虎屋を代表的する小倉羊羹「夜の梅」(左上)と21世紀に生まれた「あんペースト」。17代・黒川光博氏が語る「守るべきもの」と「変えるべきもの」とは。
提供:虎屋、ポートレート撮影:今村拓馬
コロナ禍の苦難は、500年近くのれんを守り続けてきた和菓子の老舗「虎屋」にも変革の機会をもたらした。2020年6月には29年間にわたって社長を務めた17代黒川光博氏が退任し、18代光晴氏が新社長に就任する大きな決断を下した。
なぜ、このタイミングで社長を交代したのか。光博氏は虎屋の歴史を振り返りつつ「時代のうねりの中、大きな決断をしてきた黒川家の歴代当主はみな若かった」と言う。
そして光博氏は、こうも語る。
「長く続くことが必ずしもいいことだけかというと、そうでもありません」
「『変えてはいけないもの』は一つだけ。それは虎屋の“コア”なのです」
これからの時代で「守るべきもの」と「変えるべきもの」とは何か。光博氏に聞いた。
コロナ禍の最中の社長交代、その真意は?
撮影:今村拓馬
——2020年6月、コロナ禍の最中ではありましたが黒川さんが代表取締役社長を退任し会長職に、ご子息の光晴さん(35歳、18代当主)が後継となりました。
2020年を目途に社長を交代することは、数年前から考えていたことでした。
その2020年、期せずしてコロナ禍に突入してしまった。古参の社員や、ごく親しい友人から「交代は延期したほうがいいのでは」という意見があったのは確かです。
それでも、今までの虎屋の歴史や、自分のこれまでのことを振り返ってみると、若い時だからこそできることもあるとの思いに至り、交代を決めました。
——「時代のうねりの中、大きな決断をしてきた黒川家の歴代当主はみな若かった」と。明治維新で東京出店を決めた12代当主(黒川光正)は当時29歳でした。
年長者は、ついつい「私たち世代にしかできないことがある」と言いがちですが、それは裏を返せば「若い世代にしかできないことがある」ということです。
今のように、社会が大きく動き、新しい時代に向かっているような時こそ、若い力が必要です。交代するなら今が一番いいと思いました。
もちろん、親と子で40歳くらい違うわけですから意見が100%合うことなんて、あるわけない。父(16代・光朝氏)と私もそうでした。
父は「自分がやらなければ」と考えていたと思いますが、私はよく「いろんな人がもう育っているから、親父がいなくとも会社は動くよ」と言っていました(笑)。
虎屋を代表する小倉羊羹「夜の梅」。切った断面に見える小豆の粒を夜の闇に咲く梅に見立ててつけられた銘。 菓銘は1694年(元禄7)の「諸方御用之留」に見ることができるが、羊羹としては1819年(文政2)の記録が最初。
提供:虎屋
——黒川さんが社長を務めたのはおよそ30年間。就任当時は1991年2月、40代の後半でした。バブル崩壊の前後。バブル後、和菓子業界は法人需要が激減するなど苦戦しましたが、虎屋の業績は堅調だったそうですね。
バブルの崩壊が始まったのが1991年後半くらいでしょうか。ちょうど社長に就任してから1〜2年経った頃だと思います。その時にはあまり実感がなく、あとから振り返って「あの頃にバブル崩壊が始まっていたのか」と、気がついたような感じがします。
たしかに、バブル期には「企業は色々なことを考えて、お金を有効に使うべきだ」とおっしゃる方や「上場しろ」と言う方もたくさんいました。ただ、私にはそれだけの知恵も根性もなかった。
もし私がもっと頭が働く人間であったり、肝が据わっていたら、もう少し違うことやっていたかもしれないですけど……。そればっかりは分からないですね(笑)
一つだけ言えるとしたら、社長就任以降、約30年間変わらず考え続けてきたことは、経営理念でもある「おいしい菓子を喜んで召し上がって頂く」ために、今何をしなければならないかということ。会社を大きくしようという思いよりも、いかにおいしい菓子を作り、お客様に喜んで頂くかということを考えてきました。
「変えてはいけないもの」は一つだけ。それは虎屋の“コア”
とらや パリ店は2020年に開店40周年を迎えた。
提供:虎屋
——黒川さんご自身も2003年に新業態の「TORAYA CAFE(トラヤカフェ)」を六本木ヒルズに出店する決断をされました。1980年にはフランス・パリに出店するなど、虎屋は伝統企業の中では革新的なことにチャレンジするイメージがあります。
パリへの出店から40年が経ちます。たしかに、これまでも「革新の連続」と仰っていただくことはありました。しかし、私自身は「革新」と呼べるようなことは何もやっていないのです。
