撮影:今村拓馬
前回は、組織に自分のキャリアを預けることにはリスクがある、とお伝えしました。
キャリアとは、これまでの経験の集積であり、これからの行動の羅針盤です。年齢、性別、職位、職種にかかわらず、あらゆる人がそれぞれのキャリアを歩んでいます。
1つの組織にキャリアを預け、年功序列・終身雇用に守られた環境で昇進・昇格のレースを続けるという働き方は、もはや古き良き時代の「神話」になりました。今こそ、私たち1人ひとりがそれぞれのキャリアについてじっくりと向き合うべき時です。
そんな心の準備ができた時に意識してほしい考え方について、今回はお話ししたいと思います。
「幸運は偶然ではない」の先へ
みなさんは「計画的偶発性理論」というものをご存知でしょうか?
スタンフォード大学で教育学・心理学を専門とするJ・D・クランボルツ教授が、著書『その幸運は偶然ではないんです!(原題:Luck is No Accident)』で提唱したキャリア論です。慶應義塾大学名誉教授の花田光世先生に紹介されたことで、日本でも広く知られてきました。
計画的偶発性理論のポイントは、単線的なキャリアプランの達成のみを追い求めるのではなく、想定外の出来事に柔軟に適応すること。そのためにも、日頃から行動を起こし、選択肢をオープンにし、偶然の出来事を活用していくことの大切さを述べている点にあります。
幸運は偶然によってもたらされるのではない。行動次第で望ましい結果を起こす確率を高めることができる。つまり幸運は、想定外の出来事にも柔軟に対応するために日頃から準備を重ねておくことによってもたらされる——そのことを明確に示したのが計画的偶発性理論という訳です。
撮影:今村拓馬
私たちの日々の生活でも「想定外の出来事」はたびたび起こりますよね。2020年に世界を襲ったコロナ禍などはまさにその一例です。もっと身近なケースだと、これまで経験してこなかった部署や職種への配置転換などもその例になります。
『その幸運は偶然ではないんです!』のあとがきには、花田先生の次のような言葉が添えられています。
「偶然を活用してチャンスを掴む」という考え方は、勝者の勲章のためだけにあるのではありません。「普通の人たち」がオープンマインドを持ち、自分の変化・成長のためにアクセルを踏み、不確実な状況や偶発的に起こる事態に対して準備を行い、とりあえず行動を起こしてみる。
(『その幸運は偶然ではないんです!』p.229)
素敵な言葉だと思いませんか?
これまで「キャリア」という言葉は、矮小化されて使用されてきました。「キャリア=働くことだ、キャリアを語れるのは一部のエリートのみだ」と。これは間違いです。キャリアとは人生そのものであり、ありとあらゆる人が形成しているものなのです。
さて、本題はここからです。研究者は先人をリスペクトしつつも、その先へと踏み込みます。
計画的偶発性理論の課題
クランボルツ教授が提唱した「計画的偶発性理論」には、積み残された課題があります。
この理論では変化に適合しながら計画的に行動していると、ある時、偶発的に良い結果につながると説明されてはいるものの、継続的な学びがいかにして予想以上に良い結果をもたらすのか、という点が明らかにされていないのです。
実は、この“積み残された課題”に挑んだのが拙著『プロティアン』です。
幸運は、より主体的計画的、かつ「戦略的」に行動していくことで引き寄せることができる——そのことを明らかにし、計画的偶発性理論より実践的かつ戦略的にアプローチしたキャリア論が『プロティアン』の要諦です。
『プロティアン』は、ダグラス・ホール教授のプロティアン・キャリア論にキャリア資本を接合させた、いわば現代版のプロティアン・キャリア論です。「キャリア資本」とは、ビジネス資本・社会関係資本・経済資本の3つの資本で構成されます(連載第2回を参照)。
キャリア資本という考え方を取り入れることのメリットは、主に2つあります。1つは、行動の過程での間違いや失敗も、すべて資本として蓄積されると認識できるようになること。もう1つは、これまでのキャリアの歩みでどんなキャリア資本を蓄積してきたのかを把握できるようになることです。
この連載のテーマである「プロティアン思考術」におけるキャリアの棚卸しとは、「キャリア資本の把握」を意味します。蓄積したキャリア資本の総量やバランスを知ることで、これからのキャリアの戦略を計画的に練ることができる訳です。
キャリアを考えるうえで大切なことは「時間軸」。例えば、英語で商談できるまでのキャリアを築くなら、英語をビジネス資本として蓄積しなければいけません。つまり、必要とする時間をもキャリアプランの戦略に埋め込むなど、それなりの準備が必要なのです。
キャリア資本に賞味期限はない
以上のように説明すると、こんな声が挙がることがあります。
「何が起きるか分からないのだから、準備なんて必要ない。蓄積したキャリア資本は市場の変化とともに役立たなくなる」
しかし、キャリア資本論をベースにするプロティアン思考術では、そのようには捉えません。
継続的に学習し身体化したキャリア資本に賞味期限はありません。学習した過程は、何よりも本人が主体的にキャリア形成してきたプロセスだからです。
そのような継続学習が習慣化されているビジネスパーソンは、変化に応じて、また次なる学習に取り組んでいきます。
もちろん、仕事以外の息抜きの時間も大切です。テレビやYouTubeを観たり、SNSを眺めたりゲームに興じるなど、余暇の時間をなくす必要はありません。ただ、減らす必要はありそうです。時間は有限です。その時間の使い方を自らマネジメントしていくことが求められています。
今は、オンラインで全国どこからでも参加できる学習機会やコミュニティが充実しています。継続学習にはまたとないチャンス。これまで蓄積してきたビジネス資本と社会関係資本を見つめ、これからいかなる資本を構築していきたいのか、じっくり考えてみてください。
プロティアン・キャリアは、心理的幸福感にも重きを置いています。働かされるのではなく、やりがいを感じながら自ら主体的に働き、日々を過ごしていく。
想定外の幸運をもたらすのは、偶然ではありません。キャリア資本の継続的な蓄積こそが、想定外の幸運へと続く鍵なのです。
(撮影・今村拓馬、編集・常盤亜由子、デザイン・星野美緒)
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を22社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。