「『個性』と『能力』は一致しない。会社で自分らしさを出したいなら、まずは利益をもたらす働きをすること」。前回、佐藤優さんに受けた教えを胸に、シマオは気持ちを新たに仕事に向き合うようになった。
そんなシマオに、佐藤さんが薦めた一冊は、日本で初めて「個性」に苦しんだ人物のものだった。
夏目漱石も個性の問題で悩んでいた
シマオ:個性を出すには、まず型を身につけることが必要と教えていただいたので、最近は仕事でも基本に忠実にやるようにしています。
佐藤さん:それはいいことですね。個性について相談を受けたので、シマオ君にぜひ読んでもらいたい本を持ってきました。
シマオ:ありがとうございます! どんな本ですか?
佐藤さん:夏目漱石の『私の個人主義』です。これは、学習院の学生組織である学習院輔仁会で漱石がした講演をまとめたものですが、ここに述べられている個性についての考えは、今でも通用するものです。
シマオ:漱石の講演本? 講演会をしているイメージなんてなかったです。どんなことを言っているのですか?
佐藤さん:後のちゆっくり読んでいただきたいのですが、漱石は自らの研究人生を振り返りながら、個性について語っています。彼は英文学を研究していたのですが、外国人の研究者が言っていることの受け売りをするだけで本当に学問をしていると言えるのか? ということに悩んでいました。
シマオ:外国人の言うことを有難がってしまう日本人……って、今でもそうですよね。
佐藤さん:その時の漱石の不安を示したのが、以下の文章です。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好(よ)いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。
シマオ:漱石ですら、個性の関して自信が持てなかったんですね。
佐藤さん:そうです。その後いろいろな本を読みあさることで、漱石は最終的に「自己本位」という言葉にたどりつきます。それを見つけたことで「ああここにおれの進むべき道があった!」と感じたそうです。
シマオ:「自己本位」?
佐藤さん:はい。「他人本位」では永遠に辛いだけです。人は他者から多大なる影響を受けて成長します。しかし誰かの発言や思想などを鵜呑みにしても、自分の血や肉にはなりえない。「人生の主体」は自分に戻さなくてはいけないのです。漱石は研究を一から見直すことで、外国の受け売りじゃないものを見つけることができ、「他人本位」からの脱却に成功したのです。漱石はさらに、個性を重視することは自分勝手になることではないということを述べています。漱石に至るまで、個性の重要性に気付いた日本人はいないと思います。
第一に自己の個性の発展を仕遂(しと)げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴(ともな)う責任を重(おもん)じなければならないという事。
シマオ:自分が個性を発揮するには、他人の個性も尊重しなければいけない。そして、個人が得た権力や財力は、正しいことに使わなければいけない、と。現代の人たちにも十分に響く言葉ですね。
佐藤さん:明治時代の日本は近代国家への道を歩んでいましたから、思想的には国家主義が主導的でした。それに対して漱石は、誰もが四六時中、国家のことを考えてはいられないのだから、むしろ大事なのは個人主義だと主張したんです。
「漱石以前は『個』の概念なんてなく、人々は『家』を中心にものごとを見ていた」と佐藤さん。
個性の悩みの原因は、資本主義にあった
シマオ:でも、漱石みたいに「自分はこれで行く」というものを見つけられるといいですけど、そうでない人も多くいます。そんな人は、新興宗教とかに引っ掛かってしまったりもしますけど。
佐藤さん:先日、上司が自分の裁量権を拡大するために個性を利用することがあると言いましたけど、悪いタイプの新興宗教は同じようにそれを利用しますからね。そこは気をつけないといけません。ただし、宗教というものは人間の個性を認めるものなんですよ。
シマオ:宗教は個性を認める?
