染物作家の古屋さん。『グリーンティー』の限定パッケージに作品が起用された。
撮影:横山耕太郎
アイスクリームの代表的メーカーの一つ「ハーゲンダッツ ジャパン」が、11月下旬から展開する限定パッケージが好評だ。同社は初の試みとして、国内のアーティスト3人とコラボ。
マダガスカルの自然豊かな情景をイメージしたという『バニラ』、甘酸っぱいイチゴの味にうっとりとする表情があしらわれた『ストロベリー』に、淡いピンク色の桜が舞い散る『グリーンティー』 ——。
鬱屈しがちなコロナ禍の日々にあって、華やかな限定パッケージは、巣ごもり需要が伸びるなど顧客への訴求効果もあるようだ。アイスのパッケージを、まるで油絵のキャンバスのようにアレンジする発想は、なぜ生まれたのだろうか。
パッケージ「中身と同じくらい大事」
「パッケージはものすごく大事。店頭でお客様に商品を手に取ってもらうという意味では、中身と同じくらい大事だと思っています。おいしさや品質だけでアイスクリームを選ぶ人は減っている。今はパッケージを含めて魅力的でないと選んでもらえない」
ハーゲンダッツ ジャパン・ブランド戦略本部マネージャーの黒岩俊介氏はそう語る。
ブランド戦略本部マネージャーの黒岩氏は「パッケージは中身と同じくらい重要」と強調する。
撮影:横山耕太郎
ハーゲンダッツは世界でブランド展開しているが、日本で開発されたフレーバーのパッケージは、日本でデザインを開発している。
「新進気鋭のアーティスト3人を選び、それぞれのフレーバーを食べた時の体験を表現してもらいました」(黒岩氏)
『バニラ』はイラストレーター・SHUNTAROTAKEUCHIさん、『ストロベリー』はイラストレーター・maegamimami(マエガミマミ)さん、『グリーンティー』は染色家・古屋絵菜さんがデザインした。
パッケージの変更は5年に1度
2019年から使われている『グリーンティー』のパッケージ(中央)。左は一つ前のパッケージで、右がアートパッケージ。
撮影:横山耕太郎
グローバル共通のパッケージは、約5年ごとに全面リニューアルが行われている。
現在のパッケージは2019年に切り替えられた。しかし、消費者テストなどから分かっているのが、切り替えにはリスクも伴うという。
「こんなデザインなら買わないという人も出てくる可能性もある。ただ、変えないままでいるとブランド価値がどんどん縮こまってしまう。また若い世代は新商品を好む傾向があるので、目を引くデザインにすることで、定番3種も手に取ってもらいたいという狙いもある」
コロナの感染拡大が深刻化した2020年3月、4月はハーゲンダッツの売り上げも前年を下回った。
しかし、巣ごもり需要を受けて売り上げは徐々に回復。日本限定のフレーバーも投入し、2020年の売り上げは、2019年を上回る予想だ。
「今でこそハーゲンダッツは、『ご褒美のためのアイスクリーム』として定着しているが、どんどん新しいアイスクリームが出てきます。その中で、古くならず、魅力的でないといけない。そのためにパッケージにもこだわっていきたい」
抹茶の香りを「ろうけつ染め」で表現
『グリーンティー』のパッケージに起用された古屋絵菜さんの作品。
提供:ハーゲンダッツ ジャパン
「完成までに半年かかりました。抹茶の『香り高さ』を緑の色で表現するため、抹茶色ではなく、鮮やかな香りを感じそうな色を目指しました。抹茶の香りが口に広がった時の躍動感を感じてもらいたい」
『グリーンティー』のパッケージを制作した、染色作家・古屋絵菜さん(35)はそう話す。
パッケージは、濃淡のある緑を背景に淡いピンク色の桜が浮かぶ。絵画のように見えるが、「ろうけつ染め」という技法を使った染め物だ。
ろうけつ染めはもともと中国から日本に伝わった染色技法。布にろうを塗った上で染色し、ろうの部分だけが白く残り、くっきりとした線を染め抜くことができる。
ろうけつ染めは単色で染めるのが一般的。しかし古屋さんは、布の一部分を染めて、その上からろうを塗り、また別の色を染めるという作業を繰り返すことで、様々な色やにじみを表現する方法で制作している。
今回のパッケージに起用された作品は、桜の花の立体感をだすため、花びらの色が一枚一枚違うが、それぞれの花びらごとにろうを塗っては染めるという「手間と時間がかかる」(古屋さん)作業を繰り返している。
「花」で表現する“生と死”
『八重の桜』の5月のタイトルバックに起用された作品。
