。
「最近、少し似た肩書きの方は増えたみたいですが、一単語で『代表取締役医師』としたのは、もしかしたら私が元祖かもしれないです(笑)。誰もやってないことに挑戦するんだという意思表明でもあります」
メドレーの代表取締役社長を務めているのは、共同代表の瀧口浩平(36)。瀧口は、17歳で最初の会社を立ち上げて、25歳でメドレーを創業した連続起業家。豊田とは小学校時代、有名進学塾で机を並べた“塾友”だ。その後、しばらくは音信が途絶えていた2人が再会し、事業で手を組むまでの詳細は、連載の3回目でお伝えしたい。
元塾友が事業をともにする盟友となり、ともに「医療ヘルスケアの課題を解決する」という会社のミッションを共有しながら社会に向けて「メドレー号」という乗り物を走らせる——。そんな形で2015年に、瀧口にとっては第二創業と言える「ツートップ」体制での経営が始まった。豊田は役割分担をこう解説する。
「瀧口が会社のトップとしての意思決定や戦略の舵取りを担う。私が主に担当するのは、医療ヘルスケアを軸とする会社ならではポジションなんですけど、PR、政府とのパイプ役としてのGR(Government Relations)、大手企業との連携等、外部とのリレーションですよね。多分、売上高が50億円ぐらいの規模のベンチャーにしては発信量も多く、大企業やアカデミア、行政と連携する機会も増えていて、そこの仕事がちょっとヘビーなんです」
豊田の自己イメージは、「会社の事業が新幹線を通す大プロジェクトだとしたら、トンネルを掘る役割の人」なのだという。
「あらかじめ、『メドレー号』が走れるように道を作るのが私の役割。線路を敷く人がいて、新幹線を作る人がいて、電気を引っ張ってくる人も必要でと、会社にはさまざまな役割がある中、トンネルを掘って障害物を取り除いて、『ここに道がある』と思ったところに道を作りに行くという感覚。だから、役割に特化しすぎていて、社内で私が一番つぶしが効かない。転職は厳しいでしょうね(笑)」
それにしても、豊田は医師という確固たるレールがある職を捨て、自ら「レールのない道」に踏み出したのは、なぜなのか?
(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。