佐藤さん:はい。認める宗教もあります。例えばキリスト教では、「ペルソナ」という言葉が使われます。
シマオ:最近だと「人物像」みたいな意味で使われる言葉ですよね。
佐藤さん:はい。ペルソナとは元々はキリスト教の三一(三位一体)論、つまり「父なる神・子なる神・聖霊」が一つであるという考え方において、それぞれのことを指す言葉です。それが「人格」という言葉の元になっていて、神の性質と人間の個性が重ね合わせて考えられている訳です。
シマオ:ちょっと難しいです……。
佐藤さん:もっと簡単なところでは、聖書には神が人間を一人ひとり手づくりしたと書かれています。つまり人間はオーダーメイドだということです。仏教もまた、世界を縁起の結びつきで考えていますね。
シマオ:縁起っていうのは、前世との繫がりみたいなものですよね。
佐藤さん:そうです。縁起は一人ひとり別ですから、自ずと人には個性が生まれる訳です。
シマオ:そうすると、個性の悩みってどこから生まれてきたんでしょうね?
佐藤さん:画一的な人間観が生まれてきたのは、むしろ近代に資本主義が広まってからなんですよ。資本主義における労働力としての人間は、代替可能、つまりいつでも取り替えがきくということが求められるからです。
シマオ:確かに、僕たちが会社で働いていても、自分じゃなきゃできないことなんかないように感じる時があります。
佐藤さん:会社を経営する資本家にとっては、個性がない方が都合がいいんです。個性の悩みというのは、そういうところから来ていると思います。
個性という「病」は見せかけにすぎない
シマオ:個性が育ちにくいかどうかというのは、国民性もあるんでしょうか?
佐藤さん:その要素は確かにあります。漱石がロンドンで目の当たりにしたように、イギリスでは個人主義が浸透していました。おそらく、以前もお話ししたエマニュエル・トッド氏が主張している家族構造の類型が関係しているのではないでしょうか。
シマオ:家族のあり方や相続のやり方が、民主主義の型に影響を与えているという話でしたね。
佐藤さん:はい。やはりフランスやイギリスでは相続が平等であることから、個人主義が発達します。一方、ドイツや日本は長子相続に見られるように、個人よりも家が重視されます。
シマオ:教育も関係がありそうですよね。日本は画一的な詰め込み教育だから、創造性やイノベーションが生まれにくいなんて、よく言われます。
佐藤さん:それは違います。日本の教育は、詰め込みと呼べるほどではありません。むしろ、詰め込む内容が少なすぎる。
シマオ:えっ? そうなんですか。
佐藤さん:例えば、学問における「型」ならば、高校までの教科書の内容を完璧にマスターすることです。でも、それをできている人はほとんどいない。だからこそ、それができれば最難関の大学だって余裕で入れます。
シマオ:確かに……。
佐藤さん:医師と話すと、記憶力の良い人が多いと感じます。彼らは医学部時代に何千もの解剖学用語をラテン語も含めて覚えなければいけないので、自然と記憶力が身につくのでしょう。その上で初めて、現実の人体を診ることができるようになる訳です。つまり「型」は知識の器を広くするための役割も担っているのです。
シマオ:若い時に知識をどれだけ受け入れるかが、イノベーションにも繋がっているということですね。そう考えると僕たちは、むしろ個性について悩んでるヒマなんてないということか。
佐藤さん:若い人だけでなく、例えば定年後に何をしたらいいか分からないなど、人生では折に触れて「自分らしさ」に囚われてしまうことがあると思います。ただ、繰り返しますが、個性という「病」は見せかけのものにすぎません。
シマオ:個性は無理に探さなくても、それぞれにちゃんとある、と。
佐藤さん:そうです。個性、個性と囃し立てると、今すでに持っているものの深さを求めることを怠ります。「個性がない」と言われたからって何なんですか? 「個性がない」なんて言う人は、個性どころか知性も感じませんね。本当に個性溢れる人はどんな人か。それをきちんと見極め、その背中を追うのであれば、とことん自分を深堀りすることです。
シマオ:それを聞いてすごく安心しました。しかし、本当に佐藤さんは超個性的です。でも当の本人の佐藤さんはそんなこと気にもしていない。そんな風に考えられるように、僕も成長しないとな。
※本連載の第45回は、12月23日(水)を予定しています。連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」一覧はこちらからどうぞ。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)