撮影:今村拓馬、イラスト:ann1911/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
日本漢字能力検定協会が毎年12月に発表する「今年の漢字」。2020年を象徴する一文字は「密」でしたが、それに倣って「今年を表す経営理論」を入山先生に考えていただきました。さて、先生は何を選んだのでしょうか?
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世の中を部分的に変えるのは不可能
こんにちは、入山章栄です。
先日、京都の清水寺で「今年の漢字」が発表されましたが、それに関連して、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんからこんな無茶振りの問いかけがありました(笑)。
なかなかの無茶振りですよね。
そうですね……2020年を象徴的に表す経営理論をあえて選ぶとすれば、それは「経路依存性」ではないでしょうか。
これは正確に言えば経営理論というよりも、経済学のゲーム理論などを使って説明できる現象のことを指します。「経路依存性」はこの連載でも何度か触れていますが、もう一度おさらいしておきましょう。
この世の中や企業は、いろいろな要素が噛み合って動いています。噛み合っているからこそ、うまく回るわけです。でも逆に言うと「全部が噛み合っている」から、その中のどれか1つだけを変えようとしても、他が噛み合っているので容易に変えられないのです。もし変えたければ、全体を変える必要があるわけですね。
ダイバーシティ経営はその典型です。日本でダイバーシティがなぜ進まないかというと、それは経路依存性があるからです。
「組織にもっと女性や外国人を増やしましょう」というふうに、そこだけダイバーシティ制度を入れてもうまくはいかない。なぜなら、もしダイバーシティを推進したいなら、新卒一括採用もメンバーシップ型雇用もやめなければいけないし、人材の多様性に合わせて評価制度も働き方も変えないといけない。多様な人は新卒一括で採れるわけがないし、多様な人がいるなら、評価も働き方も多様でないといけないからです。
それなのにこのような他の要素を変えず、「女性や外国人を増やす」部分だけを進めようとするから、結局進まないのです。
コロナが解き放つ、経路依存性からの呪縛
この経路依存性に縛られて、日本企業の多くが30年以上も変化できずにいました。そこへ起きたのが、このコロナ禍です。
もちろん、新型コロナウイルスが世界的に流行し、多くの方々が亡くなられたのは悲しいことです。ただ、経営理論から日本の企業経営を見れば、コロナ禍は企業が経路依存性から解放されて、すべてを変えられる絶好のチャンスでもあります。
例えば、リモートワークです。仮にコロナ感染が落ち着いても、自宅でのリモートワークはある程度社会に残るはずです。そしてリモートワークになれば「何時間働いたからいくら払います」という時間ベースの給与体系ではなく、成果型の評価体系に変わっていきます。リモートでは労働時間は測れないので、成果がすべてになるからです。
そして成果型になれば、その人の職務を明確にしなければいけないから、ジョブ型雇用になっていくでしょう。
さらに言えば、リアルでの人との出会いは減っているけれど、デジタルリテラシーの高い人たちの間では、むしろZoomなどオンライン上でいろいろな人と出会う機会が増えています。結果、転職や副業の機会も増える。そうすればそのうち新卒一括採用も終身雇用も終わるはずです。2021年以降は「大転職時代」がやってくるでしょう。
このように、働き方、評価制度、終身雇用の見直しなど、全部を一気に変えられる千載一遇の機会がいま来ているのです。2020年は本当に大変な年でしたが、コロナがきっかけで、これまで日本を蝕んでいた経路依存性からの解放という希望が見えてきた年でもある、とも僕は思います。
変わることに不安を覚えやすい国民性
常盤さんの言うように、経路依存性に縛られるのは他の国でも同様です。しかし、確かに日本はとりわけ経路依存性が強いと僕も思います。
その理由として、歴史的な経緯とか、日本人の特性や民族性を挙げる人もいます。実際、日本人は「セロトニントランスポーターSS」という脳の不安物質が出やすい遺伝子を持っていると言われます。そもそもリスクに対して非常に不安を感じやすい国民なのかもしれない、ということです。
アドビ社が以前行った調査によれば、実は日本人は世界中から「世界で一番クリエイティブである」と評価されているのだそうです。にもかかわらずこの調査によると、「世界で一番、自分の国はクリエイティブではない」と思い込んでいるのも日本人なのだそうです。不安遺伝子が強い証拠と言えます。
京都のお寺や工芸品からマンガ・アニメに至るまで、日本には素晴らしい創作物がたくさんある。一方で、「これを公開して失敗したらどうしよう」とか「私なんか、きっと評価されないに違いない」と思ってしまいがちなのです。
そのせいか、日本は自ら変わるのは苦手です。一方、黒船来航や第2次世界大戦の敗戦など外的な大きなショックがある時に限り、変わりやすいと言えるかもしれません。
そういう意味では、コロナは黒船に匹敵するとまでは言えませんが、久々に来た外部圧力による変革のチャンスなのかもしれません。
改革するなら2~3の案件を同時に進めるのがコツ
とはいえ、既存の組織が経路依存性を克服して、全部を変化させるのは簡単ではありません。この時のコツは何でしょうか。
僕は、経路依存性を脱したいなら、変革のときには「まずは2~3の課題を同時に変化させるべき」と考えています。これは先日、がん保険のアフラックの古出眞敏社長と対談させていただいたときにお話を伺って、印象深かったことです。
実はアフラックはコロナ前から、女性の管理職比率を高め、何よりデジタル改革を進めていました。結果、今回のコロナでリモートワークになっても、業務への影響がほとんどなかったのだそうです。
古出社長いわく、コロナ前からこのような改革ができたのは、1つのことを狙い撃ちで変えるのではなく、2つか3つのことを同時に変えてきたからだそうです。具体的には、最初にダイバーシティとその周辺領域に手をつけて、そこから複合的に変えていったそうです。
この発想は素晴らしいと思いました。僕もいろいろな会社の経営会議に出ているので分かるのですが、多くの会社では「今日はこのテーマについて話し合いましょう」というように、1つひとつのテーマを個別に取り扱うことが多い。本当はどれも関連しているわけですから、なるべく同時に複数のことを変えたほうが効果がある。
2020年に世界を襲ったコロナはとてもつらい経験ではありましたが、ビジネスの変革という意味では、私たちにとってまたとないチャンスです。このチャンスを逃してしまうと、次はいつになるか分かりません。
そしてこの状況で変えるときは、まずは2つか3つの改革に同時に取り組むということを、ぜひ試してみてください。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
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この連載について
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理します。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか? 参考図書は入山先生のベストセラー『世界標準の経営理論』。ただしこの本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。