安井友梨(36)の勤める外資系銀行は、日本で唯一のオセアニア系リテール銀行だ。日本では数少ない個人顧客向けの外資系銀行として、日本の金融機関とは異なる視点に立った独自のアドバイス提供を強みとする。オーストラリアまたはニュージーランドへの移住、不動産購入、ビジネス展開などを検討する顧客には、独自のネットワークを通じたインサイトとコネクションによってサポートを行う。
安井は個人資産家向けに資産運用のサービス提供を主な業務とする部署に所属する。出身地である名古屋を中心に、中部と北陸エリアを担当している。名古屋の顧客は約300人。企業経営者や医療法人経営者の預金のオーストラリアドルやニュージーランドドルで利回りの高い運用を提案する。
新卒で就職した日系の証券会社とは社風が異なるという。安井は次のように説明した。
「オーストラリアの牧場みたいな感じなんです。商品ごとの目標は問われませんし、オーストラリア・ニュージーランドにわたる高い専門性を強みに、カスタマーファーストで顧客の多様なニーズに合わせて比較的自分の裁量で商品設計ができます。これは自分に合っていると思いました」
だが、必ずしも知名度が高いとは言えない金融機関のため新規客を獲得するのは容易ではない。
「新規顧客開拓では1000件アタックしてようやく契約をいただける世界です。当行をご存じないお客様には何年がかりでアプローチします。当行のことをしっかり知っていただいてから初めて商品の紹介を始める、そこは丁寧にステップを踏んでお話しします」
ビジネスではオンラインコミュニケーションが当たり前となったが、安井は手書きの手紙を書くところからアプローチを始める。担当する中部地区では、東京や大阪に比べて銀行の知名度は低く、その分、新規営業のハードルは高い。そこでは名古屋の生まれ育ちで名古屋の大学を出たという安井のバックグラウンドはプラスに働く。
「とりあえずやってみよう」で契約件数も飛躍
アフターファイブは19時から都内のゴールドジムでトレーニングに励む。
こうした銀行での仕事にビキニフィットネスの経験が生かされていると安井は言う。
「以前はちょっと考えて、やっぱりやめておこう、と諦めてしまうところがありました。それが、今では相手がどう思うだろうかとか、うまくいかないかもしれない、といったことは考えずに常に見切り発車で、とりあえずやってみよう、という風に自分の仕事に対する姿勢が積極的なものに変わりました」
初出場のビキニフィットネス選手権大会で優勝した年、安井は31歳。外資系銀行名古屋出張所に勤務して5年になる頃だ。
「トレーニングでは昨日できなかったことが今日はできた、の繰り返しです。1カ月後には、100キロのバーベルを持ち上げられるようになっている、といった自分の進化を実感することができます。この“私もできる”という実感を自信に変えていくうちに、仕事はもちろん、人生への向き合い方そのものも変わりました」
見切り発車で積極的に仕事に取り組むようになったところ、契約件数は飛躍的に伸びた。ビキニフィットネス選手権大会で初優勝した同時期から4年連続成績優秀者として表彰された。2018年には異動の辞令を受け、東京支店の勤務になった。
同僚や上司への恩返しは仕事の成果で
多忙な安井はお風呂でブログを書くこともあると言う。
Peter Muller / Getty images
仕事とトレーニングの両方で結果を出すために、安井は限られた時間をどのように使い分けているのだろう。
お風呂に入りながらブログを書いたり英会話のリスニングをしたり、ストレッチをしながらセミナーで使う資料をチェックしたり、同時に二つのことをやるのは習慣化しているという。
仕事では、週のはじめに、やるべき仕事を全て書き出し、その日に終わらせるべき仕事は絶対に取りこぼさないと決めている。18時過ぎには丸の内の会社を出てトレーニングに向かう。時間が足りないことはないのだろうか。
「今日のことは今日のうちにと決めてしまえば、だんだん翌日に回す業務は少なくなっていきますし、翌日の予定の仕事まで先取りで着手できるようにさえなります。これは習慣です。それに、仕事では絶対に結果を出さないといけないので、自ずとそうなっていきます」
なぜ、安井は仕事でも自身を追い込むのか。
もともと安井はビキニフィットネスのことを会社には内緒にしていた。仕事とは切り離した趣味として打ち込んでいた。ところが、あるとき同僚が安井のブログを見つけたことから会社中に知れ渡り、同僚たちが応援してくれるようになった。
「シーズン中は国内外での競技大会のために、1週間単位で何回もお休みをいただくことになってしまうのですが、その度に同僚や上司が快く送り出してくれて、私のクライアントのフォローをしてくれることに感謝しています。サポートいただいている恩を返すためには仕事で成果をあげようという気持ちが強くなりました。365日を通して常に『恩返ししなきゃ』という気持ちがあるので、自分から前に出て行こうとなっていくんです」
仕事ではうまくいかないことも多い。失敗することもある。だが、バッターボックスに立たない限り失敗さえできない。難しいことにチャレンジすることができたから失敗もしたのだと、むしろ失敗を喜ぶようになった。
トレーニングで味わう筋肉痛は筋肉の成長のサインだ。同様に、仕事での失敗はまだ自分には成長する可能性があると受け止められるのだという。
「お相撲で言えば、7敗してもいいと思ってます。ただ、8勝することが大事。1つでもいいから勝ち越すことを繰り返していくうちに、失敗しても立ち直りが早くなりました。まだ失敗できる自分を喜び、決して立ち止まらず、昨日より一歩前へ進もうと思えます」
(敬称略・第4回につづく)
(文・三宅玲子、写真・岡田晃奈、撮影協力・ゴールドジム)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。