前回までで、日本テレビホールディングス(以下、日テレ)が2021年3月期第2四半期に57億円もの赤字を計上した主な原因は子会社であるティップネスの業績不振であること、そこに「のれん」という勘定科目が関係していることを見てきました。
のれんとは、プレミアムを上乗せして購入した株式の価値の一部のこと。日テレの貸借対照表(B/S)にのれんが計上されているということは、日テレはティップネスの純資産の時価にプレミアムを上乗せして買収したということです。
では、日テレは実際のところ、ティップネス買収にどのくらいの対価を支払ったのでしょうか?
日テレはティップネス買収にいくら支払ったのか
日テレは2014年12月にティップネスの株式を244億円で取得し、図表1のとおり無形固定資産を貸借対照表(B/S)に計上しました。
(出所)日本テレビホールディングス 2015年3月期有価証券報告書より筆者作成。
2013年12月期時点でのティップネスの純資産は54億円でしたが、2015年3月期の有価証券報告書では図表1にあるとおり234億円の無形固定資産が計上されています(※1)。うち、のれんは127億円、それ以外の商標権等は107億円にのぼります。これは、ティップネスのB/Sにおける純資産が時価評価されたためです。
日テレによる買収金額は244億円。対して、同社のB/Sに計上された無形固定資産の合計234億円。このように、買収金額の大半が無形固定資産に相当します。「無形」というだけあって物理的には何も存在していませんが、ティップネスが有する知名度や会員数といった見えない資産に対して、買収当時の日テレはそれだけの価値を見込んでいたということです。
ティップネス事業の悪化が招いた減損損失
無形資産の扱いは、採用する会計基準によって異なります。日テレが採用する日本会計基準では、無形固定資産の超過収益力がどのくらい維持されるかを見積もったうえで、20年以内の期間内に償却することが求められます。
例えば、ティップネスののれんは16年償却です。当初は127億円だったので、毎年約8億ずつ償却されていき、16年後にのれんは0になるという仕組みです(※2)。
(出所)日本テレビホールディングス 2015年3月期有価証券報告書より筆者作成。
ただしB/Sに記載されている固定資産は、その価値が著しく下落した場合には無形固定資産であっても「減損損失」を計上しなければいけません(※3)。
さて、2015年3月時点での日テレの無形固定資産は合計281億円でした。このうちの多くはティップネスに関する無形固定資産です。
その2年後の2017年3月には、日テレの連結子会社である日本テレビ音楽がアンパンマンこどもミュージアム等を運営する株式会社AMCの株式等を取得し、その他無形固定資産86億円を追加計上しました。
このような背景から、のれんなど無形固定資産の償却が進んでいたとはいえ、2020年3月期においても日テレの無形固定資産は279億円も残っていました。
コロナ禍が襲ってきたのは、そのようなときです。
この未曾有の事態による休業要請や外出自粛の影響で、フィットネスクラブ業界は軒並み会員数を減らしました。もちろん、日テレ子会社のティップネスも例外ではありません。結果、日テレの生活・健康関連事業は大幅な赤字を計上するに至りました(図表4)。
(出所)日本テレビホールディングス 2021年3月期第2四半期 四半期報告書より筆者作成。
このような環境では、さすがの業界大手のティップネスといえども、2014年に日テレに買収されたときのような超過収益力を維持することは困難です。顧客関連資産という無形固定資産にも価値は見出せません。
これはまさに、先ほどお話しした「固定資産の価値が著しく下落した場合には減損損失を計上しなければいけない」ケースに該当します。結果、日テレは2020年9月、ティップネスに関連する有形無形の固定資産で、合計164億円もの減損損失を計上することになってしまいました。
(出所)日本テレビホールディングス 2021年3月期第2四半期 四半期報告書より筆者作成。
なぜ日テレはティップネスを買収したのか?