虎屋は全てが「コアビジネス」です。コアが一番大切だと思うのです。
コアがきちんとあれば、新しいことやこれまでとは少し違うことをやったとしても、お客様には受け入れていただける。それを皆さんは「革新」とか「新しいこと」と言ってくださいます。
けれども、そのように言っていただくためには、会社が大切にするコアの部分をどれだけきちんと貫けるかが勝負だと思います。
撮影:今村拓馬
——黒川さんの言う「コア」とは、どういうものでしょうか。
極めて簡単なことです。本当に美味しいものを誠実につくること。一生懸命に和菓子を極めることです。それ以外に「変えてはいけないもの」はありません。いつの時代もお客様に喜んで美味しい菓子を召し上がって頂きたい。これまでも、そしてこれからも、それに尽きます。
実は私自身「将来、和菓子はどうなるのだろう」と不安になった時もありました。けれども、ある時からコアをきちんと貫くことができれば、なんとなくではありますが「いける」と思いました。
例えば「とらや パリ店」40周年を記念して、2020年8月に(フランスのショコラティエである)ピエール・エルメ・パリとコラボレーションしました。
これは、虎屋はパリで、ピエール・エルメさんは日本で、互いに自国の菓子文化を伝えようと取り組んできたという共通点をきっかけに実現したものです。おかげさまで、非常にいい評価をいただきました。
一方で、「とてもご好評頂いたので、今度はどことコラボレーションしようか」という発想ではいけない。そればかりを考えてしまうと、「コア」の部分を見失ってしまいかねません。
「我々は和菓子屋である」「おいしい菓子を作るんだ」という思いを芯に持ち、それを具現化できるかどうかが重要だと思っています。
和菓子を未来へ。「TORAYA CAFE」と「あんペースト」の挑戦
撮影:今村拓馬
——黒川さんが「将来、和菓子はどうなるのだろう」という不安を払拭できたきっかけは。
2003年に新業態のTORAYA CAFEをオープンしたときのことです。当時から、若い方に来ていただけるような店にしたいと思っていたし、そうなるだろうなと思っていました。
実際に店では、若いお客さまから「普段、あんこはあまり食べない」「虎屋を知らなかった」というお声がありました。
それでも「このお店で“あんこ”が美味しいと知りました。今度から、もう少しあんこを食べてみようかな」とか「赤坂の虎屋にも行ってみますね」というお言葉を、若いお客さまから沢山いただけました。
「よし、和菓子はまだまだ行けるぞ」と思ったのはその頃ですね。
トラヤカフェ・あんスタンド北青山店
提供:虎屋
——和菓子を新しい世代に届ける努力は、戦後にデパートに販路を広げるなど以前にもありました。TORAYA CAFEでは、伝統の「あん」を使ったパンやパフェなど、和と洋が融合したメニューが人気です。
TORAYA CAFEを開こうと決めた頃のことでした。どんなメニューをやろうかアイディアを考えていた時、料理研究家の長尾智子さんから色々なご提案を頂きました。
長尾さんは自分なりに色々調べたり、食べてみたりしたけれど、やっぱり虎屋は「あん」が素晴らしい、「あん」が中心だとおっしゃってくださった。
若い方たちに和菓子の根幹である「あん」のおいしさを知っていただき、虎屋を知っていただくきっかけになればと思いました。
——驚いたのは「あんペースト」を販売したことでした。和菓子の命と言える「あん」を羊羹ではなく、パンに塗ったりコーヒーに入れたりと様々な形で使えるようアレンジした。これは虎屋の真髄である「あん」の魅力を若い世代に伝える一品になりました。
実際に販売しようと決めた時は、「簡単にOKしてしまっていいのだろうか……」と逡巡しました。和菓子屋が菓子の材料をそのまま販売したわけです。父は「和菓子屋がそのようなことをやってはダメだ」と言っていましたから。
もちろん、それもひとつの考え方だと思います。私も理解していたので、父がいた時にはやりませんでした。
ただ、若い世代のお客様に和菓子に親しんでいただくことを考えたときに、今までどおりのやり方ではダメかもしれない、若い方に親しんでいただきやすい形にするべきではないか、と思い、「あんペースト」を販売することに決めました。
「長く続くこと」は、必ずしも良いことではない。
「あんペースト」
提供:虎屋
——実際、発売されると「あんペースト」は人気商品の一つとなりましたが、発売前の社内からはどんな声があったのでしょうか。
担当者以外は批判的な意見が多かったです。新しい挑戦にはやはり後ろ向きでした。
