小国士朗(41)がNHKに就職することになったのは、ほんの偶然だった。
東北大学に進学した小国は、大学時代に起業している。
当時、仙台のアーケード街にはストリートアーティストがあふれていた。東北中から才能あふれるミュージシャンが集まっていた。
まだ、YouTubeもなかった時代。このアーティストたちのパフォーマンスを動画におさめてレコード会社に自由に見てもらうプラットフォームを作る。才能あるアーティストを青田買いしてもらえば、双方に利益が生まれるのではないか。
そう考えた小国は、知り合いと一緒に会社を立ち上げた。
ところが、その資金を持ち逃げされた。
起業するつもりだったので、就職活動は全然していなかった。あわてて、まだエントリーを受け付けてくれる放送局を探したら、NHKしかなかった。
「当時、僕の中でテレビといったら4チャンネル(日本テレビ系列)か8チャンネル(フジテレビ系列)だけ。ダウンタウンさんしか見てなかった。NHKの番組の記憶は、『おかあさんといっしょ』で止まっているレベル」
なんとか1本だけ、当時放送されていた「プロジェクトX 挑戦者たち」を見て、面接に臨んだ。
エントリーシートには自分が見た回が全然面白くなかったと書き、面接ではお金を持ち逃げされた話をした。それがなぜか、面接官たちに大ウケした。
「お金を持ち逃げされた話が、まさにリアルタイムだったので。続きは?と聞かれて、続きは次の面接の時にお話ししますよ、なんて言っているうちに、とんとん拍子に内定が決まって」
実は内定直前に、持ち逃げされたお金は無事に戻ってきていた。だから、起業し直すこともできた。
しかし、短い時間だったが、起業をしているとき自分たちで作った名刺が何の役にも立たず、粗末に扱われてきたことを思い出した。一度、誰もがその名前を知っているNHKという大企業の元で働いてみようかと考える。
その後、のめり込むようにドキュメンタリー制作に打ち込んでいったのは、前述したとおりだ。
「小国くんについて話し合う」学級会
クラスのリーダー的な存在だったという小学生時代。しかし……
提供:小国士朗
小さい頃の小国は、本人曰く、頭のいいジャイアンのような存在だったという。明るくて、クラスを引っ張る、みんなの中心的な存在。
ところがある日、“クーデター”が起こる。小学校4年生の時だった。
「小国くんについて」という議題で学級会が開かれ、クラスのみんなが「小国くんの良くないところを読み上げる」という発表会を行ったのだ。
「小国くんは、ファミコンの順番を守らない」
「小国くんは、言葉遣いが乱暴です」
といった手紙が、クラスの全員から順番に読み上げられた。
当時、書記をやっていた小国は、その手紙の内容をいちいち黒板に書き写す役だったという。まさに、青天の霹靂。想像もしていなかった事態に小国は激しく動揺していた。
放課後、先生に呼び出された小国は、先生に「あなたは、友だちのことをどんなふうに思っているの?」と聞かれた。
そのとき、小国の頭にぱっと思い浮かんだのは「虫けら」という言葉だった。
それは、小国が彼らを虫けらだと思ったわけではなく、先生が「“虫けら”だと思っているんじゃないの?」と言葉を続けるのではないかと、その瞬間、思ったからだ。
果たして、その0.何秒後かに、先生が「虫けらだと思っているんじゃないの?」と言ったとき、小国は戦慄した。
「自分の中には、モンスターがいる。そう思ったんです。大人はこう言うだろうとか、きっとこう表現するに違いないということを、先回りしてレスポンスできてしまう、自分の思考とは別のところで勝手に何かがうごめいている感じが、すごく怖かった」
その学級会を境に、1カ月くらいは、クラスでも一人ぼっちだったという小国。けれども、転校してきた子が一緒に遊ぼうと言ってくれたのをきっかけに、徐々にクラスのみんなと遊べるようになっていく。
「その時クラスメイトたちからもらった手紙は、お守り代わりにずっと持って、時々読み返していました。自分の中のモンスターを抑えこなまきゃいけない。そう思っていたからです。
後に、浦沢直樹さんの漫画『MONSTER』を読んたときは、これ、俺のことじゃんと思いました。でも、俺は漫画と違って、モンスターとは絶対に付き合いたくない。それを抑えていかなきゃいけない。だから危ないと思ったときは、手紙を読むようにしていたんです」
エネルギーを良き方向に放ってくれる
ことあるごとに手紙を読み返す日々は、中学生まで続いたという。
「カッと熱くなると、自分の中のモンスターが解放されてしまう気がして。だから、あまり熱くならないようにしよう。熱くなると良くない。そんなふうに思って大学生までは過ごしていましたね」
その、小国のモンスターを解放してくれたのが、NHKだった。
マグマのようにたぎっていて、でも押さえつけていたエネルギーを、良き方向に放ってくれたのがNHKだったという。
「NHKは、冷めてるやつはつまらない、熱い想いをぶつけずしてどうするというカルチャー。しかも、その想いを良い方向に解放してくる会社だったんですよね。
NHKで15年過ごすことで、『俺のこのエネルギーを、良きことにつなげることができるんだ』ということを体感できるようになった。『こっちの方向に向かえば大丈夫』ということもわかってきた。だから、だんだんフルパワーで、エネルギーを注ぐことができるようになったんですよね。僕は本当に、NHKに入れて良かったと思います」
(敬称略・第4回に続く)
(文・佐藤友美、写真・伊藤圭)
佐藤友美(さとう・ゆみ): 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。