ここまで、コロナ禍で大打撃を受けたティップネスに起因して、日テレが2020年度第2四半期に164億円もの特別損失を計上した経緯を追ってきました。
でも気になりませんか? そもそもなぜ日テレは、ティップネスをこれほどの高値で買収したのでしょうか。
遡ること8年前の2012年10月。このとき発表された「中期経営計画Next60」(※4)において、日テレは「“豊かな時を提供する企業”として人々から常に愛される存在となっている!」を目標として掲げました。
この中期経営計画の取り組みのひとつとして挙げられていたのが、「500億円の原資をベースにした投資及び新規事業開発」です。この新規事業を通じて、日テレは事業ポートフォリオの多角化を目指しました。そのひとつがティップネスへの244億円の投資だったのです。
ティップネスを買収して完全子会社化することで、そのリアル店舗をはじめ、これまで日テレのグループが持っていなかった生活者との新たな「コンタクトポイント」が生まれるはず——それが日テレの思惑でした。
日テレは新たにティップネスを中心に据えた「生活・健康関連事業」を設立し、BtoCビジネス推進のフラッグシップとして、また第2の収益の柱として位置づけました。
高齢化と社会保障費の抑制が進む日本では、今後ますます健康意識が高まってくることが予想されます。実際、マラソンなどの市民スポーツの人気は高まり、2020年には東京五輪もやってくるはずでした。
それだけではありません。日テレとしては、既存事業とのシナジーがあるとも考えました。日テレの強みであるスポーツコンテンツ関連のノウハウも活用できるでしょう。それに、新たに取り組むフィットネスクラブ事業も、日テレがこれまで行ってきた番組制作等も、どちらも生活者の満足度を高めることを追求するクリエイティブが重要である点は共通しています。
日テレの「生活・健康関連事業」への進出には、このような壮大なビジョンがあったのです。
のれんは企業のアキレス腱か
しかし、2020年に突如発生したコロナ禍により事業環境は急速に悪化。ティップネスの不振により、日テレは第2四半期において164億円もの特別損失を計上しました。この損失は、コロナ禍でもなんとか稼いできた経常利益115億円(昨年同期比−46%)を一気に吹っ飛ばしてしまうほどの規模です。
これだけの損失を出すと、気になるのは経営への影響です。これがもとで日テレの経営が傾いてしまうようなことはあるのでしょうか?
のれんの減損による損失は確かに痛いですが、固定資産の減損にはある特徴があります。それは「キャッシュアウトしない損失」ということです。
減損損失とは固定資産の価値が目減りしたことで計上する損失です。あくまで「過去に投資した分を回収できない」というだけであって、現時点ですぐにキャッシュが減ってしまう類のものではありません。
実際、日テレのキャッシュフロー計算書を見てみると、コロナ対策もあって多額の減損損失を計上してはいるものの、資金繰り的にはむしろキャッシュを手厚くしています(図表6)。
(出所)日本テレビホールディングス 2021年3月期第2四半期 四半期報告書より筆者作成。
減損損失での損失は、将来得られるキャッシュが減るといった意味では確かに手痛いですが、すぐに手元資金が枯渇するような損失ではありません。
また今回、ティップネス事業の将来のキャッシュフローの悪化を織り込んで一気にのれん等の無形固定資産を損失計上したことで、これまで毎期計上してきた償却費18億円弱は、今後いっさい発生しなくなります。
もちろん、だからといって万事問題なしというわけでは当然ありません。減損損失を計上することで純資産が毀損し、自己資本比率等の財務指標が悪化するのは憂慮すべき事態です(※5)。
なにより、純資産(時価評価後)を超える価格でティップネスを買収したにもかかわらず結局のれんをすべて減損させてしまったことは、結果的に高値掴みをしたことになりますから、現時点では「この投資は必ずしも良いものではなかった」という評価になるでしょう。
実際、日テレの生活・健康関連事業は2018年3月以降は減収減益が続いており、コロナの影響が出始めた2020年3月期においては6.9億円の赤字。この時点ですでに厳しい兆候が出ていましたが、2021年3月期第2四半期決算で、フィットネスクラブ事業の今後の見通しの厳しさが白日のもとに晒された格好となりました。
(出所)日本テレビホールディングス 2016年3月期から2020年3月期までの有価証券報告書をもとに筆者作成。
VUCAの時代を日テレはどう攻略するか
今回は、“視聴率三冠王”の日テレが今期第2四半期に赤字に転落してしまった理由を、「のれん」に注目して解説してきました。
のれんの減損損失の理由は、一言で言ってしまえば新規事業への投資の失敗によるもの。これだけを見れば、「この投資はしないほうがよかった」という見方もあるでしょう。