「やるのはいいが、失敗したらどうするんだ」「失敗して、虎屋の名前がマイナスになったらどうすんだ」「今までのお客様が離れてしまったらどうするんだ」と、ネガティブな意見ばかりになるわけです。
けれども、「あんペースト」に挑戦しようとしている人たちは「そんなことを言ったって意味がないだろう」と言っていた。
私は両方の上にいるわけですから、「ネガティブなことばかり言ったってダメだ」と言いながら進めていたのですが、やはり不安はありました。
一方で、「長く続くこと」が必ずしもいいことではないという思いもありました。
長く続けば、全てが保守的になります。「続けること」自体に意義を見出したり、「続けるためには失敗してはダメだ」という考えが先行してしまいがちですから。
——部下を説得しつつ、不安と折り合いをつけて発売を決断できた原動力は何だったのでしょうか。
「和菓子屋は続いていくのだろうか」という不安をずっと持っていましたからね。和菓子の魅力を伝えるために、何かやらなければいけないという思いはあったのです。
そのような時に「あんペースト」を「よし、これだ!」と思えた。失敗、成功ということよりも、気持ちとして「やろう」という意志が固まった。そこが原動力になったと思います。
大切なのは、お客様の「世代」ではなく「目的」だ。
撮影:今村拓馬
——これからの時代にあって、「守るべきもの」と「変えるべきもの」のバランスは、どう折り合いをつけますか。
それも難しいですね。TORAYA CAFEを開いた当時は、揺らいでいました。今となっては、もっと和菓子を攻めても良かったかもしれないと思います。
ここ最近思うのは、和菓子というものは、あくまでツールに過ぎないということです。和菓子を通じて、召し上がっていただく全ての方に喜んで頂くことが大切なのだと思っています。
——確かに、和菓子は茶会などで人と人を繋ぐ「ツール」という面がありました。ただ、人と人がリアルで対面しにくいコロナ禍の時代でもあります。この先、和菓子にはどういう役割が期待されていくのでしょうか。
今、かなりはっきりと思い描けているのは、和菓子には「お客様の目的にあった和菓子」があると思うのです。
商いの世界では「顧客層」「ターゲット」という言い方がありますよね。私たちも「50〜60代が多い」とか、お客様を世代によって分けて考えていました。
しかし、今はそれは違うと考えています。お客様は目的に合わせて菓子をお買い求めになる。ある世代だから虎屋の菓子を買う……というわけではないのです。
そのことに気付いたのは「ゆるるか」という柔らかい羊羹をつくったときのことでした。ご高齢の方や、通常の羊羹は硬くて食べづらいと感じる方のために開発したものです。
当初は、飲み込むのが難しい方に召し上がっていただくなら、チューブ状のパッケージのほうが食べやすいのではないか、などと考えていたのですが、それは違いました。
「ゆるるか」は、水羊羹よりも柔らかいのですが、しっかりとした四角い羊羹の形です。お皿に出しても、崩れることなく、楊枝などで切ることができる。
「ゆるるか」
提供:虎屋
——通常の羊羹を食べることが難しくなっても大好きな羊羹を食べたい……。そんな気持ちに応えられる。
ほとんど食事ができなかったのに「ゆるるか」は食べることができたというお声をいただいたり、「曽祖父からひ孫までが同じテーブルを囲み、同じものを食べることができた」と仰っていただいたこともありました。
「ゆるるか」があったことで、世代に関係なく同じ菓子を食べられることで、会話の話題が同じになったと。
その時に思ったのです。はじめの目的としてはご高齢の方に向けて作った菓子ではありましたが、結果としては幅広い層のお客様に喜んで頂けたのだなと。
このことをきっかけに、菓子づくりは、世代や年齢の話ではないと気づき、それから目的別という視点で考えるようになりました。同じお客さまでも、その日その日で求めていらっしゃるもの、目的が違うことがあるわけです。
「この世代だから、これが好きだろう」と決めつけるやり方というのは、これからの時代には合わなくなってきているのかもしれないですね。
【前編はこちら】
撮影:今村拓馬
黒川光博(くろかわ・みつひろ):1943年生まれ。学習院大卒。1966年に富士銀行(現:みずほ銀行)に入行。1969年、虎屋に入社。1991年、黒川家17代当主、虎屋社長に就任。全国和菓子協会や日本専門店協会の会長なども務めた。2020年6月に代表取締役社長を退任し、代表権のある会長職に就任。
(聞き手:吉川慧、滝川麻衣子、構成・編集:吉川慧、取材協力:戸田彩香)