「福祉業界のセクハラ体質を次世代に残してはいけない」と決意したという、木村倫さん(仮名)。
撮影:西山里緒
滋賀県を拠点に障害者や高齢者への介護や支援事業に取り組む社会福祉法人「グロー」の理事長・北岡賢剛氏(62)からセクハラ・パワハラを継続的に受けたとして11月13日、グローの元職員と、北岡氏が9月まで理事を務めていた福祉法人「愛成会」の女性幹部が、北岡氏と社会福祉法人グローを相手取り、慰謝料など合計で4069万円の損害賠償を求める訴えを、東京地方裁判所に起こした。
訴状などによると、2人は出張先のホテルで性暴力を受けたり、度々体を触られたり、職場やLINEなどで卑猥な言葉を投げつけられたりしていた。やめてほしいと抗議すると、仕事を与えられない、罵倒されるなどのパワハラも受けていた。
「部屋飲み」とホテルの部屋に誘われレイプ未遂
「(北岡氏は)福祉業界では王様のような存在です。拒絶したら何をされるか……ただ怖ろしかったです」
現在、30代前半の鈴木朝子さん(仮名)がグローに入職したきっかけは、大学時代に発達障害のある子どもたちが学ぶ支援学級で働いたことだった。
「障害者福祉という夢も、ふつうに働きたいという願いも、性暴力とハラスメントで潰された」と語る鈴木朝子さん(仮名)。
撮影:西山里緒
「障害を持つ子どもたちにとって、少しでも安心できる社会にしたい」
グローは障害者アートを展示するミュージアム「NO-MA」も運営する社会福祉法人だ。歴史のある組織ながら、特に障害者アートという分野では先駆的な取り組みを手がけていることで知られていた。
北岡氏からセクハラを受け始めたのは、新卒でグローに入職した年の9月頃からだ。突然夜に携帯電話が鳴り、「今京都のホテルにいるから来ない?」と誘われた。断ったものの、その時から頻繁に「好き」などと連絡が来るようになった。
決定的だったのは2014年。朝子さんは北岡氏らと一緒に東京出張で中野サンプラザに宿泊した際、北岡氏から「部屋飲みをしよう」と誘われた。最初は複数の関係者も一緒だったが、朝子さんだけ仕事の打ち合わせがあるから残るように指示された。
不安を覚えながら部屋に一人残されると、北岡氏は朝子さんのキャリアについて話しながら隣に座り、胸部を触ったり抱きついてきたりしたという。
恐怖で抵抗できずにいると、朝子さんの服をめくり上げ、ブラジャーをずらし、乳首を舐め、さらに下着に手を入れてきたという。朝子さんは恐怖のあまり固まってしまい、力の入らない手で防御しても押しのけられた。
北岡氏が身体を離し、服を脱ぎ始めたタイミングで朝子さんは急いで布団を被ると、北岡氏はさらに布団の上から抱きついてきたという。押し問答をしながらも抵抗を続け、布団を絶対に離さなかった。
しばらくして布団から顔を上げると、北岡氏は全裸状態でいびきをかいて寝ていた。「本当にレイプするつもりだったんだ」とゾッとしながら、朝子さんは自分の部屋へ急いで逃げ帰った。
その後もSMSや電話での性的からかいや、手を握ったり、抱きついてきたりなどの被害は続いた。朝子さんは心身に不調をきたし、2019年8月に退職した。
職場で下ネタ、性器の名称を叫ぶ
愛成会幹部の木村倫さんも、北岡氏から継続的にセクハラを受け続けてきた。
撮影:西山里緒
現在40代前半の木村倫さん(仮名)は、都内に本部がある福祉法人「愛成会」の幹部だ。この法人の理事を9月まで務めていた北岡氏から、日常的にセクハラを受け続けてきた。
仕事で同乗したタクシーで「やめてください」と何度も言っても 、おしりを触られたり、おしりを触られないように防御すると、手を握られることはしょっちゅう。周囲に別のスタッフがいても触られたという。何度も拒否し、抗議しても行為は続いた。
さらに 不特定多数の関係者も集まる懇親会で「倫はいい胸をしているんだよな」「夜寝かせてくれないんだ」など、あたかも性関係があったかのような内容を大声で言われたり、頻繁に「好きだ」「今度会ったら、抱き上げる」などというメールが昼夜関係なく送られてきた。
北岡氏は倫さんに対してだけでなく、職場で下ネタや性的なからかいを言うことは日常的で、その中には女性器の名称を大声で叫ぶこともあったという。
倫さんも朝子さん同様、北岡氏が東京出張の定宿にしていた中野サンプラザの部屋で「打ち合わせ」と称して呼び出され、「ハグして」「好きだ」と言われ、無理やりキスをされた。さらに別の機会には、職場の懇親会で酩酊するほど飲まされ、そのまま北岡氏の部屋に連れ込まれ、上半身を裸にされた上、下半身をのぞかれた経験もある。
倫さんはその際の経験から不眠になり、精神科を受診、心的外傷後ストレス障害という診断も受けている。
セクハラの言い訳に「振り子論法」