しかし、現在のテレビの広告市場は年々縮小してきており、ついにはインターネット広告市場に追い抜かれてしまいました(図表8)。この状況を考えると、新規事業は緊急かつ重要な投資だったことは間違いありません。
(出所)電通「2019年 日本の広告費」2020年3月11日。
すでにテレビ広告で大きなプレゼンスを持っているテレビ業界において、成長しているウェブ業界に注力することは、そう簡単なことではありません。
旧時代の勝ち組企業は、勝ち組だったがゆえにカニバリゼーション(共食い)を恐れて新時代への対応スピードが遅れてしまうことがあります。いわゆる「イノベーターのジレンマ」です。
いまテレビ業界では、若者のテレビ視聴時間が減る一方で、YouTube、Amazon Prime、Netflix(ネットフリックス)といった新興の動画サービスがぐんぐん視聴時間を伸ばしています。いよいよ日本のテレビ局も、GAFAたちとガチンコで戦うフェーズに来ているのです。
来たるべき新たな戦いを見越して、日テレはHuluの日本事業を買収しました。テレビ朝日はサイバーエージェントと組んでAbemaTVを、フジテレビはFOD(フジテレビオンデマンド)を立ち上げています。TBSはNewsPicksを運営するユーザベースに出資したり、テレビ東京と組んでParaviの運営を始めました。
とはいえ、こうした取り組みはテレビ広告でつくり上げてきた既存のビジネスモデルを壊す可能性もあるので、どのくらい踏み込むべきかは難しい判断と言えます。
その点フィットネスクラブはどうでしょう。自社のコンテンツを生かしつつ、イノベーターのジレンマを起こす恐れも少ないこの市場に参入を決めた日テレの目の付けどころ自体は、それほど悪くはなかったのかもしれません。
問題は、ティップネスの買収価格(244億円)が高すぎたことです。当時のティップネスの当期純利益は6.7億円でしたから、実績PER(Price Earning Ratio:株価収益率)は36倍。ルネサンスなど競合となる他のフィットネスクラブのPERが当時9〜17倍前後であったことを考えると、さすがに高値だったと言えます。
さらに、フィットネスクラブ特有の事業構造にも注意が必要です。
フィットネスクラブは1店舗あたりの会員数に天井があることから、店舗を増やすという成長戦略が必然的に求められます。また、フィットネスクラブ業界は新旧の競合ひしめくマーケットです。このレッドオーシャンの海を泳ぎ切る必要があることを考えると、たとえコロナ禍がなくても新規事業の舵取りの難しさを実感せざるを得ません。
当たり前ですが、M&Aは買収したら終わりではありません。買収した後に成長し続けることの方が、はるかに重要で難しい。M&Aがうまくいかなければ、今回のティップネスのように「のれん」の減損という形になって表れ、場合によっては既存事業の利益を吹っ飛ばすほどの負のインパクトを与えるからです。
VUCAの時代における企業には、政治、経済、社会、テクノロジーの変化に合わせて今まで以上に変革が求められます。その際には、コアの強みを生かしつつ新規事業を展開する必要があります。
今後、日テレはどのような立ち直り策を講じるのか——熾烈な戦いのただ中にある“視聴率三冠王”の次の一手に期待したいところです。
※1 日本テレビホールディングス株式会社2014年度有価証券報告書p73,74
※2 他方、国際会計基準と米国会計基準には償却という概念は存在しません。つまり無形固定資産は償却のように時間の経過では目減りせずにB/Sに計上され続けます。ただし、無形資産の価値が著しく低下した場合には減損処理を行うことになっています。
※3 実際の減損処理では、DCF法(連載第22回を参照)等を用い、将来のキャッシュフローを予想したうえで、現在の価値に割り戻した時にどのくらいの価値があるかを計算します。
※4 「日本テレビグループ中期経営計画2012→2015 Next60」
※5 例えば買収資金を全額自己資金で賄った場合は、のれん等の無形固定資産を減損したとしても、過去に投資したキャッシュが戻ってこなくなるだけで済みます。しかし、仮に買収資金を金融機関から借り入れた場合は悲惨です。借入れを通じて買収を行うと、当初のB/Sでは、資産の部にはのれん等の無形固定資産が、負債の部には借入金が計上されます。しかしのれん等の無形固定資産が全額減損になれば、資産の部には何も残らず、負債の部の借入金だけが残ることになり、自己資本比率等の財務の健全性指標の悪化は必至です。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:1980年生まれ。経済学研究科の大学院を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして大手企業や地方の新規事業の開発及び起業の支援等をしている。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も実施している。