常に「これがやりたい!」を明確に、その都度ゴールに向かって全速力で走ってきた椿奈緒子さん。いくつもの企業で、新規事業の立ち上げに力を注いできた。毎回新たな学びを得ながらも、成長はらせん状に「2周くらいした気がする」と言う。それと並行して、ワーママを応援する「パワーママプロジェクト」など、事業化しにくい活動にも取り組んできた。椿さんのこれまでの成長とこれからのチャレンジを、たっぷりと語ってもらった。
椿奈緒子(つばきなおこ):シリアルイントレプレナー(連続社内起業家)
元 外国人向けメディアを運営するYOLO JAPANの取締役COO、2020年4月で退任。現在はフリー。総合商社を経て株式会社サイバーエージェントに入社。広告営業を経てオンラインサンプリング事業「トライアルネット」の事業責任者となる。2005年にビジネスポータルサイトを運営するサイボウズ社との合弁会社cybozu.net株式会社を立ち上げ、代表取締役CEOに就任。その後、メディアマネタイズ事業やアンドロイドアプリ事業、ニュースメディアなど、合計7つインターネットサービスの立ち上げを行う。プライベートではブラジル人夫の妻、二児の母、トライリンガル、そしてワーキングマザーのロールモデルをシェアする「パワーママプロジェクト」共同代表でもある。
男女関係なく働きたい! 初めての転職は新規事業の開発にチャレンジ
Zoomで取材に応じる椿奈緒子さん。
幼少のころからフライトアテンダントに憧れていました。でも、高校生のときに飛行機に乗り、私が求めていたものとは違うと思ったんです。そこから興味の方向性が変わり、コギャルになって(笑)、学年で下から10番目の成績だったこともあります。
ただ、フライトアテンダントになるために英語は頑張っていて、国際的な分野に興味もありました。英語以外の言語にトライしようと、大学は外国語学部 ポルトガル語学科へ。そのままブラジルに関連するビジネスに携わりたいと、総合商社へ就職しました。
配属のときから「女性は厳しいよ」と言われていましたが、「頑張れます!」と意気込んでいました。最初から新規事業の部署に入り、開拓のためにアポイントの電話をするなど、大変でもやりがいはありました。ところが2年目に異動となり、輸入実務の仕事の担当に。仕事内容は単調で、お茶出しを頼まれるし、事業企画書を出してもまったく相手にされないしで、悔しくて仕方がなくて転職を考えました。
転職活動の目的はとにかく明確で、「若い女性でも事業を立ち上げられる会社に移りたい!」ということ。3社ほど検討して、サイバーエージェントに入り、インターネット広告の営業からスタートしました。時代的にも受注が取れやすく、お客様も喜んでくれるので、楽しくて仕方がなかったですね。勉強会などの企画をしても、自ら動くことを賞賛してくれる文化がすごく嬉しかったんです。
イントレプレナー人生のスタート
初めて作った「トライアルネット」のサービスロゴ。
入社して半年後、「ジギョつく」という社内の事業プランコンテストに参加しました。私が当時インターネット広告営業をしていた際にクライアントにコスメ系が多く、課題を感じていた部分を事業化しようと企画を出したんです。
見事グランプリを取ることができて、事業化することになりましたが、中途入社半年の24歳ですよ……。マネジメント経験もないし、事業計画を作ったこともない。「本当にできるの?」と思いました。それでも、「ジギョつく」の第1号ということもあり、多くの人に応援されていましたね。
ところが私は、チームワークというものがわかっていませんでした。ある日、チームの女性4人が揃ってやってきて、「もう、椿さんにはついていけません」と言うのです。それまで、ひとりで悩んでひとりで決めなきゃいけないと思っていたのですが、現場が持っている情報や知恵をもらって一緒に考えた方がいいのだとわかりました。そのほうがずっといい方向に進めるし、チームのためにもなる。
彼女たちに指摘されて傷つくというより、「確かに!」と思うことばかりだったんですね。そこから仕事の仕方が変わり業績も上がったのですが、会社の方針もあり、1年弱でその事業は解体することになりました。
ロジカルな伝え方も必要だと学んだ
2008年、cybozu.netで昇格して取締役COOになった頃。
その数か月後、「cybozu.net」の事業に誘われたんです。既存のサイトを、サイバーエージェントとサイボウズの合弁会社によってさらにマネタイズしていくという計画でした。事業責任者としてスタートし、その後COOを経てCEOになりました。