セクハラの正当化には、振り子に例えた謎の弁明が使われた(写真はイメージです)。
画像:Shutterstock
こうした職場環境をなんとか変えたいと、朝子さん、倫さんともそれぞれ上司などにセクハラについて相談もしてきたという。しかし上司たちが真剣に耳を貸すことはなく、説明として使われたのは、振り子に例えた謎の弁明だった。
「北岡さんは偉大な仕事をしている。真面目なことをした後には、振り子のように不真面目なことをしなければ真ん中に戻らない。(下ネタを言うのは)北岡さんの“個性”だから」
朝子さんや倫さんに対する言動、そして職場で飛び交う日常的な女性蔑視の発言に、職場全体が、特に男性上司たちの感覚が麻痺していて、それが“異常”だと誰も気づかず声をあげなかった —— 倫さんはそう振り返る。
現在、愛成会幹部になった倫さんは自ら中心となって「ハラスメントのない職場」を目指して職場改革を進めている。
セクハラは仕方ないと思い込んでいた
倫さんは自ら「愛成会からハラスメントをなくす会」を立ち上げている。
撮影:西山里緒
長年にわたるセクハラ、性暴力に対して、朝子さんも倫さんも拒否し、抗議もしてきた。
すると北岡氏は、露骨に会議や仕事から外したり、嫌がらせをするようになったという。
また、倫さんは法人内で被害を訴えた際に上司からは「そんな長く続くセクハラなんてない。それはむしろ不倫だから、あなたの責任になる」と他の幹部がいる前で怒鳴りつけられたという。
それでも倫さんを職場に止まらせたのは、自分が情熱を傾けている障害者福祉や障害者アートの仕事に対する使命感だった。
「今働く女性の中で、セクハラやパワハラに全くあったことがないという人は少ないと思います。私も男性がつくってきた社会で働くなら、このぐらい我慢しなければ、ハラスメントぐらい仕方ないんだと耐えてきました。転職してもまた同じような思いをするだけだ、逃げ場がない、とも。でも、我慢し耐えることに多くの時間を費やすことに、もう疲れ切ってしまったんです」(倫さん)
また朝子さんは、長年耐えてきた気持ちをこう話す。
「仕事には誇りも持っていたし、同僚のことも大好きでした。少ない人数でただでさえ業務過多で働いている職場で、私が辞めてしまえば、同僚に迷惑がかかってしまう。私さえ我慢すればとずっと思ってきました。北岡氏は福祉業界で絶対的な存在です。私が何を言っても誰も信じてくれないのではとも思っていました」
北岡氏は内閣府や厚労省の委員を歴任
グローが運営するミュージアム「NO-MA」は、正規の美術教育を受けていない人によるアート「アール・ブリュット」を日本に紹介した先駆けとして知られている。
画像:Borderless Art Museum NO-MA
訴状によると、北岡氏だけでなくグロー関係者に対しても、セクハラやパワハラの状況を知りながら対策が取られなかったことは、安全配慮義務違反などに相当し、損害賠償請求の対象に当たるとしている。
グローも倫さんの勤務する社会福祉法人も、障害者芸術文化の振興に取り組む数少ない社会福祉法人だ。ウェブサイトによると、グローは文化庁や文部科学省、厚生労働省などからの助成や受託での事業も数多く運営している。
さらに北岡氏はグローの理事長だけでなく、内閣府の障害者政策委員、特定非営利活動法人全国地域生活定着支援センター協議会の顧問(6月までは会長)、厚生労働省の社会保障審議会障害者部会の委員を歴任。
2018年には障害者自立更生等厚生労働大臣表彰を受賞するなど、障害者福祉の世界では大きな影響力を持ってきた。
なぜ福祉業界でセクハラがはびこるのか
ここ数年の、#MeToo運動の機運の高まりも提訴を後押しした、と倫さんは話す。
撮影:今村拓馬
公共性の高い業界にもかかわらず、なぜセクハラが容認され続けてきたのか。倫さんは、 女性の働き手が多いにも関わらず、 福祉の世界の上層部が男性幹部によって占められている環境を理由の一つに挙げる。
提訴に踏み切った理由について、倫さんはこう話す。
「福祉という社会的弱者を助ける仕事に携わっている者が、性暴力やハラスメントによって人権や個の尊厳を害するような行為をしてはならないと思います。私だけでなく、職場の他の若い女性たちからも被害を相談され、もう黙っていることはやめようと、今回提訴を決断しました」
朝子さんは目に涙を浮かべながら、こう語った。
「なぜ退職を選ばなければならなかったのか。仕事も職場も大好きだったし、何より“ただ普通に働きたい”。その願いさえも、性暴力とハラスメントのせいで潰されました」
今回のセクハラ・パワハラ訴訟について、Business Insider Japanはグローに対して取材を申し入れたが、期日までに回答はなかった。
(取材・文、浜田敬子、西山里緒)