クリスタルのラインストーンがきらめくビキニに、12センチはありそうなヒール。ロングヘアをなびかせ、手足を大きく動かしてポージングをキメる。なにより、艶やかで大胆な笑顔が惹きつける。
提供:安井友梨
安井友梨(36)が最初に挑んだ、2015年の第2回オールジャパン・フィットネスビキニ選手権大会・35歳以下163センチ超級の最終選考だ。
ステージに立つのは安井ともう1人の最終候補の2人。美しく鍛え上げた2人の女性が約7分の演技を繰り広げる。終了後、安井が1位に選ばれた。感激でコチコチにかたまっている安井に、審査委員長が「泣かないでね」と声をかけながらメダルを首にかけた。
堂々とした完璧な演技に見えるが、本人は緊張のあまり頭が真っ白で、この日のことはよく覚えていないらしい。
「もともと、極端なあがり症です。証券会社で働いていた頃、朝会で自分の気に入った記事を紹介する読み合わせという活動があったのですが、ガタガタ震えて声が裏返ってしまうくらいでした。そんな私が大会にビキニで出るなんて、ありえないという感じでした。緊張を見越したコーチから“とにかく、口を『あ』の字に開けること”とアドバイスを受け、それを忠実に守るだけで精いっぱいでした」
優勝したこの日を境に安井の人生は変わったという。
「それまでは何をやってもだめな人間だと思っていたのに、自分でも“やればできる”ことに気づきました」
りんごダイエット、こんにゃくダイエット、炭水化物ゼロダイエット。何度もダイエットに失敗してきた。話題のダイエットで一時的に55キロまで体重を落とすことに成功したこともあるが、その度にリバウンドし、気分まで落ち込んだ。
それが、ビキニフィットネスを始めて10カ月で、人生初の割れた腹筋と引き締まったウエスト、美しい筋肉に包まれた脚が自分のものになった。だが、身体以上に変化したのが心だったというのだ。
「なるべく失敗しないように、無難にやり過ごそうという考えが身に染みついていました。石橋を叩いても渡らないくらい保守的でした。チャレンジしたいことがあっても、自分にはできるはずがないと、難しそうだと思ったら手を出す前に諦めてしまうネガティブな私がいました。それが、トレーニングを始めてからは、“できるかできないかじゃなく、やるかやらないか”、だと自分を鼓舞するように変わりました」
日々のトレーニングは地味な努力の積み重ねだ。腹筋のマシンひとつ取っても、昨日は10回で音を上げていたのが、今日はやっと11回できるようになった。そうした紙一枚の進歩を毎日実感しているうちに、徐々に“私もできる”という思考が身についていくというのだ。
「振り返ると、20代で挑戦したいことはたくさんあったのに、イタリア語も大学院への進学も、どうせ無理だと思い込んでいました。でも30歳でビキニフィットネスを始めたら、こんなにも変わることができました。もし20代の私にアドバイスができるなら、やりたいことにはどんなことでも挑戦して大丈夫だよ、と言ってあげたい」
指導者探し当て、体脂肪率は25%から10%に
大学時代の安井はとにかく食べてばかりいたと言う。2020年8月には自らの経験を元にした著書も出したが、タイトルには「食べまくりダイエット」の文字。食べることを安井は譲らない。
提供:安井友梨
保守的な土地柄の名古屋市で、会社員の父と専業主婦の母のもと長女として生まれた安井は、市内の女子大に進み、卒業後は市内の証券会社に就職した。中高はバレーボール部に所属した。173センチの長身が生かされたはずだが、リーダータイプではなかったという。
安井が振り返る女子大時代は、華やかなキャンパスライフというよりは、食欲に彩られた日々だ。食べることが大好きで、1限目は白玉だんごを片手に授業を受け、休み時間には購買でサンドイッチを買い、昼にはキャンパス近くのミスドでドーナツを頬張る生活。賄いのパスタを楽しみにイタリア料理店でアルバイトし、イタリア料理好きが高じてイタリアに留学して「イタリアの食文化」をテーマに卒論を書いたほど。
フィットネスのきっかけを与えたのは母だった。
「うちはみんな大食いで大柄で、母は80キロ、祖母は100キロもありました。ところが、母が50歳を過ぎてから始めたフィットネスで20キロのダイエットに成功したので、誘われて一緒にジムに行くようになりました」
だが、会社帰りにジムでお風呂に入るのが楽しみなばかりで一向に痩せる兆しがない。
あるとき、トレーナーに「そんなことでは成果は出ないよ。どんな体型になりたいのか、写真を持ってきて」と言われた。そうしてネットで探しているうちに聞いたことのない競技に出くわした。それがビキニフィットネスだった。
フィットネスビキニ選手権大会の第1回の優勝者は偶然にも名古屋在住だった。「めちゃくちゃカッコいい!」「なんてステキな!」とすっかり惹きつけられ、この人みたいになりたいんですと、安井は写真を持って行った。ところがトレーナーには「この人、1位でしょ」と笑われた。諦めきれない安井は、その優勝者の通うジムを探し当てると、通っていたジムを退会し、彼女を指導した柏木三樹に弟子入りしてしまった。
入門した2014年11月、安井はブログをスタートしている。その1本目のタイトルは「フィットネスビキニ大会優勝への道」。
優勝を目指すならプロセスを記録するようにコーチの柏木から言われて始めたブログは、現在も続いているが、とにかくよく登場するのが食べ物の写真だ。トレーニングと同じくらい頻繁に肉の写真がアップされている。
柏木の指導のもと、オフシーズンはしっかりと食べる。トレーニング後に300グラムの赤身ステーキを食べることもよくある。
筋トレとバランスのとれた食事の組み合わせで、徐々に身体は引き締まり大きくなり、筋肉で覆われていく。
地道なトレーニングの日々だが、安井がコーチに感謝しながら「やるかやらないか」だと自分を奮い立たせるブログには、憧れの選手の画像が貼られていた。
安井友梨オフィシャルブログよりキャプチャ
大会前の4カ月は減量シーズンだ。
タンパク質摂取量を保ったまま、筋肉は落とさず、脂肪を落とす食事とトレーニングで追い込んでいく。体脂肪率を25%から10%まで絞り込むほどに激しいトレーニングだ。
ブログには、自身を叱咤する言葉が頻出する。例えば、減量10日目のブログではこんな言葉を紹介している。
「自分に打ち勝て。どんな条件も言い訳にならない」
そして「今の私の心にじ〜んと響きました。頑張ろう」と絵文字つきで締めくくっている。
安井は驚くほど素直にコーチの指導を吸収していく。そしてブログには感謝の言葉を書き連ね、10カ月後、初出場の大会で日本一になってしまった。
(敬称略・第3回につづく)
(文・三宅玲子、写真・岡田晃奈)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。