撮影:今村拓馬、イラスト:ann1911/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
日本の都心ではオフィス空室率が8カ月連続で悪化しています。一方、アメリカではフェイスブック、アマゾン、IBMなどが一等地に巨大オフィスの賃貸契約を結んでいるというニュースも。これからの「オフィスのかたち」とは? 入山先生が考察します。
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「とりあえず毎朝出勤」の時代は終了
こんにちは、入山章栄です。
12月に入り、コロナ一色だった2020年もそろそろ終わりに近づいてきました。Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは、何か気になるニュースがあるようです。
アマゾンもフェイスブックも新たにオフィスを構えたのはニューヨークの一等地で、しかもかなり広い。IBMはニューヨークにある9カ所の拠点を統合する狙いもありますが、なんと東京ドーム1個分に相当する面積の土地を探しているといいます。
一方の日本は、むしろオフィスの使用量を見直す企業が多い。なぜ日米でこれだけ対照的な現象が起きているのでしょうか。
この状況を理解するには、「人間が仕事上のコミュニケーションに何を望むか」という根源までさかのぼって考える必要があるのではないでしょうか。
最近、日経クロステックというデジタルメディアの副編集長の島津翔さんが、『さよならオフィス』という本を出版されました。コロナ禍でオフィス不要論が出ているけれど、実際のところはどうなのか。コロナの前からオフィスを持たない会社や、コロナを契機にオフィスを廃止した会社などを取材して、現在のオフィスにまつわる最前線をリポートした本です。
この本によれば、リモートでも仕事できることが証明された今、オフィスを縮小したり廃止したりする会社は増えています。しかし興味深いのは、コロナ前から、そもそもオフィスを持たない会社も出てきていたという事実です。例えば、孫泰蔵さんのMistletoe(ミスルトウ)という会社はコロナ前からオフィスがありません。そのほうが世界中の優秀な才能を採れるというのです。
このような状況ですので、オフィスを持つにはおそらく「意味」が重要です。もはや何も考えず、毎朝決まった時間に通勤電車に乗って、とりあえず会社に行くという時代は終了していくでしょうね。
オフィスが不可欠になるのはどんな仕事?
しかしオフィスが完全に不要になるわけではありません。繰り返しですが、ポイントはオフィスの意味を見直すことです。例えば島津さんは『さよならオフィス』の中で、仕事の内容を4つに分けています。
分け方は2つ。「クリエイティブか/ルーチンか」「1人でやるか/チームでやるか」。これを組み合わせると、A~Dの4象限に分けられます。
- A:チームでやるクリエイティブな作業(ブレスト、企画会議、雑談など)
- B:1人でやるクリエイティブな作業(資料作成など)
- C:1人でやるルーチンワーク(日々のメール、チャット、Web会議など)
- D:チームでやるルーチンワーク(朝礼、単純な報告会、評価面談など)
おそらくこれからオフィスを必要とするのは、Aの部分だろうと島津さんは主張します。残りのB~Dは濃淡はあれど、ほぼデジタルでできると。かくいう僕も、島津さんの指摘の通りだと思います。Aの部分は、時にデジタルを超えた人間と人間の深いコミュニケーションが必要だからです。
ここで、『世界標準の経営理論』を思考の軸にしてみましょう。「クリエイティブとは何か」を考えた理論に、一橋大学の野中郁次郎先生の「知識創造理論」があります。私の『世界標準の経営理論』でも、第15章で紹介しています。この理論は簡単に言えば次のようなものです。
われわれ人間は言葉にできる「形式知」と、言葉にできない「暗黙知」を持っている。ただし形式知はほんの一部で、暗黙知のほうが圧倒的に豊かである。そして暗黙知と形式知を往復することで、新しいものを生み出すことができる。これは1人でもできるけれど、複数の人数で知と知をぶつけ合うとよい(できれば一対一が望ましい)。
(出所)野中郁次郎「組織的知識創造の新展開」(DIAMONDハーバード・ビジネス 1999年1-2月号)をもとに筆者作成。
でも暗黙知というのは言葉にならない感覚的なものなので、それをぶつけ合うには「共感性」を高める必要があります。そして共感のためには、人間と人間がリアルで会う場が効果的なことが多い。
以前この連載の第23回で、「人間の五感のうち、デジタルで伝えられるのは視覚と聴覚だけ」という話をしましたが、暗黙知をぶつけ合って共感を得るには、視覚と聴覚以外にも味覚、触覚、嗅覚が重要になるのではないかと僕は考えています。
例えば、立命館アジア太平洋大学学長の出口治朗さんは「これからのオフィスとか大学は、“ハグをする場所”になるんじゃないか」とおっしゃっていました。たしかに、本当に信頼関係を生みたいなら、デジタルで何時間もしゃべるより、握手をしたり、ハグをしたり、あるいはおいしいものを一緒に食べたりしたほうがいいかもしれない。あるいはライブ会場で一緒に音楽を楽しんで、一緒に跳んだり跳ねたりしたほうがいいかもしれない。
つまりデジタルコミュニケーションには今のところ、触覚、味覚、嗅覚に限界があるから、直接会って「五感を使う共感のコミュニケーション」の場としてのオフィスは、今後も必要だということです。
さらにもうひとつ、オフィスには重要な機能があります。それが偶発性(セレンディピティ)です。たまたま同じエレベーターに乗り合わせて世間話をする、というような偶然の出会いからクリエイティブなものは生まれる。したがってこれからのオフィスは、偶発性を高めていく必要があります。この連載や『世界標準の経営理論』で言えば、「知の探索」がそれにあたります。
フェイスブックやアマゾンやIBMは、クリエイティブなものを必要としているし、はっきり言って資金も潤沢にある。彼らがオフィスに少なからぬ額の投資をしたのは、オフィスや土地の値段が下がっている今のうちにいい物件を押さえておこう、ということでしょう。
彼らは経営理論は知らなくても、すでにそのようなことを考えているはずです。おそらく相当工夫を凝らしたオフィスを構想しているのではないでしょうか。
イノベーションが生まれる場所
フェイスブックやアマゾンがAの象限を重視しているのは確かですが、イノベーションというのは別にクリエイティブな領域からしか生まれないわけではありません。
例えばルーチンワークは、この連載でも何度も取り上げてきた「知の探索と知の深化」で言うところの「知の深化」に分類されますが、深化をやるからこそ逆に探索も出てくるわけです。つまり4象限のすべての領域においてメリハリをつけることが重要になるのではないでしょうか。
例えば1人でクリエイティブな仕事をするときは、騒がしいオフィスのデスクに向かうよりも、静かな森の中を歩くほうがいいアイデアが浮かぶかもしれない。それなら週のうち半分は自然の豊かな郊外にいて、オフィスには月に数回だけ行っていろいろな人と共感を高めるというのも大いに考えられる。
要するに、先の4象限のA〜Dそれぞれの能率がいちばん高まる働き方をすればいいはずです。おそらく今後は、「1人/チーム」「出社する/しない」のすべてにおいて、メリハリを利かせる働き方が主流になっていくのではないでしょうか。世界標準の経営理論を思考の軸にすると、そのように考えられるのです。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
この連載について
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理します。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか? 参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。