ビジネスモデルはもちろん、そこで学んだのは、人の巻き込み方です。特に男性で年下の女性にマネジメントされるのは嫌だと感じる人はいると思います。伝え方がロジカルでないと納得できない人もいて、コミュニケーションに苦労したこともありました。
具体的には、四半期ごとに「方針」「戦略」「戦術」「アクションプラン」を説明する際、「なぜ」と問われてもロジカルに説明ができなかった。それまでは「私が思ったからそうなの!」のように押し通していたところがありましたが、そう言っても伝わらないし、腹落ちしてもらえないわけです。
納得してもらうために、それぞれを分解して公式化して、ロジカルに説明しきることに力を尽くしました。何度もやるうちに、しっかり伝わるようになっていったんです。また、事業の精度も上がりました。式ができているので、できないときには対策が打てますし、チームメンバーが自分で判断をして動ける。計画通りにいかなかった場合も、悪かった箇所が明確になります。
ひたすらその訓練をしながら、後半は、担当役員だった宇佐美進典さんがCEOを務めるVOYAGE GROUPの仕事も兼任し、グループ内で事業をいくつも立ち上げました。市場やアセットを見ながら、ある程度アイデアが決まったら仮のプレスリリースを書き、それをもとに事業の壁打ちをしていきます。1年に1つのペースで、通算7つほど立ち上げました。
2018年からは、在日外国人向けの事業を手掛けているYOLO JAPANに参画、取締役COOとして2年弱従事。夫がブラジル人なので、いろいろな苦労を知っているだけに課題意識も強かったんですよね。大企業との提携や、マーケティング、イベント、セールス、カルチャーづくりなど、これまでのスキルを総動員して取り組みました。
「ワーママ」に関する意識の高まり
「パワーママプロジェクト」共同代表の4名(右から2番目が椿さん)。
さまざまな事業を立ち上げ、作り方や伸ばし方の学びは2周くらいした気がしています。その時点の問題を見つけ、解決するアプローチが得意だったのですが、もっとビジョナリーに、自分に密着した課題解決をしたいとも思っていました。
2012年に最初の子どもを産み、それからワーキングマザーに対する意識が高まりました。当時のワーキングマザーは「強くなければならない」といったムードがありましたが、周囲に話を聞くと「大変だけど楽しいよ」と言う人がほとんど。それなら、そういう情報をもっと公開していきたいと「パワーママプロジェクト」をスタートしたんです。
等身大の自分を伝えられるように、インタビューの形で記事にしていきました。そこに優秀な方たちが集まって大きくなっていき、「ワーママ・オブ・ザ・イヤー」というイベントに20社も協賛がついたり、内閣府の男女参画イベントに呼ばれ、当時の内閣府特命担当大臣である加藤勝信氏と懇談をしたり……。社会課題と向き合うことでガバメントにもアプローチできると知ったのは、貴重な経験でした。
大阪本社のYOLO JAPAN、大阪に通っていた時。
2020年4月にYOLO JPANを退任したあと、数社からご相談をいただき、6月ごろから「CxOインターン」のような活動をしています。これまでは1社にコミットしてチームで達成するほうが好きだし結果につながると思っていたのですが、実際に何社かお手伝いしてみて、同時に複数社を兼務するやりがいがに気が付きました。入って動いてみないと適任かどうかわからないので、「インターン」なんです。
周りを見てみると、尊敬している先輩方は、ひとつのことにとらわれず、とても多くのことをしているんですね。例えば、ファウンダーでありながら、教育に携わって、出版もしている。そんな方々を見ていると、ひとつの会社にこだわらなくていいって思えてきたんです。
新しい試みなので、やってみてうまくいかないこともあるかもしれない。それでも、何とかなると思っています。これまでもたくさん失敗してきて、それは必ず糧になっている。失敗こそが、財産になると思っています。
(文・栃尾江美)
栃尾江美:外資系IT企業にエンジニアとして勤めた後、ハワイへ短期留学し、その後ライターへ。雑誌や書籍、Webサイトを問わず、ビジネス、デジタル、子育て、コラムなどを執筆。現在は「女性と仕事」「働き方」などのジャンルに力を入れている。個人サイトはhttp://emitochio.net
MASHING UPより転載(2020年8月19日公開)