東京大学4年の久保さん。「トランスジェンダーの当事者として、就活では何度も心を病んでしまった」と話す。
撮影:横山耕太郎
「面接では、志望動機よりも『君は男なの?女なの?』『なんで髪が長いの?』という話ばかり聞かれました」
生まれた時には男性として性別を割り当てられ、現在は女性として生活している東京大学4年の久保明日香さん(23)は、就職活動で、何度も何度もトランスジェンダー(自認する性別と身体的な性別が一致していない人)への理解ない発言を浴びてきた。
先進的な価値観を持っているとあこがれていたベンチャー企業、多様性の大切さを訴えている新聞社 —— 。
自由に働けることを期待して入社試験を受けたが、どの面接でも執拗に聞かれたのが「性別」についてだったという。
小学生の頃から性別に違和感
久保さんは大学生になってから、髪の毛を伸ばし始めた。
撮影:横山耕太郎
久保さんは小学生の頃から、自身の性別について違和感を抱いていた。
「男の子と遊ぶことよりも女の子と遊ぶのが好きで、自分と他の人は違うと思うようになりました」
関西の中高一貫校に進学すると、学校から男女別の制服が指定されており、自分が男子の制服を着るのが当然とは思えなくなっていた。
「『絶対に男子の制服を着たくない』というわけではなかったです。ただ、なんで自分はズボンと決められているんだろう、女子の制服だったスカートの方がいいのにな、と思っていました」
東京大学に入学後、ジェンダーの授業を受けたことから、自分がトランスジェンダーだと初めて自覚した。しかし当時は、男性として暮らし、男性ばかりのグループに所属。女子学生と仲良く話していることを揶揄(やゆ)されたり、授業前に交わされるアダルトビデオについての話についていけなかったりと、うまくなじめなかった。
「東大は男子学生が8割。当時は男子グループの中で無理してしまいました。親元を離れれれば好きな恰好をして生きられるという思いもあって、一人で上京したのですが、周囲の目を気にしてしまい、精神的に追い詰められてしまいました」
久保さんは大学1年の時、1年間休学した。初めて専門のクリニックを受診して、性同一性障害と診察されたのもこの頃だった。
「それまで『自分はおかしいんじゃないか』と思っていたので、診断を受けて初めて、納得できるようになりました」
復学後にはトランスジェンダーであることを、周囲の友人に打ち明けた。
「すごく緊張していて、正直、友人の反応はあまり覚えていません。ただ戸惑うことなく『そうなんだね』と素直に認めてくれて、ただただ安堵したことを覚えています」
久保さんは生まれて初めて、髪も伸ばし、ユニセックスやレディース向けの服を身に着けるようになった。
早めに始めた就職活動
就活を始めた当時は、ベンチャー企業を中心に説明会やインターンに参加したという(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
久保さんは大学3年生の4月から就職活動をスタートさせたという。
早めに就活を始めた理由は、将来的には、自認する性別と身体の性別を一致させるための治療を受けることも考えているからだ。
「そうした治療にはお金がかかるので、きちんと就職したいと思っていました。
またトランスジェンダーとして就活に挑むことは、企業からの理解を得るためにハードルがあるとも思っており、早めに就活を始めました」
久保さんはまず、就活生に企業を紹介する就活支援エージェントに登録した。
エージェントに「多様性のある職場で働きたい」と希望を伝えたところ、実力主義のベンチャー企業を勧められた。
大学3年の夏に、初めてベンチャー企業が集まる就職説明会に参加したが、久保さんを待っていたのは予想外の反応だった。
ベンチャー企業の社員を囲んでの座談会では、社員から顔をじろじろと見られ「君は男なの? 女なの?」と言われたり、別の企業の社員からも「なんで男なのに髪が長いの」といきなり聞かれたりした。
「衝撃で何も言い返せませんでした。サークルの仲間内では、LGBTに関する侮蔑的な発言には、進んで反論しているのですが、社会人からいきなり言われて、何も言い返せませんでした。
ベンチャーの社員が、ばりばりと働く姿に尊敬の念があったので、『そういう人たちがそんなことを言うのか』と。やっぱり自分がおかしいのかなと自信をなくしてしまいした」
ダイバーシティうたう企業から「ネクタイが必要」
ベンチャー企業の中には、ジェンダー意識の低い企業もあったという。
撮影:今村拓馬
大学3年生の夏にはベンチャー企業のインターンに応募。11社応募し、1社以外は面接で落ちた。
当時は、男性用のスーツにネクタイを付けた服装をしていたが、髪は伸ばしていたことから、面接で「髪が長いのは失礼だよ」と言われたこともあった。
「企業にとっても、ちぐはぐな印象だったのかもしれません。でも、期待していたベンチャー企業であっても、外見しか見てくれないことが悔しかった。
髪を切ることを何度も考えましたが、それは自分の存在を否定することになると思い、髪は切りませんでした」
