「地図はすぐに古くなる。でも、真北を常に指すコンパスさえあれば、どんな変化にも惑わされず、自分の選択に迷うこともない」
独立研究家の山口周さんはそう語ります。そんな山口さんとさまざまな分野の識者が対話。自分の“思考のコンパス”を手に入れ、迷ったときに一歩を踏み出すためのヒントをお届けします。
第2回目の対談相手は、教育者・哲学研究者の近内悠太さん。3月に刊行した初の著作『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』が、第29回山本七平賞の奨励賞を受賞するなど話題となっています。本書をもとに「資本主義社会をより健全なものにする仕組みは何か」について話します。
——近内さんのデビュー作『世界は贈与でできている』は、世界や人をつき動かす原動力について、「贈与」という、何かを贈り贈られることで、人と人がつながる現象の観点から紐解いたものです。山口さんは、本書にどんな感想を持ちましたか?
山口周氏(以下、山口):贈与という言葉は、すでに古いというか難解というか、一般の人にはなじみが薄いものになっています。贈与というとまず思い浮かぶのは、フランスの文化人類学者、マルセル・モースの『贈与論』ですよね。
贈与論はいわば「行きすぎた資本主義社会を、贈与というお金に変えられない仕組みでどう改善するか」を提唱した論説で、近内さんはここからも発想を得たと思いますが、贈与論はそもそも非常に抽象的で難解。普通ならこのテーマやタイトルで本が売れると思わない。何か勝算があったのですか?
近内悠太氏(以下、近内):担当の編集者が今そこにいるので、「お前、そんなこと考えてたのか?」と言われちゃうかもですが(笑)、実際に今、売れている作品は僕から言わせると全部、贈与論的なものが多い。だから、方向性やキーワードとして間違ってはいないかなという思いは多少ありました。
山口:全部、贈与論的? どういうことでしょう?
売れている漫画の共通点は“贈与”にある
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近内:僕がこの本を書き始めたのは2016年なんですが、その年の漫画売り上げランキングトップ3は『ONE PIECE』『暗殺教室』『キングダム』でした。僕の中では、この3作品はすべて「自分が受け取ったもの(贈り物)を、どうやって次の誰かにつなぐか(贈るか)」という物語です。
最近でいうと『鬼滅の刃』もそう。「あの漫画は全くマッチョではない」「弱さというものがベースにある」というツイートを見て、ものすごく気になって読んでみたんです。
すると、まさに贈与の物語だった。弱さを超えて力を本領発揮するクライマックスシーンで「あの時、こういうひと言を言われていたんだ。贈られていたんだ」という気づきにより力を得て、つまり“受け取って”、技が大きく変化し、敵も変化する。
「なぜ鬼になってしまったのか」が語られ、最後に自分や周囲と出会い直して「私は受け取っていたんだ」と気づいて成仏する、救われていく。こういうものが売れるのであれば、贈与は今世界を語るキーワードかもしれないなと思いました。
『暗殺教室』も贈与の物語をわかりやすく含んでいて、主人公の殺せんせーは特殊な能力を持った人物です。生徒にさまざまな知識や力を与える・贈る訳ですが、実はその前に殺せんせーに“渡した人”がいて、殺せんせーもまた贈られていたんです。
しかも、殺せんせーの、「私は受け取っていたんだ。でも、それをうまくつなぐことができなかった」という“負い目”が、不合理なまでに誰かに何かを差し出そうとする行為につながっている。この負い目を感じる、だからこそ誰かに贈ろうとするという点が大事で、僕にはとりわけ贈与的だなと思えるんですね。こういう贈与の要素が、今、売れている漫画にはあります。
山口:社会の中でそれが今欠けているから売れているのか。あるいは贈与の重要性が認識されるようになったから、売れているのか。どちらなんでしょうか。
近内:どちらかと言えば、ユートピアをそこに見ていると思います。そういう世界への憧れの側面のほうが強いのかなという気はしますね。
山口:普通は贈与というと、お土産とかプレゼント交換などを想像するでしょう。あるいは何らかのバラマキなども贈与だと思うかもしれません。
でも、そもそもモースが定義した贈与はちょっと違いますよね。モースはポトラッチなどを例に「必ず返礼の義務のあるのが贈与だ」としています。一方で、近内さんの言う贈与は、モースの定義するこの贈与とも違いますね?
近内:はい。そうですね。
時制のズレのある贈与こそ人をつなげる
——ポトラッチとは北米の北西部沿岸の先住民の儀式のことですね。部族の酋長が互いに贈り物を交換し、その量を名誉をかけて競い合う。贈られた側は、同等かそれ以上の物を返せない場合、相手に従属しなければならず、贈与や受け取りを拒否することは、戦いを宣言したのと同じ意味になるからできないという縛りもあります。
つまりこうした「贈与」には集団間の争いを防ぐ効果があると言われていて、モースはこの贈与の仕組みを資本主義社会に取り入れて、社会をより良いものにできないかと考えたんですよね?
