撮影:今村拓馬、イラスト:Singleline/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
今回は、始業前に社員同士でラジオ体操をしているというスタートアップの事例を皮切りに、昭和の時代に企業でよく見られた慣習の意外な効果について入山先生が考察します。
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ラジオ体操、社員旅行……昭和の慣習にも意味がある
こんにちは、入山章栄です。
なかなか収束しない新型コロナウイルス。2020年の春以来、感染防止対策のための在宅勤務がその後も継続中という企業も多いと思います。Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんも在宅ワークが中心のようです。
スタートアップがラジオ体操をしているとは意外ですが、これは面白いところに目をつけましたね。実は昭和の会社の慣習には、経営理論を思考の軸にすると、意味のありそうなものも少なくないのです。
日本企業がイノベーションを起こす上で、僕が重要と思っている理論の一つが「トランザクティブ・メモリー」です。連載第12回でも触れましたが、改めて説明しましょう。
これからの変化の激しい時代、会社は新しい価値、すなわちイノベーションを生まないかぎり生き残っていけません。では新しい価値はどんなときに生み出されるかというと、何度もこの連載でお話ししているように、「既存の知と知が新しく組み合わされたとき」です。離れたところにある新しい知を取ってきて、すでにある知と組み合わせるから新しいアイデアが生まれる。
ということは、会社組織というのは多様な人がいて、多様な知があるからこそ価値があるとも言えます。
いま多くの企業の間で叫ばれている「ダイバーシティ」は、だから重要なのですが、多様な人がいるだけでは不十分です。多様な人たちの間で知と知を組み合わせなければ、新しい知は生まれないからです。
したがって、組織におけるいわゆる「情報の共有」がポイントになります。しかし、組織が大きくなると、全員が同じ情報を共有するのは難しくなってくる。
そこで重要になるのがトランザクティブ・メモリーです。
それは、大事なのは「組織の全員が同じことを知っている」ことではなくて、「組織の中の誰ならどういうことを知っていそうかが、見当がついている」ことです。英語で言うと“What”そのものよりも、“Who knows what”が組織に浸透するのが重要だ、というのがトランザクティブ・メモリーの考え方です。
組織の全員がすべて同じことを覚えることはできません。でも、「こういうことは彼女に聞けばいい」とか、「彼は〇〇の専門家だったよな」というぐらいなら誰でも覚えられる。僕はこれを「知のインデックスカード」と呼んでいます。トランザクティブ・メモリーのレベルが高い組織はパフォーマンスが高いという研究結果も、経営学にはあります。
「独身寮」の意外な効用
独身寮はトランザクティブ・メモリーを高めるうえで重要な役割を果たしているという。
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では、どうすればトランザクティブ・メモリーを高められるか。これもいろいろな研究がありますが、やはり「顔と顔を突き合わせるコミュニケーション」が重要である可能性が、これまでの多くの実証研究で示されているのです(もしかしたらウェブ会議などデジタルのコミュニケーションでも、トランザクティブ・メモリーは高められるのかもしれませんが、今のところそこまで研究は進んでいません)。
したがって会社の中で人と人は部署を超えて、なるべく顔を合わせてどんどん話をしたほうがいいのです。しかし、効率を最優先しすぎたり、仕事の専門性が高くなると、同じ会社でも仕事上の接点がない人とはあまり話をしなくなります。そうなると、「あの人はこのことに詳しい」という情報が、だんだん組織から失われていってしまいます。
その意味で最近僕が気になるのが、大手の総合商社です。総合商社にもいろいろなタイプがありますが、その強みはいろいろな事業を複数展開していることでしょう。資源もやればプラントもやるし、ITもやればコンビニもアパレルもやる。多様なことをやっているからこそ、商社内で新しい知と知の組み合わせが生まれるはずなのです。
実際、昔の商社では、いろいろな事業に携わる人たちが顔を合わせてコミュニケーションする機会が豊富にありました。最たる例が独身寮です。
昔の商社を知る方によれば、同じ寮で寝起きを共にしていると、部署や部門に関係なく家族のように親しくなるそうです。やがて独身の社員も結婚して寮を出たり、辞令とともに世界中に散っていくのだけれど、仕事で何か聞きたいことが出てくると、独身寮で一緒だった人に問い合わせるというのです。こういうことができるのが、総合商社の強さの源泉だった可能性があります。
ところが最近、一部の総合商社では部署を超えたコミュニケーションが極端に減り、お互い何をやっているか、よく分からなくなってきているようです。だとすると、それは商社の強みを放棄している可能性があるのです。
逆に、面白いことを仕掛けているのが、いま最も元気な総合商社と言っていいであろう、伊藤忠商事です。
伊藤忠はコロナ前から「朝活セミナー」というものを始めています。岡藤正弘社長が働き方改革を進めて、「みんな夕方に帰って、家族で晩ご飯を食べなさい」といって残業を禁止した。
朝活セミナーに登壇した入山先生は、講演が終わった後にこそこの取り組みのポイントがあると気づいたという(写真はイメージです)。
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その代わり、皆さん朝早く出社するようになったので、その時間を利用して、豪華なゲストを呼んで全社勉強会をするようになったのです。これまでに、脳科学者の茂木健一郎さんや将棋の羽生善治さんなどが招かれています。
「豪華なゲスト」の一人とは言えませんが、実はかくいう僕も以前、朝活セミナーに呼んでいただいて講演したことがあります。伊藤忠の青山本社には大きなホールがあって、伊藤忠の関連会社であるファミリーマートのサンドイッチなどが置いてあり、それを全社員が自由に食べながら講演を聞いていい。とても和気あいあいとした雰囲気でした。
僕がそこで思ったのは、もちろん茂木さんや羽生さんの話を聞くのもすごく勉強になるけれど、「ポイントは講演が終わった後にある」ということです。
講演が終われば知り合いと顔を合わせて、「おお、久しぶり。最近何やってるの?」と旧交を温めることができる。こういう顔を合わせたコミュニケーションが“Who knows what”をキープする源泉になっているのではないでしょうか。
そう考えてくると、ラジオ体操にも意味がある可能性は、もうお分かりでしょう。
昔の企業は、社内の広いスペースに社員が集合して、ラジオ体操に合わせて体を動かしていた。そして体操が終わると、「おつかれ」と言いながら、「お前、今日どうするの」「ねえ、あの会社の仕事どうなった?」などと言葉を交わしながらそれぞれの職場に戻っていった。
ラジオ体操であれBBQであれ、社員同士が集まる口実は何でもかまわない。コミュニケーションの機会を増やすことが大切だ。
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同じような効果は運動会や社員旅行にもあるはずです。ただ、ラジオ体操や、会社の運動会や社員旅行というのは、もしかしたらそれ自体がちょっと古臭いという人もいるかもしれません。会社に強制されて参加するのは嫌だ、という人もいるでしょう。
だとしたら、それに代わる仕組みを入れればいい。運動会は遠慮したくても、バーベキュー大会なら家族を連れて参加するかもしれません。ラジオ体操が嫌ななら、社員全員が集まれるカフェスペースがあってもいいかもしれない。
要するに集まる口実は何でもいいのです。大切なのはコミュニケーションの機会を増やすこと。皆さんの会社でも、今の時代に即したトランザクティブ・メモリーの高め方を工夫してみてはいかがでしょうか。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
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この連載について
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理します。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか? 参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。