企業から学生に直接スカウトを送る、オファーサイトにも登録した。
そのサービスの性別欄には「男性」「女性」の他に「その他の性別」があり、久保さんは「その他の性別」を選択した。
オファーサイトを通じて連絡があった行政書士事務所は、紹介文に「LGBTなどのマイノリティーの方を採用しています」と書かれており、普段通り、ユニセックスの私服で面接に行った。
しかし面接の場では「仕事ではネクタイ付けてないとお客様に会わせられない」と一蹴され、オファーも取り消しになったという。
「同じ時期に就活をしていた、サークルの仲間は、外資系企業やコンサルへの内定が決まっていました。同じサークルでここまで状況が違うのは、やはり自分の能力が低いのか、ジェンダーのせいなのかと考えざるを得ませんでした」
新聞の「主張」と面接にギャップ
市販されている履歴書。外資系企業などでは、性別欄を無くす動きもできている。
撮影:横山耕太郎
インターンシーズンを終え、大学4年の春前から本格化した就活シーズンでは、新聞社に絞って就職活動を行った。
「新聞社は古い慣習もあるものの、LBGTの記事も多く掲載している。リベラルな空気があるのではないかと感じていました」
全国紙と地方紙計10社にエントリーシート(ES)を送った。
「新聞社のエントリーシートには、トランスジェンダーであることを正直に書きました。それでも面接では、髪を伸ばしている理由や、女性用スーツを着ている理由を質問されました。
新聞の紙面では多様な人材の活用をうたっているのに、面接で聞かれることは旧態依然としていました」
新聞社含めて1社も内定を得られなかった久保さんは、休学して卒業時期を遅らせた。
「あなたは遺族に信頼されますか?」
久保さんは「文章を書く仕事がしたい」と新聞社を中心に就職活動を続けた。
撮影:今村拓馬
2回目となった4年生での就活は、コロナ禍での就活となった。
久保さんは、出版社や新聞社を中心に計35社にESを提出したが、トランスジェンダーの当事者が就活をする難しさをまたも突き付けられた。
「出版社の編集者と会った時、『出版の世界も多様な人材を求めているから』と言われたので、面接を受けたことがありました。その時も、髪が長い理由を聞かれて『トランスジェンダーだからです』と説明すると、『差別する意図はなかった』とたじろいでいました。その対応を見ていて、多様性なんて表面的に言ってるだけではないか、と思いました」
第1志望と考えていた地方紙の面接でも、聞かれたのはトランスジェンダーの事ばかりだった。
1次面接や最終面接では、「好きな性別はどちらか」「性別適合手術を受けるのか」などを聞かれたという。
「最終面接では、性別に関することを散々聞かれた後で、『地方の田舎を取材した時や、遺族取材をした時、あなたは取材相手から信頼されますか』と聞かれました。
雇う側からすれば、覚悟を問うための当然の質問かもしれませんが、『トランスジェンダーのあなたが、本当に信頼されるのか』という意味だと受け取りました」
「あの時、うまく答えられていれば…」
久保さんは就職活動の苦悩について、落ち着いた様子で語った。
撮影:横山耕太郎
第一志望だった新聞社からは、2020年の夏になって、不合格の通知が届いた。
「実際に入社して、本当に地方で取材できたのかは、やってみないと分からないし、あの会社でうまく働けたかは分かりません。
でも私は働きたいと思って面接を受けました。最初からトランスジェンダーを受け入れる環境がないならば、書類段階で落とせばいいと思います」
面接を振り返ると、納得できない思いが残る。
「面接の時間はみんな同じだと思いますが、私の場合は性別に関わることがほとんどでした。結果的には十分にアピールできず、不利な面接だと感じました。
みんな人と違うところは必ず持っています。それなのに、面接で寄ってたかってそこを突いてくる。そして面接を振り返ると、『あの時、うまく答えられれば内定をもらえたかもしれない』とも考えてしまう自分もいます」
「就活デモ」を企画
2度目の就活でも内定を得られていない久保さんだが、「就活でこんな思いをしている就活生がいることを知ってほしい」と、サークルの仲間ら3人と「就活デモ」を企画した。
2020年11月23日、経団連やリクルート前を行進するデモをSNSで呼びかけている。
「トランスジェンダーの就活の実態だけでなく、企業側が学生を一方的に試すあり方や、就活時期の早期化で大学の勉強ができないことなどを改めて訴えたい。東大では大学3年から専門の授業が始まるのに、就活で集中できませんでした」
久保さんは現在、就職活動を中断。大学院に進学し、労働社会学を学ぼうと考えている。
「大学でジェンダーを勉強しても、大学の外の反応は私には辛いことも多かった。勉強する意味がないと思ったこともあります。
でも石川優実さんが、職場などで女性だけがヒールを履くよう義務付けられる現実に異議を唱えた「#KuToo」運動のように、当事者が声を上げることで変わることもあります。大学院で勉強しながら、当事者として発信を続けていきたいと、今は考えています」
(文・横山耕太郎)