近内:贈与にはモースの言うように、お金との「交換」が先に立ちがちな資本主義社会をより良いものにする側面があるとは僕も思います。でも、贈与をモースの言葉のままに単純に引用・解釈すると、すごく平坦というか、その意味するところが誤解されて伝わりがちなんですよね。
例えば、臓器提供の登録などです。臓器提供もある種の善意の贈与かもしれませんが、だからといって臓器提供の登録を「贈与だから」「良いことだから」と全員の義務にしたり、縛りを入れて強制したら、どうなるか。臓器提供者としてのみ生きる運命の人(クローン)を育てる社会を描いた小説『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)のようなディストピアを容易に呼び起こしてしまうのではないか。そういう恐れを僕は感じます。
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だから僕の解釈では、贈与とはそういう強制や義務的なところがないもの。『世界は贈与でできている』の中でも紹介した本『ビジネスパーソンが介護離職してはいけないこれだけの理由』(酒井穣)に登場する、毎日16時に徘徊する認知症のお母様のエピソードで語られているようなものなんです。
お母様が認知症で16時に必ず外に出て行こうとして、介護離職寸前まで悩まされていた息子さんがいた。でも16時とは毎日、母親が幼い頃のその息子を幼稚園に迎えに行っていた時間だった。それを知ったことで、解決策も見つかり、息子は16時になるとむしろ幸せを感じるようになったというエピソードです。
『鬼滅の刃』と同じで、自分が受け取っていたことに遅れて気づいた。この「遅れてしまった」「私は出遅れた」「もう返礼できない」という思いが罪の意識、負い目となり、新たな誰かへの贈与を強く促すことになる。こうした時制のずれがある贈与こそが、人と人をつなげる。世の中をより良いものにする効果のある贈与なんじゃないかと思うんです。
山口:近内さんが今挙げられたのは非常に透明度の高い、贈与ですよね。21世紀の公平社会を回していく原理としての贈与というか。
一方で贈与は、取り扱いを間違えるとまさに格差を生む気もします。要はお前は贈与をどれだけできるのかという、贈与できる力の格差です。
ポトラッチ的な競争につながってしまい、贈与される力の格差も生まれてしまう。贈与できる力のある人は、贈与されやすくもなるからです。贈与ではなく、交換が起こってしまう。これまでの資本主義社会では、まさにこうした贈与の悪しき点が出ていたのでは?
近内:そうですね。それはまさにそうだと思います。
接待はポトラッチ的贈与
山口:僕はもともと広告会社にいたのですが、ポトラッチ的贈与というと思い出すものがあります。接待です。長時間労働の問題やコロナもあり、夜の飲み会や接待は自粛モードにあると思いますが、有名なイベントで、年賀会というのを1月の上旬にだいたい帝国ホテルの大広間でやるんです。
ものすごい高級なシャンパンや日本酒が飲み放題で、獅子舞などの出し物も人間国宝みたいな人が出てやる。無論、お料理も超一流のシェフが作ってくれて、全部タダ。こういう場に呼ばれるということは、財界人としてのステータスになる。でも、考えてみると、まさにポトラッチそのものですよね。
ライバル会社とどれだけ金を使って無駄なことに贅をこらすかを争い、招かれた経営者に「贈与されてしまった感」を植えつける。後日「今回の大型プロジェクトはぜひうちに」と言われた時に、この贈与されてしまった感が非常に効く訳です。
近内:僕も今、思ったことがあります。贈与というのは良くも悪くもやはり共同体を作る力、人をつなぐ力があるんだということです。その帝国ホテルでのポトラッチは、つまり「お前はうちの村の人間だぞ」「うちの村はすげえんだぞ」という「お前は仲間だ。出ていくんじゃねえぞ」というものですよね?
それでさらにちょっと思い出したのが、マルクスの言葉です。マルクスは「商品交換の終わるところで、共同体が終わる」といったことを言っているのですが、まさにこの新年会を思い起こさせますね。
より正確にはマルクスは「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる」と言っています。
要約すると「共同体の終わるところで、商品交換が始まる」、裏を返せば「共同体の内部には商品交換が無い(=贈与がある)」といったことを指摘していました。
(後編が明日に続く)
(構成・三木いずみ、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。主な著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』など。
近内悠太:1985年生まれ。教育者・哲学研究者。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。『世界は贈与でできている』はデビュー著作。