提供:古屋絵菜
古屋さんは武蔵野美術大学大学院在学中の2013年、NHK大河ドラマ『八重の桜』のタイトルバックに作品が起用されたことで注目された。
その後も、山梨県で大規模な個展を開催する一方で、ソニーの業務用カメラのプロモーション映像に出演したり、レクサスが全国の伝統工芸作家など50人を選ぶ「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」に選出されたりと、活躍の場を広げている。
古屋さんは大学院を卒業後、大学の教務補助を勤め、その後上海へ留学。帰国後は山梨県甲州市の実家で制作を続けている。
「作品にのめりこんでいる時はアドレナリンが出ているので、深夜まで作り続けてしまう」という古屋さんが、作品のテーマにしているのが花のモチーフだ。
シャクヤクを描いた作品。
提供:古屋絵菜
桜や桔梗(キキョウ)、芥子(シャクナゲ)、シャクヤク、パンジー…。咲き誇る花だけでなく、花びらが散る様子や、散った後の花も題材にしている。
「花は人の一番近くに存在する自然物。芽が出て花が咲き、枯れていき、種子ができ次の世代へとつながっていく。その繰り返しです。小さい頃に朝顔を育てたように身近な花から感じる感覚は、人間に本質的に備わっています」
「花」を通し、生や死を表現する古屋さんにとって、自然に囲まれた故郷・山梨は、観察の場でもある。
「実家は山に囲まれて、人のいない、音もしない遊歩道をよく散歩しています。自然を観察できることは、花を描く私にとってはベストな環境。花を描くときはまず、徹底的に観察し五感で花を感じ取る。ピンセットで分解して細かく見たり、時には花を口に含むこともあります」
武田信玄の菩提寺で個展
光放寺での個展。蓮をテーマに作品を制作したという。
提供:古屋絵菜
古屋さんはここ数年、山梨県内の寺で大規模な個展を開いている。
2019年には武田信玄の菩提(ぼだい)寺・恵林寺(えりんじ)、2020年8月には800年の歴史を持つ放光寺で、寺の空間を生かしながら作品を配置した。
「仏教の美意識にある、朽ちるとか、はかないという感覚は、枯れた花の美しさとも通じるところがある。寺という強い意味を持つ場所で展示することで、空間と作品の意味が増幅する」
恵林寺での展示。「花」そのものをテーマにした作品。
提供:古屋絵菜
それぞれの個展のために約1年かけて作品を用意。染め物である特性を生かし、大型の作品をつるして展示し、風が通る様子なども視覚的に表現したという。
何よりも大事なのは「染め物を続けられること」
山梨県の実家で制作する古屋さん。
出典:ハーゲンダッツ ジャパンによる動画を編集部キャプチャ
古屋さんはギャラリーに所属はせず、個展での作品販売が収入の柱になっている。
「お金に困る状態になれば、作品を売らなくてはいけない。かといって売れる作品を狙いすぎると、いい作品ではなくなることもあってバランスが難しい。私自身、あんまり欲はなくて、好きな染め物を続けられること、その場所があることが重要と感じています」
2020年は新型コロナの影響で、上海で開催予定だった展覧会は中止になった。だが、海外へのアピールは続けていきたいと意気込む。
「中国のアート市場は大きい。財産を所有するという意味でアートが売買されている。私の場合は、染め物で時間が経つと劣化してしまうという弱点はあるものの、逆に日本の工芸という点では目立つことができると思っている」
「私ができることはたかが知れている。けれど……」
「作品を直接見てもらうのが一番いいけれど、ハーゲンダッツのように誰もが買える商品で見てもらえるのは嬉しい」と話す古屋さん。
撮影:横山耕太郎
ハーゲンダッツのグリーンティーは、1996年に国内向けに発売。その後、国内での好評を受け、日本初のフレーバーとして始めた海外販売された商品で、いまでも世界各国で販売されている。
「ハーゲンダッツのようにとは言いませんが、私も海外にも発信を続けていきたい。今回のハーゲンダッツのパッケージを見て、それがろうけつ染めだと気が付く人はいないと思います。ただ、染色に興味を持つきっかけになれば」
あくまで謙虚だが、進むべき道に迷いはない。
「私一人ができることはたかが知れているし、世界を変えられるとも思っていない。でも、ろうけつ染めを通して、日本の美意識を知ってもらうことには、貢献できると思って作り続けています」
(文・横山耕太郎)